安倍城鉱山跡を調査する

こんにちは。からあげです。

 

今日は曇りで涼しいと思いきや次第に雲が晴れて日差しが降り注ぐようになった。
天気図を見ると昨日まであったはずの熱低が消滅してしまっている。
晴れたら一気に暑くなって汗が吹き出した。

 

今日はちょっとした気になるポイントがあって調査してみることにした。
事前にむつ市の図書館で資料を漁って情報を仕入れておいた。

それでは前置きはこれくらいにして順次アップしてゆこう。

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むつ市から海岸沿いの国道338号線を西へ走り、川内(かわうち)から県道46号線を北上する。
老人ホームせせらぎ荘手前に安倍城(あべしろ)集落への入り口がある。
標識を過ぎると右へ折れる。

 

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鉱山跡への入口を探しながら車を走らせていると県道に出てしまった。
鉱山跡へは左奥に延びる未舗装の林道をゆく。

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県道からの入り口には、目立たない標識が立てられていた。
景色に同化して非常に分かりにくい。

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鉱山跡へと向かう林道。
状態はよく走りやすい。

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県道入口から200mほど進むと左手に分岐あり。
分岐の右手には廃屋がある。

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この分岐の標識はよく目立つ。

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先ほどの分岐から50mほど進むと左手に2台分の駐車スペースあり。
上空に送電線が通っているので、電力会社が巡視のために手入れしていると思われる。

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今回の調査のために、事前に用意した資料。
新聞の切り抜きや略図などをコピーしておいた。

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安倍城鉱山鉱床及び精錬所位置図

北の方角が示されていたので、だいたいの位置関係を知ることが出来た。
いつの時代のものかは不明。
(精錬所が稼働していた大正元年(1912年)頃にものと思われる。)

ここで安倍城鉱山(あべしろこうざん)について説明しておくことにしよう。

 

戦争で脚光を浴びた鉱業

「上北・下北の歴史」(郷土出版社・2005年11月発行)

 

安倍城鉱山と上北鉱山

安倍城鉱山は銅山として第一次世界大戦が始まった大正3年(1914)から6年にかけてピークを迎え、同7年の戦争終結とともに下降線をたどった。
安倍城鉱山は、かつて下北半島の西部、むつ市川内町の国有林内に所在し、明治42年(1909)から大正14年まで創業した銅山である。
大同年間(806~810)の開坑という伝承もある古い鉱山で、南部藩の史料に貞亨元年(1684)に銀鉱脈の発見を伝えているのが同鉱山に関する最も古い記録である。

近代の安倍城鉱山は明治38年の硫化鉄鉱の発見に始まり、同42年には東京の田中鉱業により優秀な黒鉱鉱床が発見された。黒鉱とは銅、鉛、亜鉛を主体に金、銀も豊富に含んでいる優れた銅鉱石といわれている。大同坑や松、竹、桜、釜、姫と名付けられた坑道が次々に掘削され、最後には露天掘りによって大規模な採鉱が行われた。

大正元年(1912)には製錬所が設けられ、精錬された粗銅は型銅という均一の製品として生産され、主としてロンドンに輸出された。大正6年の生産量は金145キロ、銀1万601キロ、銅3143トン、生産額は350万円(推定)とされている。銅山の従業員は職員111人同家族168人、鉱員1387人同家族1577人であった(「東奥日報紙」より。)これにより川内村は町制を施行することとなった。当時、青森県下では青森市、弘前市、八戸町の順で人口が多かったが、川内村は1万2707人を数えて4番目の人口の町に列したのである。その一方で、煙害が発生し深刻な社会問題を引き起こしたことも記憶されなければならない。

昭和20年、戦争終結とともに金属鉱山はかつての花形産業の地位から転落したが、やがて食糧増産の国策により化学肥料の硫安の生産が求められた。戦後は硫化鉄鉱山として復活を果たしたのである。

安倍城鉱山の部分だけ抜粋

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調査に使用するおもな道具

略図とコンパス、グローブ、ヘルメット、ヘッドランプ、登山靴

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ウオーキングシューズだと防御力が弱いので普通の軍足の上から登山靴を履いた。
これでヤブの中にガンガン入ってゆくことが出来る。

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さあ調査を始めるとしよう。
駐車スペースから奥の方にゆく。
入口と書かれた標識が立てられていた。

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しばらくゆくと二股となっていた。
右の方に入口と書かれた標識があったので、右の方に入ってゆく。

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現れたのは煙道の一部

精錬工場から排出された排気は、山の斜面に設けられた煙道を通り上部の煙突から大気に放出されていた。
有毒な煙を吸わないためと排気効率を上げるためには高い煙突が必要、しかし建設に多大な費用が掛かるので、斜面に煙道を作って低い煙突に導いた模様。

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煙道内部は随分と高さがある。
排気は手前と右手の方から合流し上部の方に流れて行った。
略図でいうと煙道11と12の合流部分。

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崩壊した煙道。
現存する煙道はほんの一部分のみ。
朽ち果てたレンガとレンガに生えた苔が時の流れを思わせる。

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上部から下部の方を写す。

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煙道の外側はコンクリート製、内部にレンガが貼り付けられている。

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耐熱のために貼り付けられたレンガの多くは剥がれ落ちてしまっている。

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幾重にも貼り付けられていたレンガ。

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先に進むと山の斜面に煙道の一部分が見えた。
こちらからだと狭くて入れないので反対側に回ることにした。

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反対側から入ったところ。
奥に見えるのが先ほどの画像。
ヘルメットにヘッドランプを装着して点灯させて中に入った。
内部のレンガが随分と崩れている。

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煙道内部は逆U字の縦長のトンネルとなっていた。
入って来た方向を写した。

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中に入ってゆくとバタバタと何かが飛び立った。
なんとコウモリだった。
1匹だけ天井にぶら下がっていた。

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長居すると生き埋めになりそうで怖いので調査が終わると外に出る。

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入った穴。
ほとんど土砂に埋まってしまっている。
草木が生えたら見つけにくくなるだろう。

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道は奥へと延びていたので先に進む。

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すると煙突が木々の合間から煙突が見えてきた。

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右に見えるグレーのものがコンクリート、左がレンガ造りの煙突だ。

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レンガ造りの煙突。

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コンクリート造りの煙突。

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この写真は資料に添付されていたもの。
1921年ころの操業中の鉱山の様子。
煙突は3本あって真ん中にある一番高い煙突が現存するレンガ造りのものだ。

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レンガ造りの煙突の下の方には膨らみが見える。
今でもこの膨らみが確認出来る。
途中で折れて短くなってしまったようだ。
右のコンクリート造りの煙突は当時のままだ。

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煙突の位置図

煙突は全部で3本あって、左が倒壊して残っていない、真ん中が途中で折れたレンガ造りのもの、右がほぼ当時の姿で残っているコンクリート製のもの。

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2本の煙突を過ぎたところに広場があった。
ここでザックを下ろして調査の準備を始める。
ヘルメットを被り、長袖のウインドブレーカーとグローブを着用する。

ついでに立て看板も見ておこう。

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精錬所内部の写真

溶鉱作業の現場

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稼働中の精錬所風景

周辺ははげ山となっている。(大正6年頃)

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西方から見下ろした製錬所

西又・岩滝両鉱山からの鉄索道も見える。

索道とは空中に渡したロープに吊り下げた輸送用機器に人や貨物を乗せ、輸送を行う交通機関です。
 

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ではまず始めにコンクリート製の煙突の調査。
ヤブをかき分けて煙突に取り付く。

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煙道入口から煙突内部に入る。
こちらの方はコンクリートの表面から剥がれ落ちた砂利が下に落ちているのみ。

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煙突出口を見上げる。
表面は意外になめらか。

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煙突内部から煙道入口方向。

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煙突に至るまでの煙道は完全に崩壊してしまっている。
草木が生えて自然に帰ろうとしていた。

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さてお次はレンガ造りの煙突の調査を行う。
見た感じかなり傷んでいるので、まずは近寄って大丈夫か周囲をチェックする。

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上部の方はかなりヒビが入って歪んでいる。
しかし、今すぐに崩れることはなさそうだと思った。

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意を決して煙突に近づく。
煙突の上部から下に向かって縦に亀裂が入っていた。

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煙突入口。
煙道との接続部は崩壊してしまっている。

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下側に僅かに残っている煙道部分。

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中に入って煙突出口を見上げる。
両側に亀裂が2本入っているのが見える。
そのうち縦に真っ二つに割れて崩れてしまいそう。

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煙突内部に堆積するレンガの山。
ここは危険な場所で長居は無用だ。
とっとと出ることにしよう。

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外に出るともう一度煙突をチェック。
煙突の外側には途中から鉄ハシゴが取り付けられていた。

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レンガ造りの煙突にある膨らみ。
ここが特徴となっている。
強度アップになっているのだろうか。
黒っぽいレンガが使用されている。
下の方は四角い凹みが作られてデザイン性も向上させている。

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コンクリート製の方は、ドーナツ型のモノを積み重ねていると思いきやよく見ると、コンクリートブロックを積み重ねて作っている。
長方形のものを縦に積み重ねている。
内部はブロックの上からコンクリートを塗り重ねて滑らかにしたのか。

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広場から向こう側に下っているところ。
下には割れたレンガが散らばっていた。
折れたレンガ造りの煙突か、完全に倒壊してしまった煙突の一部なのか。
この時点ではよく分かっていなかった。

分かっていれば、倒壊してしまった煙突の残骸を探そうと思ったことだろう。
ちょうど日が照って暑くなってきたところで、ヤブに分け入って探すのは大変だったと思う。
分からないで良かった。

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さらに下ってゆくと二股のところに出た。
取り敢えず、煙突の調査はこれで終了。
続いて下の方の製錬所跡がないが調べてみることにする。

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車はそのまま置いておいて、駐車スペース入口の分岐までやってきた。
この廃屋は営林署のもの。

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入口に鍵が掛けられていたので、窓越しに中を覗いてみる。
すると中はがらんどうでここ最近全く使われた様子はなかった。

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廃屋の裏手に黒っぽい山があったので登ってみた。
ああこれが残滓(ざんし)置き場なのかと思った。

さらさらと砂山のような感じで歩くと足が少し沈む。

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上の写真は下側の丸で囲った残滓置き場と思われる。

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奥へと歩いてゆく。
僅かながら踏み跡が見える。
残滓置き場の横には安倍城沢が流れている。

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目の荒い砂のような上にところどころ大きな石が落ちている。

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残滓のようすをアップで撮影した。
保水力はなくて草木が生えないわけだ。

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奥の方へゆくとようやく草木が生えている場所に辿り着いた。
鉱石を掘り出した坑は既に埋められているという。
もう見るべきものはないだろう。
ここで引き返すことにした。

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引き返す途中、安倍城沢に架かっていた丸太橋を渡る。
先ほどの踏み跡はこの橋を渡って送電線の鉄塔の方に向かっているようす。
この丸太は昔の電信柱だ。
なんとも懐かしい。

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安倍城沢の岸は工事が行われてコンクリで固められている。
川床の石がなんだか茶色っぽい。
銅鉱石の成分によるものなのかは不明。

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さあて取り敢えず廃屋まで戻るとしよう。
空は晴れ渡ってかなり暑い。
雨だと鬱陶しいし、かと言って晴れると凄く暑い。
もう早く秋になってくれ。

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廃屋の前面の林道を奥の方に歩いてみた。
すると水道施設があった。

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なおも奥へと歩いていったが、どこまでも続きそうなので、ここら辺で引き返すことにした。
100年ほど前の製錬所の建物などはもう残ってはいないだろう。

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今度は廃屋から県道の方向に歩いてゆくと、県道に出るすぐ手前の右手にフラットな空き地があった。
短い草しか生えていない。
わざわざ草刈りしたようにも見えない。
ここも残滓置き場なのだろう。

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奥へゆくと全く草が生えていない場所に辿り着いた。
100年近く経っているというのに草が未だ生えないとは。
こんな土地を耕しても農作物は出来ないだろう。
誰からも見捨てられた残滓置き場。

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大雨が降ったら、周辺一帯は水浸しになりそう。
さらさらとした黒っぽい砂のような土だ。

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県道を渡って川内川までの周辺を調査。
鉱山施設は全く見当たらなかった。
別荘のような建物がポツポツと建っていたのみ。
昔はここに両院や劇場、商店街もあったというんだから凄い賑わいだったことだろう。

山の方を見るとレンガ造りの煙突の先っぽが僅かに見えた。

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最後に略図に山神社と記されていた神社に訪れてみた。
すると建て替えたばかりの真新しい社殿が建っていた。

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綺麗さっぱりとなってしまって当時の面影は全く残っていない。

 

気軽な気持ちで記事を書き始めたが、いろいろ調べたり考えたりして凄く時間が掛かることが分かってきた。
中途半端な記事にしたくはないので、今日はここまでとして後日、加筆を加えることにしよう。

どんどんと仕事が溜まっていっているような気がする。
いや、気のせいだ。
やる気になれば、すぐに片付く。

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良い感じのところに日陰を見付けたので、ちょっと昼寝をしてからずっと記事を書いていた。
暑いし疲れてきたので、今日はこれまで。

さあて飯にするとしよう。

コメント

  1. 一式陸攻 より:

    今日は、探検していますね。

    安倍城、鉱山、今にも崩壊しそうで危ないですね。隊長の装備もいいっすね。
    まだ、むつ市は、気温が高いようで、隊長の心労が伝わります。

    この調子で、夏休み心霊企画、雫石の慰霊の森で探検、車中泊なんかしたらPVも軽く100万超えそうですね。

    それより、最近は、どんな、晩飯を喰っていますか?

    • karaage より:

      昔、雫石に飛行機が落ちたのですね。
      全然知りませんでした。
      私はそういう場所に冷やかしで行くことは嫌いです。

      いつもと変わらない玄米ご飯です。

  2. 一式陸攻 より:

    隊長は、信心深い人ですね。

    雫石は、本当にやばい場所です。

    隊長の食事に関しても毎日、贅沢をせずにマイルールで玄米食を続けるから旅が続くのでしょうね。

    爆弾台風、低気圧と乗り切ってください。

    • karaage より:

      昨日、前線が通過してすっかり涼しくなりました。
      暑さはなんとかなりそうです。

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