景色の良い静かな高原で考える。

こんばんは。からあげです。

先ほど、先日紹介してもらった地元の方に断りの電話を入れておいた。
気まずくて何度もつっかえたが、快く了解して頂けた。

人付き合いは慣れる慣れないの問題ではなく、私にとって苦痛でしかない。
それは偶にあるハイテンション時ならなんとも思わないし、楽しくさえ思えるけど、続かないんだ。
気づくと無理をして愛想笑いをして無駄口利いて。
そして自己嫌悪に陥る。
普通に接することが出来ないんだから仕方ない。
見知らぬ他人といると無性に疲れる。
この性質は子供の頃から変わらない。

2013-5-24

開放的な丘に生える一本の木

もう多分、こういった性質は変わることはないだろう。
こういう自分を受け入れて貰おうなんて甘えは捨てないと駄目だ。
人里遠く離れた場所でひっそりと暮らす。
人が住みたくないような過疎地、僻地、土砂災害危険地帯、鬱蒼と茂る暗い森に住むしかないのか。
不便でも寂しくても自分の生活を楽しむ。
覚悟をするしかないのか。

2013-05-24-073952

日本昔話・信州民話に出てくる登波離橋(とはりばし)

登波離橋由緒

ここ白駒城のほとりに架けられた登波離橋は、いつ誰の手で架けられたか定かではありませんが、往昔から現代にいたるまで、周道、木橋など何回かの架け替えのあったことはたしかです。
この橋に関する伝説に次のようなものがあります。

白駒城主樋口行時は鎌倉時代中期の人で、その正妻をふじ女といい別に妾妻きよ女がおりました。
きよ女はふじ女を亡きものにしようと企て正応四年四月一五日花見の会を催しましたが、その折橋からふじ女を落とそうと狙っておりました。
これを察したふじ女は、きよ女の袂と自分の袂を十針縫いあわえておきました。
宴が終わって帰りの路で、この時ばかりきよ女はふじ女を橋から突き落としました。
ふじ女に続いてきよ女も谷底へ落ち、二人共絶命しました。
行時はこれを悲しみ非を悔い出家して行知法師と名を改め、二女の冥福を祈りました。
それ以降、この谷には一身二頭の蛇があらわれ、一本の根に二本の幹を持つ松が生えるようになったといわれます。
登波離橋はまた十針、妬張、妬割とも書き、別に戸張、鳥放、蛇橋など多くの呼び名をもっております。
現在の橋は昭和五一年の新設であります。

案内看板より

2013-05-24-124808

高原に向かう途中

人付き合いのことを高原の草地に寝転がったり、散歩したりしてずっと考えていた。
まだまだ決められない。どうするか。
とりあえず今日のところはこの高原で車中泊する。

おわり

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『景色の良い静かな高原で考える。』へのコメント

  1. 名前:miya 投稿日:2013/05/24(金) 20:30:09 ID:589fc6ab0 返信

    ご事情が許せば、決断を急がず、当面アチコチで車中泊する方針でもいいんじゃないですかね。
    思考も固まってくるでしょうし、ご自分に合った土地探しのパターンも徐々に掴めるかもしれないし。
    僕は預貯金がさほどなかったから・・・うらやましいですよ。

  2. 名前:からあげ 投稿日:2013/05/25(土) 08:19:35 ID:589fc6ab0 返信

    >miyaさん
    おはようございます。
    そうですね。こんなに時間を持てるのは無職ならではなので、この機会にじっくりやってみようと思います。

  3. 名前:裏方 投稿日:2016/11/20(日) 17:57:32 ID:30bbd3aaf 返信

    からあげ隊長さんの気持ち、何となくですが、判ります。
    「ナス農家」さんも、ご自身のことADHDだとおっしゃってましたが、私も、間違いなくADHDです。
    「ナス農家」さんのブログを読んでいて、ほとんど「自分のこと」を書いているような気がしていましたから。
    なので、私も、人間関係は苦痛以外の何物でもないです。
    でも、義務感や責任感は強いので、この歳まで、心身がボロボロになるまで、我慢して人間関係を続けてきましたが・・・。
    現役時代全体が、もう、トラウマなんですね。
    「人間関係がうまくできず、孤独な老後を送ると、悲惨だよ」と洗脳され、精神的にボロボロだった頃「やっぱり田舎に帰ろうか・・・」等と考えたけど、結局、それ自体が、自己破壊だと気づき、確信を持ちました。
    私は、強くなり、最後の最後まで自立し、きれいな孤独死をする。
    他人に迷惑をかけず、逆に、邪魔されず、死ぬことに専念し、静かに死にたい!!
    まあ、後、20年程度ですから、逃げ切りか!!(笑)