自分は甘えている

おはようございます。からあげです。

 

昨日の夕方から降っていた雨は朝方止んでしまい、今は朝靄に包まれている。
生ごみ処理のために敷地の一角を掘ったんだけど、その時、木の根っ子を傷つけた。
ぽっかりと空いた穴に根っこが飛び出ている。
その根っこにおっさんの目は釘付けとなった。

その切れた根っこの先から雫がポタポタと落ちている。
久しぶりの雨で十分に水分を吸った木から水が漏れているらしい。
なんとも申し訳ないことをしたなと、少し罪悪感を抱きながらその滴り落ちる雫を見ていてふと思いついた。

 

これは立派な水の補給源になるのではないかと。
見ていると、一晩くらいでコップ1杯の水が溜まりそうな勢いだ。
そして今もなお、若干水の出は落ちてはいるが、出続けている。
これならいけそうだ。
水がない大地であっても水を得ることが出来る。
非常に良いアイデアを得ることが出来た。

 

2014-4-20

ところで登山訓練から戻ってしばらく経つが、やり切ったという実感が湧かない。
ずっと胸につかえているものがあった。
昨晩考えてようやくその理由が分かった。

 

それは自分は探検家として活動してゆく気が本当にあるのかということだ。

 

今回の食糧計画のこと。
本当に杜撰な食糧計画だった。
なぜそんな計画を立てたのか。
そもそも計画なんてありはしない。
やる気がないと思えてきても仕方がない。

 

フリーター、無職という肩書ではなく、人とは違った肩書が欲しかっただけなのではないのか。

 

ただ単に探検ごっこをして遊んでいるだけなのか。

全く甘えている。
世間に対して。
自分に対して。
お前は馬鹿野郎だ。

 

2日目の夕食の後に考えた。
この満たされないお腹のまま仙丈ヶ岳に登るのかと。
いつもはたらふくご飯を食べているのに。
少し前におにぎり1つを食べたとはいえ、晩ご飯がうどんのみとは、どう考えても足りない。馬鹿げている。舐めている。
いつも大食いなのになぜ、登山に行くと少食として計画を立てるのか。
自分には現地調達出来る能力があるのか。否。
テント装備一式という重装備を背負っているのに、食事を軽視する自分はどうかしている。
そんなに死にたいのか。

 

あの晩、気づいて残りの食糧を書き出して再検討していなかったら、どうなっていたか、分かっているのか。
無謀にも前進して食糧を消費し、甲斐駒を登り返すことは出来たのか。
予定を繰上げて登り返して七丈小屋に辿り着いた時には、途中でカロリーメイトを2袋食べていたから良かったものの、フラフラだったではないか。
明らかに下山時の体の動きが悪かった。
それにお前は気づいていなかったのかと問いたい。
これは誤魔化してはいけない。
本心を自分に問いたい。
これは探検家として活動する前の段階のことだ。
本当に探検をしたいのか。
ただ遊びたいだけなのか、どちらなんだ。

この程度の登山で満足しているようでは、お前には先はない。
夢なんて諦めて、再び心身を拘束される船に戻ればいい。
そうすれば老後の生活が成り立つくらいの小銭は稼ぐことは出来る。
元に戻って主体性のない生き方をすればいいじゃないか。

 

甘ったれるな。
この野郎!
今のお前には真剣さが欠けている。

 

おわり

コメント

  1. ゆうき より:

    よい経験をしたのだと思います。
    私は縦走のときは1日4000キロカロリーを採れるよう準備します。雪山では、行動日が3日程度でも、停滞日など2日分は1日3000キロカロリーを準備します。
    以下、とても参考になる論文です。

  2. より:

    その反省を今後に活かせば良いじゃないですか!小屋建築なんかはしっかり計画して考えてるし、登山も今の反省は次にきっとつながりますよ。

  3. bu より:

    甘えていると感じてもそのままで生きていけるならいいんじゃないでしょうか。
    私は人生って自分の欲望に正直になれた時から始まるんじゃないかと思っています。
    できれば何もしたくない。
    ずっと寝ていたい。
    ゲームしたい。
    おいしいものを食べたい。
    楽にお金を稼ぎたい。
    働きたくない。
    自由気ままに旅がしたい。
    山小屋を立てたい。
    誰とも話したくない。
    年に一回くらいは旧友と飲みたい。
    何かをしたいという欲求と何もしたくないという欲求。
    わがままでいいんです。
    後悔するかもしれません。
    でもどっちみち死ぬ前にもっと自分の欲求に従って生きればよかったとか後悔するのが人間です。
    1秒先の命ですら保証されてる人は誰もいないんだし。
    わがままでいいんだと思います。
    本当に自分を律したいという欲求が出てくるまで無理に変える必要はないと思います。そこに本当の自分の欲求があれば自然と変わっていくでしょう。
    世間体とか今の世界の常識というやつに縛られる人生なんてくそくらえです。

  4. 匿名 より:

    文句言っている人もいますけど、気にする必要ないですよ。
    仕事を辞めたリスクテイクしたのは自身なのですから、
    自己完結で我侭,我道を行くでOK。他人は関係ないよ。
    思うが侭に自由にいたら良いと思います。
    読者の期待や言動に縛られる必要なんてないですよ。
    小屋だって、「良しやるぞ」と気力が爆発するまで、ほっとけば
    良いと思います。義務感で始めても楽しくないと思いますよ。
    己がワクワクするまで待てば良い。
    唯一、
    自身の内省の声は、前に進むための自身の声ですから、
    これだけを自身で反芻したら良いと思います。
    悩みは前進のための小さな踊り場だと思って、前向きに
    気楽に、じっくり考えたら良いと思います。
    時間は死ぬまでたくさんあります。生き急ぐ必要なんてない。
    「人は考える葦」だとパスカルも言っています。

  5. からあげ より:

    >ゆうきさん
    どうもありがとうございます。
    凄く為になるHPを紹介して頂きました。
    早速PDFをダウンロードしました。
    熟読して今後の糧にします。
    >猫さん
    ある意味とても勉強になった登山でした。
    今でも悔しくてどうしようもなくなることもありますが、このエネルギーを次にぶつけようと思います。
    >名無しさん
    貴重なご意見どうもありがとうございます。
    しっかりと頂きました。
    私は心変わりするのは肯定する方です。
    ある時点で決めたことをそっくりそのまま実行するのは、良い面もありますが、しかし、それではより良い方向へと進むための
    思考を停止することにもなってしまいます。
    常に自分を省みて方向性を確認する。
    そして修正の必要性があれば、躊躇わずに行う。
    私はそんな姿勢を大事にしたいです。
    >buさん
    どうもありがとうございます。
    元気を頂きました。
    山に移り住んでからも欲望は留まることを知りません。
    次から次へとどす黒い欲望が湧き起こってきます。
    逆に以前より酷くなったのではないかと思うことさえあります。
    これは自分に正直に生きるのがベターな道かもしれませんね。

  6. からあげ より:

    >名無しさん
    どうもありがとうございます。
    確かに読者の存在を意識し過ぎて苦しくなることもあります。
    過去の言動に縛られて身動き出来なくなってしまいます。
    湧き上がる心の声に従って行動すると爆発的なエネルギーを得られますからね。
    それまでしばらく考えることにします。
    それに近々実家に戻るので環境の変化もあります。
    絶好の機会かもしれませんね。

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