四国遍路を通して分かったこと。

おはようございます。からあげです。

今日からいつもの様に早起きをすることにした。
実家にいるとついつい夜型の生活になってしまい、朝は遅めの起床となって時間を無駄にしてしまう。
早朝の頭が冴えるゴールデンタイムを使わないのは勿体無さ過ぎる。
これからは栄養をしっかりとりつつ、普段の生活に戻して体のリズムを整えてゆく。

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早朝のブログ更新風景

 

今日は私が歩き遍路をして分かったことを書こうと思う。

 

毎日毎日、馬鹿みたいにお寺を巡って歩いて分かったことは、

自分しか頼りにならないということ。

自分の足でゴールに向かって歩いていかなければ、いつまでたっても苦行が終わらない。
左足の脛の痛みのため、大宝寺手前の内子町の花の木公園で休むことにした。
腱鞘炎を完全に治そうと思ったらしばらく歩くのを止めるしか方法は無い。
歩くのを止める。つまり、遍路を区切って一旦家に帰るということになる。

私は探検家人生の行く末を見極めるために、今回の遍路を探検家としての第一歩と位置づけていた。
未開の地を行くためには強靭な体力と精神力を身につけなければならない。
その資質を自分が持っているかどうか見極めたかった。

そのため、野宿の歩き遍路を通しで行うことにした。
敢えて事前に情報収集しないで現地入りしたが、歩き始めて直ぐに靴の選択ミスに気が付いた。
登山靴の硬いソールはアスファルトの道を歩くのには適さない。
しかし自分のミスを認めたくないためにそのまま歩いた。ソールが剥がれてきて履き替えないといけなくなったのは、結果的に良かったのだと思う。
自分の靴の選択ミスで足を痛めたことが分かったが、途中で止める訳にはいかない。
88番の大窪寺まで到達するには歩いて行くしかない。
インチキをしてこっそり電車やバスに乗って行っても読者にはバレないだろうが自分は知っている。
自分を騙すことは絶対に出来ない。

お寺を巡っているとバスツアーや車で遍路している人に大勢会う。というか現代の遍路のほとんどは乗り物に乗ってお寺を巡る。参拝客が祈願したお札を見てみると圧倒的に家内安全や健康を願うものが多い。
自分の足で歩かずに健康を願うとは何事かと叱ってやりたくなる。
狭い山道を車でぶっ飛ばしてやって来ては本堂と大師堂のみ賽銭を放って納経所に駆け込み朱印と墨書きを貰って満足そうに帰ってゆく。その後姿はなんとも情けない。
大きなバスに揺られてお寺までやって来ては遍路のコスプレをして車内から出てくる賑やかな集団。
駐車場から本堂までのほんの僅かな距離でも息が上がってしまい途中休まなければならないとは情けない。
神仏にすがる横着人間を見る度に嫌悪感が湧き起こった。

自分を叱咤激励して歩き続けていれば必ずゴールが見えてくる。足の痛みに耐えて歩き続けていれば次第に麻痺して痛みも薄れてくる。
一旦歩みを止めてしまうと再び歩き始めるには膨大なエネルギーが必要となる。
二日間停滞した公園を出発する時、もう1泊した方が足が良くなるのではという悪魔の囁きに心を奪われそうになったが、振り切って再び歩き出した。
歩き出すと痛みはあったが歩けないほどではない。ペースを落として無理をせずに歩き続けるほうが良いということに気が付いた。

自分のみを頼って歩いていけば必ず目的地に到達する。
必ず思わぬ助っ人が現れて手助けをしてくれる。
一歩一歩確実に距離を縮めていけば必ず目標を達成できる。
夢を夢として終わらせるのではなく、自分の力で進み夢を現実化させる。

サラリーマンを辞めたことで私の人生は大きく変わり始めた。

 

おわり

コメント

  1. チュウ より:

    明日は我が身なのに、足腰の弱い人を嫌悪しちゃいけません。

    バスの団参だって、マイペースで肉体疲労だけの歩き遍路とは又違った苦労があります。
    バスの中の人間関係、眠いのに隣の人が話しかけてくる、嫌いな食事、宿坊のイビキ、神仏巡りなのにと思うことばかりです。

    楽しいこともありますよ、室戸、足摺に向かうバスの中のカラオケとか、それだって、うるさく感じてる人いると思います。

    御利益願ったっていいじゃありませんか、その為にお寺があり、取次するお坊さんという職業があるのですから。
    自分の弱さを知ってる人が、強い人だと思いますよ。

    • karaage より:

      まだ元気なうちから楽をしていたので、足腰がガタガタになって歩けなくなった人達が多いのではないでしょうか。医療費の増大も怠惰な生活の結果です。

      車遍路の人と話す機会がありましたが、彼らは決まって歩かない言い訳をします。
      正直に面倒だとか嫌いだと言えばいいのにおかしな御託を並べます。
      私はそんな人達のことが嫌いでなりませんでした。

      車を使った遍路は観光が主で修行的な要素がありません。それを身なりだけで誤魔化そうとするのです。私はそういう人達とは距離を置きたいですね。

      • チュウ より:

        遍路にはいろいろな人がきています、アウトドア主体の人とかね。

        出会った人の上の方に自分をおく。上から下の方を見下ろす。
        相手の髪の毛だけが見えて来る。
        格の高い人間は、すべて人の汚いところが気にならない、むしろ労りの心、子供の頭をなでるような、豊かな心を持っています。

        人の欠点のみが気にかかる、自分の欠点が見える位置に自分がいるということに気が付かないといけません。

        他人の一切をまず許す、そうでないと自らの運命を狭めますよ。

        もう一回りせよといったのは、大いなるものに抱かれその愛を感じ、四国遍路の醍醐味を味わってないから云ったのです。

        • karaage より:

          自分の傲慢さに嫌悪しつつも自分の足で歩かない、歩く気すらない遍路の人達を見下していました。
          今の私に欠けているものの一つが寛大さですね。
          時間に追われて先を急いでいたので特に悪い自分が出ていたと思います。

          この件をブログに書こうか迷いましたが、やはり書いてしまいました。
          遍路中にいつも思っていたことで書かないわけにはいきませんでした。

          今後の活動を通して自分の心身を鍛えてゆきます。

  2. yuutan より:

    からあげさんの人間力は凄いです。尊敬します。

  3. まあ より:

    傲慢になるほど抜きん出た体力も、精神力もないとおもうけど。
    あなただって最初にたてた縛りも結局全部破ったわけだし。怠惰な生活
    っていうけどさ、金けちって袋ラーメンばかりはいいの?自分の言い訳には
    寛容なんだから他人の事情も考えてあげたらいいじゃん。
    それにお遍路、結願っていうならお寺の開いてる時間にいこうよ。
    お遍路コスプレも言いすぎ。ケチッて買わなかっただけだろ。あなたが無駄って
    決め付けてる納経代なんかも遍路道の整備なんかにも使われて、みんな安心して
    歩けるんじゃん。いい年なんだからさ。そんな青臭いこと言わないでよ。

  4. 一人で出来るもん より:

    チュウさんのお話を聞いて,お遍路に出たくなりました。
    たぶん自転車になるとおもいますけど。

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