山小屋完成後、また山に登るのか。

こんにちは。からあげです。

さっき大きな公共施設の駐車場でラーメン作って食べて今は図書館で寛いでいます。
昨日、深夜特急を借りることが出来ました。
パソコンで検索しようとすると、前の人がなんと沢木耕太郎で検索し、深夜特急を物色していた模様。
急いで本棚に向かうと、、、ありませんでした。
文庫版の深夜特急の続きは予約まで入っている始末。
でも、沢木耕太郎ファンがこんなに近くにいて嬉しい。
それで偶然にあったでっかいハードカバーの物を借りる事にしました。
だけど、まだ読んでいません。
旅の夜にじっくりと読みます。

ところで、「探検家36歳の憂鬱」を読んでみた。

著者は、角幡唯介(かくはた ゆうすけ)1976年生まれ、ノンフィクション作家で探検家だ。
ツアンポー峡谷の未踏査部分を探検したのをまとめたのが「空白の五マイル」で、いろいろな賞を受賞する。
エッセイなんだけど、随所に愚痴っぽい事が書いてある。
凄く面白い。
著者はまだ独身で賃貸に一人暮らしのようだ。
この本の中で興味深い記述を見つけたので紹介したい。

私が生まれてからの36年間の間に、世の中は異常に便利になり、そして実につまらなくなった。
なぜつまらなくなったのだろう。
その大きな原因の一つに、私たちの身体が自然から切り離されてしまったことが挙げられるのではないだろうか。

中略

しかし私たちは自らそれら最後の残存物すら不浄の要素として忌避し、せっせと日常的に見えなくしている。
肉はビニールでパックされ、あたかもプラスチックでできた工業製品のようにカモフラージュされて、ついこないだまで生きた牛や豚だったことを私たちは決して意識しない。
葬式は簡略化され、祭祀は行政が主導する単なるイベントばかりになった。
繁華街からは風俗店が消えて男たちの野卑な性欲はみえにくくなったが、別にそれは消失したわけではなく、デリバリー型の風俗店やネットの出会い系サイトに形態が変化して不可視化が進んでいるに過ぎない。
それなのに、私たちはそれを見ないようにしているし、なかったことにしようとしている。

中略

富士山の頂上に登った時、私にはそこが現代のサナトリウムのように見えた。
群衆が押し掛け体を休めるその場所は、まさしく身体を喪失した者たちの療養空間だった。
大きな標高差を駆け上がり、希薄な酸素の中で息を切らすことにより生感覚を取り戻したいという、倒錯した希望の一部現実が夏の富士山にはあった。

「探検家36歳の憂鬱」富士登山登頂記より引用

そしてそこに見えたのは自分自身の姿でもあった。

また、一日不作一日不食のブログ主の成為さんが推薦していた森博嗣の著書のうちの「君の夢僕の思考」を読んでみた。

ハンマーで頭をど突かれたような衝撃。感激した。

自然を見て美しいなと思うこと自体が、不自然なんだよね。
汚れた生活をしている証拠だ。
窓のないところで、自然を遮断して生きていけるというのは、それだけ、自分の中に美しいものがあるということだろう?
つまらない仕事や汚れた生活をしているから、自然、自然って、
ご褒美みたいなものが欲しくなるんだ。

君の夢僕の思考の中の「すべてがFになる」より引用

自分がいかに俗物であるか分かった。
そういや山に登っている時、大して景色を見ていなかったし、先を急いで登るだけだった。

サラリーマン時代の登山は、深夜労働明けの日に夜間車を飛ばして登山口に着いて仮眠しそれから登り始める事が多かった。
早くテント場に着いてゆっくりしたい。
ビール飲みたいとそんなことばかり考えて登っていた。
自分を追い込んでトレーニングしている時や新雪を掻き分け前進していると、生きている実感が得られた。
ただ、それは自分自身が病んでいるから感じたもの。

今後も山登りを続けたいと思っているが、山小屋完成後気持ちの変化があるかもしれない。
その時は成り行きに身を任せようと思う。

おわり

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『山小屋完成後、また山に登るのか。』へのコメント

  1. 名前:T1 投稿日:2013/05/01(水) 06:07:47 ID:589fc6ab0 返信

    今回の記事を読んで思ったのですが、「山小屋」を始めてみてはどうでしょうか?
    山小屋の管理人ではありません、新規山小屋の経営者です、低い山で小さい山小屋でいいじゃありませんか、その騒動記を読みたいですねぇ、山小屋を始めるにはどうしたらよいのでしょうか?知りたい斧です。

  2. 名前:成為 投稿日:2013/05/01(水) 10:35:56 ID:589fc6ab0 返信

    「君の夢 僕の思考」とはまたマニアックなのを選ばれましたねw
    立場が変わったら同じ事をしていても違うものが見られるようになるのではないでしょうか。

  3. 名前:からあげ 投稿日:2013/05/01(水) 14:24:35 ID:589fc6ab0 返信

    >T1さん
    こんにちは。
    山小屋経営は考えはしましたが、手間が掛かりすぎて小屋を空けることができなくなるし、私は無愛想だから厳しいかもです。
    落ち着いたら、一度山小屋でバイトしようと思っています。
    その時、気が変わるかもしれません。
    今後とも、当ブログよろしくお願いします。
    >成為さん
    こんにちは。
    いやあ本当に森博嗣さんの本良いですね。
    また別のものを読んでいますが、目から鱗が落ちまくりです。
    良い人紹介して頂きました。
    ありがとうございます。
    こんどミステリーも読みます。
    立場が変われば見方も変わると言われたりしますが、まさにその通りですね。
    自分でもびっくりしています。

  4. 名前:成為 投稿日:2013/05/01(水) 20:31:20 ID:589fc6ab0 返信

    喜んでいただけてこちらも嬉しいです。からあげさんへのお薦めは、まだ完結していませんしミステリではありませんが「ヴォイド・シェイパ」「ブラッド・スクーパ」のシリーズか。最近3作目が出たのですが、まだ読めてないんですけどね。

  5. 名前:からあげ 投稿日:2013/05/02(木) 08:57:27 ID:589fc6ab0 返信

    >成為さん
    おはようございます。
    了解しました。
    どうもありがとうございます。

  6. 名前:裏方 投稿日:2016/11/19(土) 16:11:20 ID:4944b2865 返信

    > 自然を見て美しいなと思うこと自体が、不自然なんだよね。
    > 汚れた生活をしている証拠だ。
    これ、すごく判ります。
    競争・消費社会の奴隷になっていると、自己観察力が低下して、いかに社会に合せるか、他人に合せるかだけになり、外ばかり見て、自分を正しく見る力が失われる気がする。
    「おうち出家」で瞑想や、ヨガをしていると、自分をまっさらに観察する力「内観」が強化されてくる。
    それを続けていると、街中を歩いているだけで、周囲が美しいなと感じることがあるんですね。
    つまり、自分の存在感、現実感が明確になって、あらためて、社会や他人に染められていない自分の本来の感性で周囲を見るようになるから、美しく感じたり、発見したりする。
    それだけ汚れがあったということなんですね。