PCT2017スルーハイクの記録~森と湖のOregon編 その2~

こんにちは。からあげです。

ついうっかりしていると、PCTまとめ記事の更新を忘れそうになる。危ない危ない。
記事を作成していて気が付いたのだが、スタートしてから何日目という見出しの表記。日数が合わなくなってしまった。
2017年4月26日(現地時間)にMexico国境をスタートし、同年9月15日にゴールのCanadaに到着した。日数は143日間。恐れていたことが起きてしまった!

まあいい。日数なんてただの目安に過ぎない。歩いている最中に何日目なんて数えていた訳ではない。あと何日歩いたら町に着くかと、指折り数えていただけだ。常に飢えていた私は、開始してからの日数なんて全く興味がなかった。

そう数字なんてただの記号だ。人生に大した意味があるわけではない。

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Crescent Lake(1905.4mile)からSisters(1998.4mile)まで
8月10日(木)~8月13日(日)

行程 93mile

8月10日 1905.4mile~1934mile 28.6mile
8月11日 1934mile~1962mile 28mile
8月12日 1962mile~1992mile 30mile
8月13日 1992mile~1998.4mile 6.4mile

Crescent Lakeから戻ってくると激しい雷雨に遭ったが、砂利置き場の建物に逃げ込んで事なきを得た。ツエルトでやり過ごすことになっていたら、水浸しで寝るどころではなかっただろう。ダンプカーが出入りできるように大きな口となっていたため雨が吹き込んできたが、2重の堤防を作ることによって雨水を防ぐことができた。

Crater Lakeを出てからというもの、ほぼ毎日午後から雷雨に襲われるようになった。そのため、雷雨のやり過ごし方が少しずつ分かってきた。実は私、雷が怖くてこれまで天気が悪い時はほとんど歩いたことがなかった。小さいころは雷が近くで鳴り出すと、布団を被って震えていたこともある。

クロスカントリースキーのコースにもなっているトレイルを歩いてゆく。
スタート直後から始まった上りで、Oregonに入ってから杖を使っていなかったことに気がつく。そこで途中で枝を拾って杖2本を作った。この時作った杖をゴールのCanadaまで持って行った。

坂を上りきり大きなLower Rosary Lakeに辿り着いた。昨日の大雨のため水が少し濁っていた。湖畔のキャンプサイトには数張りのテントが点在していた。昨日の雷雨は大丈夫だったのだろうか?

1912mile付近、PCTから少し外れた場所に避難小屋があった。登山口からおよそ6mile、3時間の場所だった。

小屋はログハウスで屋根には杉の皮のようなものが敷き詰められていた。非常に趣のある小屋だった。これぞセルフビルドだ!

中は広々、土間と板の間が半々になっていて、土間の壁際にベンチが設置されている。板の間にシートを敷けば快適に眠られそうだった。

土間の中央に分厚い鉄板製の薪ストーブが設置されていた。置かれている薪はよく乾燥していた。

小屋の明かり用に、小型のソーラーシステムが設置されていた。
私はJimnyのルーフに付けていたため、仕組みがよく分かる。残念ながら、スマホ充電用のACコンセントは設置されていなかった。

小屋の前の丸太のベンチで一休み。

丸太を横に寝かすと大人数が座れるベンチになる。日本では玉切りした丸太を縦に置かれていることが多い。一見、横向きは座りにくいように見えるが、縦のものより遥かに座りやすい。

大きな岩にペンキで落書きされていた。

???
Bcruel
Boy Scouts
AUG 2 1960 Eugene

なんと50年以上前に書かれたものだった。Eugeneのボーイスカウトたちが歩きにきたのか?

山火事跡を通る。疎らに生えている下草の中から幼木が生えている。Oregonにもこうした広大な山火事跡が広がっていた。

17時30分過ぎから雷が鳴り始め、次第に接近してきたため、18時20分ころトレイル脇にツエルトを設営する。すると設営して10分後に雨が降り始めた。

この日、早めに切り上げたにも関わらず、杖を使い始めたため距離が意外に伸びた。このことから杖は非常に有効だと思えた。長い間杖不要派の私だったが、これを機に杖絶対必要派に転向したのだった。

昨日、設営直後から降り始めた雨はパラパラ降ったのみで、雷は1時間もしないうちに鳴り止んだ。ツエルトは夜のうちに乾いた。朝から蚊の大群に囲まれたため、超特急で撤収し逃げるように出発した。

湖で倒木を利用して水を汲む。水際は泥濘んでいて靴が汚れるため、倒木の上を歩いて水深の深いところまでゆく。

3Sistersという三姉妹の山が見えるのだが、山火事の煙で霞んでしまってよく見えない。午後を過ぎると毎日恒例で怪しい雲が出てきた。

次第に3Sisterの山から雲が湧き出していた。魔女が魔法で雲を出しているかのように見えた。14時過ぎ、雷がゴロゴロと鳴り始めたので、早々にツエルトを張り避難したが、すぐに鳴り止んだため14時40分過ぎ撤収し出発した。

その後、夕食を済ませて歩いていると、再びゴロゴロと雷が鳴り始める。ちょうど何もない平原を歩いていたところだったので、早歩きで歩いていたのだった。

何もない平原は3mileにも渡り続いた。ようやく樹林帯の中に入るとホッとした。ちょうど近くで休んでいたSouth Boundの女性ハイカーから、前方のLinton Springs付近で新たな山火事が発生しているとのことだった。無線機を持ったパークレンジャーが交信していたそうな。

PCTは閉鎖かどうかは不明だった。その後、South Boundのハイカーが3名ほど下ってきたので、たぶん通れるだろう判断した。山火事の手前でキャンプして翌日早朝一気に通過することにした。

19時前、1962mile付近でツエルトを設営した。雷雨に備えてツエルトのサイドリフターを張っておいた。その後、雨が降り始め雷が鳴り始めた。すぐに鳴り止んだあと、深夜に至近距離で落雷があった。閃光とともに爆音が轟いた。

5時15分起床、5時45分出発

3mile先のLinton Springs付近で発生した山火事を一刻も早く通過するため、いつもより早起きして早めに出発した。近づくにつれて周囲は煙で白くかすみ始めた。

その後、何事もなく山火事を通過した。煙が立ち上っているようすは確認できず。無事通ることができてホッとする。

1969mileから1971mileまでのキャンプの特別許可証が必要なエリアに入ると、ところどころ黒曜石の石の塊が落ちていた。

これが黒曜石の大きな塊。欠けたところが黒っぽくなっている。

黒曜石は割ると角が鋭くなるため、大昔に矢じりや斧に使われていた石。小学生のころ、郷土クラブの時間に矢じりを作った記憶がある。

周囲は火山地形に変わりゴツゴツした岩場が広がり始めた。

見渡す限りゴツゴツした岩場となっていた。荒涼とした風景、地獄のようだった。日本では賽の河原と言われたりする地形だ。

遠くの山に新たな山火事現場を発見する。毎日のように雷雨があるため、あちこちで山火事が多発していた。毎日電波圏外のトレイルを歩いていたため、どこで山火事が起きているのかさっぱり分からない状態だった。

14時過ぎ、McKenzie Pass近くのHwy242を横切る。道路脇に昼寝をしているハイカーの一団がいた。迎えに車を待っているのか、はたまたヒッチハイクに疲れてしまったのか、よく分からなかった。

Hwy242東に下ると、Sisters、そしてBendの町に行くことができるが、交通量が少なくヒッチハイクするには厳しい状態だった。行きは奇跡的に成功しても帰りが難しく思われた。ヒッチハイクは常に帰りのことも考えてしなければならない。安易にするとあとでひどい目に遭うことだろう。

McKenzie Pass過ぎのフラットな木陰で昼寝する。杖を使い始めてから距離が伸びるようになり、昼寝をする余裕が生まれていた。歩く時は真剣に歩き、休む時はシートを敷いて横になりしっかり休む。メリハリが非常に重要だった。

McKenzie Passを過ぎても荒涼とした地形が続く。遮るものは全くなく強い風が突きつける。ここで雷雨に遭わなくて良かったと心の底から思った。

この周辺には水場がないため、手前の貴重な水場(小さな湖)でたくさん汲んできた。

僅かに生えている木は自然の厳しさに耐えかねて枯れてしまっている。

ゴツゴツした岩場の道を峠まで上り切ると、前方にひときわ目立つMt.Washingtonが見えた。天空にそそり立つ勇姿に非常に励まされた。ただ、山火事の影響で霞んでしまっている。

2017年は大雪に加えて山火事が例年になく多い年だった。天気が良いのにも関わらず、煙で景色がぼやけて見えるのは残念でならなかった。

山火事で焼け野原となった森林

Mt.Washington南側からBig Lake Youth Campにかけての広大な森が焼けていた。地図を見てイメージしていたのとは全く違う景色が広がっていた。遮るものは全くなく強風が吹いていた。

Mt.Washington近くで発生していた山火事。トレイルからすぐ近くだったが、閉鎖されてはいなかった。周囲のハイカーたちは山火事には慣れているようすで、たいして気にしたそぶりはなくマイペースで歩いていた。

19時30分ころ、Big Lake Youth Camp手前、1992mile付近でキャンプした。翌日、Sistersの町に下りるため、無理をせずに7mileほど残しておいた。

Big Lake Youth Campへ自分で食料を送って補給することもできたが、食料の購入から箱詰め、発送までの手間を省くために、Sistersの町に下りることにした。異国の慣れない町ではかなり面倒な作業だ。

アメリカ人ハイカーは、自宅から自分で前もって送ったり、家族や友人に頼み送ってもらってたりしているようだった。

ツエルトの中で、もはや恒例となった靴下の修理を行う。縫っても縫っても別のところに穴が空いてきた。修理ばかりしているため、糸の残量がかなりの勢いで減っていった。

Crescent Lakeを出て4日目、起床する少し前からぽつりぽつりと雨が降り始めた。始めポンチョ無しで歩いていたが、次第に濡れて体が冷えてきたのでポンチョを着て歩いた。小降りの雨はカッパを着ようか着まいか非常に迷う場面だが、ポンチョのように通気性がよく蒸れにくい構造の雨具だと気軽に着ようという気になる。

珍しくトレイル上にクマの糞が落ちていた。これほど堂々とするのは珍しい。

ドローン禁止の貼り紙

どこでもドローンは嫌われ者。ビィ~ンという、あの独特のプロペラ音が耳障りだ。

9時前にSisersへのヒッチポイントとなるHwy20に到着した。

杖を茂みの中に隠し、ヒッチハイクを開始する。小雨が降り続いているため、ポンチョを着ながら行った。久しぶりにバックパックを背負いながら行ったため、ストラップが肩に食い込みキツかった。

Sisters(1998.4mile地点) 15mileヒッチ

Oregonでは数少ない大きなトレイルタウン。大型のスーパーマーケットや、ディスカウントショップ、アウトドア用品店などもあり、たいていのものは揃う。公園内のキャンプ場にはハイカー専用サイトがあり1泊$5で泊まることができる。

通行車両はそこそこ多いものの、ドライバー達の反応が悪く、かなりの苦戦を強いられた。久しぶりにヒッチハイクをすると、反応のあまりの悪さに愕然とした。それでも50分ほどすると、Portlandからハイキングに来たというスバルフォレスターの老夫婦に拾われた。スバル車の乗り心地に満足しているようで、「なかなかいいだろう?」と聞かれた。確かにアメ車とは違い非常にマイルドな乗り心地だった。

町に入ってすぐのショッピングセンターで下ろして貰うと、大通りに沿って町の中心部に向かって歩いていった。ちょうど町は夏休み真っ盛りの週末でかなりの賑わいをみせていた。信号のない大通りが町の南北方向に突き抜けていて、たくさんの旅行者の車が行き交っていた。

アウトドア用品店でガスカートリッジを購入してから、レストランに入り食事をする。珍しく料金前払いの店だった。賑やかな店内を出て外の開放的なテーブルについた。お腹がペコペコで非常に待ち遠しかった。料理が出てくると、貪るように食べてあっと言う間に平らげてしまった。

Sistersの町は規模は小さいがかなり華やかだった。Oregonで寄った町の中では、一番の規模だった。Oregonの終わりにあるCascade Locksはかなりの田舎町、Sistersとは雰囲気がかなり違う。こんなことを言って申し訳ないが、Cascade Locksには華やかさがない。

Sistersからおよそ20mile南にはBendという大きな町もある。Sistersの町でゼロデイをとった時にでも、気分転換に行ってみるのもいいかもしれない。

Sisters City Park Campground

町外れの公園にあるキャンプ場。敷地は広大で非常に開放感がある。
Creek沿いにハイカー専用サイトがあって1泊$5というリーズナブルな料金で宿泊できる。

料金 1泊 $5
トイレ・シャワーあり、AC電源・Wi-Fiなし。
 
公園入口のようす
 
 
屋根付きの橋を渡りすぐ左側がハイカー専用サイトとなっている。キャンパーの他に公園に遊びに来ている人もたくさんいる。
 
 
料金支払い所
 
料金はセルフサービスで支払う。お金は料金箱に直接投入するシステムとなっている。
 
 
トイレ兼シャワー棟
 
シャワーは2分で¢25、細かい小銭がない時はキャンプホストのところで両替してもらう。
トイレは反対側にある。水洗でとても清潔だった。
 
 
受付を済ませてツエルトを設営する。
 
何組かのハイカーがキャンプしているのみ、意外に少ない印象だった。この先、Sistersの町を出ると山火事閉鎖区間があり、かなりの距離の迂回が必要だったことが影響していたかもしれない。
サイトは広大で隣と十分距離をとれるため、リラックスできてとてもいい。松林となっていて木陰ができるのもいい。休養日をとるのにぴったりなキャンプ場だ。
 
 
格安でシャワーを浴びれるのに、公園内を流れるCreekで水浴びと洗濯を行った。普段川で水浴びすることに慣れていると、自然とやってしまう。終わってからシャワーを浴びて体を綺麗にすれば良かったと思ったりもした。私には汗を流せて衣類がそこそこ綺麗になれば、それで十分だった。
 
 
トイレのコンセントでモバイルバッテリーを充電していると、充電器ごと盗まれるという事件が発生した。公園にはキャンパーの他に一般人も入り込んでいる状態だったため、普段より警戒するべきだった。いつもの調子で充電して被害にあった。
South Lake Tahoeの町でソーラーパネルを処分してからは、町に下りた際にお店で充電しなければならなかった。荷物を軽量化できた反面、町に依存しなければならない不便な日常を送っていたのだった。
 
充電器がなくなりモバイルバッテリーに充電できなくなったため、とりあえず町のディスカウントストアで1ポートのUSB充電器を手に入れた。USBコードは2本持っていたためOKだった。モバイルバッテリーは大きいわりに容量が小さいものばかりしかなかったため、充電器と一緒にAmazonで買うことにした。
 
Amazon購入

USB2ポート充電器、モバイルバッテリー(6700mAh) 約$30
Cascade Locks Ale Houseに発送(送料無料の通常配達)

 
 
購入したUSB充電器とモバイルバッテリーを繋いだところ。
 
治安の悪いアメリカでは気を抜くと物をすぐに盗まれる。充電器とモバイルバッテリーは消耗品と割り切り、予備を持っておいた方がいい。充電中その場を離れるときは、スマホは必ず持ってゆくようにしたい。モバイルバッテリーなら盗られても、すぐに替えを手に入れることができるが、スマホは簡単には手に入らない。SIMカードの契約もする必要があり、非常に面倒なことになる。英語をほとんど話せない私の場合、お手上げ状態となる。
 
 
盗られたあとは、キャンプホストのところでモバイルバッテリーを充電させて貰った。ただ、度々頼みにくることになり、少し気まずい思いをした。ハイカーサイトに充電スポットがあれば、スマホを使いながら充電できたのに。
 
 
スーパーマーケットまで行って食料の買い出しを行なった。歩いて20分ほどで程よい気分転換になった。

午後になると高確率でやってくる雷雨、そして落雷により山火事が続々と発生していました。山火事迂回は、たいてい舗装路を歩くことになるのですが、通行車両に気をつける必要があるし、路面が固くて足が痛くなって辛いです。PCT DAYSは諦めてのんびり行く予定でしたが、山火事のため先を急がなければなりませんでした。
アメリカでの生活にも慣れて油断していました。キャンプ場のトイレのコンセントでモバイルバッテリーを充電していたところ、盗まれてしまいました。頭をフル回転させて、どうこのピンチを乗り切るかと、必死になって考えました。

8月14日 休養日(ZERO DAY) Sistersにて

 
Sistersでは休養日を1日とり、食っちゃ寝をしてダラダラ過ごした。
スマホで情報収集しつつ、今後のルートの検討をした。
 
Sistersからは山火事でトレイルが閉鎖となっていて迂回路を歩かねばならなかった。途中で食料を補給ができるか、水場はあるかなど、スマホの地図アプリを見て研究した。Trail Angelが閉鎖区間の終わりまで送ってくれるそうだったが、全区間自力踏破にこだわる私は有り難い申し出を断った。他のハイカーとはほとんど会話をしなかったので、どうしたのかは不明。ただ、迂回していた時にほとんど見かけなかったので、多くのハイカーはスキップして行ったようすだった。
 
 
町の中に日本テイスト溢れる風呂桶があった。思わず飛び込んで入りたくなった。
 
 
キャンプ場から歩いて5分のところにコンビニあり。サンダルで歩いて行って冷たい飲み物と食べ物を手に入れた。ハイカーにとって、歩いてすぐのところにあるのは非常に嬉しい。町のコンビニが冷蔵庫代わりとなる。ただし、お金は必要だが。
 
 
 Trailでの負担を少しでも減らそうと、休養日に装備のメンテナンスを行っておく。Sierraを終わってから気になり始めたバックパックのストラップの付け根を糸で縫って十分補強しておく。
新しいバックパックを買おうかと弱気になったこともあったが、修理を重ねてゴールのCanadaまで持たせることができた。PCT終了後から1月の放浪の旅を経て現在に至るまで、常に使っている。大がかりに手を加えればまだまだ十分使える状態だ。恐るべしレイジャーディンパック。
Sistersのキャンプ場でZero Dayをとって余裕が出てきました。キーボードを処分してからは画像中心のブログ更新でストレスが溜まっていました。Trail復帰前に思っていたことを素直にぶちまけました。

Sisters(1998.4mile)からOlallie Lake Resort(2043.1mile)まで
8月15日(火)~8月17日(木)

行程 44.7mile

8月15日 1998.4mile~山火事迂回 ???mile
8月16日 山火事迂回 ???mile
8月17日 山火事迂回~2043.1mile ???mile

8月15日 6時起床、6時45分キャンプ場出発

町外れのキャンプ場から反対側の町外れのヒッチポイントまで歩くとおよそ30分ほどかかった。途中でショッピングセンター内のスーマーマーケットに立ち寄る。アメリカのお店は朝だけは早い。McDonaldに寄ったが、朝のショボいラインナップしかなく食べる気が失せた。

フライドチキンとサンドイッチでおよそ$10。Trailに戻る前にお腹いっぱい食べておく。
ボリューム満点のフライドチキンにおっさんも大満足だ!

8時ころ、町外れでヒッチハイク開始。なんとか45分で成功した。載せてくれたのは、道路工事の現場監督だった。

早朝からすでに作業は始まっていたが、彼は気にする様子はまったくなく、安全運転でゆっくり車を走らせた。工事現場を通り過ぎPCTのトレイルヘッドで私を下ろすとUターンして走り去っていった。

先日通り過ぎたMt.のWashingtonは未だに煙に包まれて霞んでいた。

歩き始めるとすぐに山火事によるPCT閉鎖の案内板あり。ネットで見たPCTA推奨の迂回路が添えられていた。事前に迂回路の情報を入手して検討していたため、何も戸惑うことはなかった。

Hwy20をそのまま歩いて迂回することもできたが、少しでも長くPCTを歩くことにした。PCTを外れると道迷いのおそれがあったが、オフラインでも使える地図アプリ(Guthook)があったため迷わず歩けると思った。

迂回その1

Hwy20~Hwy22まで道路を歩いてDetroitに向かうコース。一番簡単で迷わない。ただし、道路歩きが長くなる。

迂回その2

2009mile付近のMinto PassまでPCTを歩き、Minto PassからMarion Lake Trailを歩き林道を抜けてHwy22へ出て道路を歩くコース。少しでも長くPCTを楽しめる。ただし、迂回路で道に迷うおそれあり。

殺風景な山火事跡を歩く。

前方にThree Fingerd Jackという山が現れた。上部は赤茶けた岩場で木が生えていない。

峠を越えて反対側に下りると山の名前の通り、3つのピークが見えた。確かに、見方によっては3本指に見えないことはない。殺風景な岩がゴツゴツした山で荒くれ者Jackという気がする。

私はJackというと、庶民派バーガーチェーンのJack in the boxを思い出す。

山火事が発生している前方のMt.Jefferson周辺には濃い煙が漂っていて視界不良となっていた。

Mt.Jeffersonのアップ

せっかくの素晴らしい山なのに勿体ない。山火事のことが何度恨めしく思ったことか。自然現象の落雷による山火事だとはいえ、なんとか防止する方法はないものなのか?

Minto PassからWasco Lakeを見下ろす。山火事でどこもかしこも白く霞んでいる。

ここからMarion Lakeを経てHwy22へ迂回する。

Minto Passの標識

迂回路のMarion Lake Trailは案内が貼られていて、地図アプリを見ることなく迷わず歩くことができた。分岐には必ず貼ってあった。

トレイルヘッドからは林道を歩いてHwy22に向かう。ハッキリしない分岐があったため、地図アプリを使って歩いた。

2時間近く林道を歩いてようやくHwy20に出た。すでに19時近くで薄暗くなり始めていた。

林道歩きではどこでもキャンプできる状態だったのに、道路に出ると一気にキャンプできそうな場所が減った。車から見える場所だと強盗に遭う危険があるし、車の音が煩くてあまり眠れそうになかった。

19時30分ころ、Riverside Campgroudに差し掛かったころには周囲は薄暗くなりはじめていた。これまで道路を歩きながらキャンプに良さそうな場所を探していたが、まともな場所はどこにもなかった。そのため疲れているのに、ズルズルと歩き続けていた。他に行くあてが全くないため、キャンプ場を覗いてみることにした。

キャンプホストのところに行って声を掛けてみたが、すでに休憩しているようすで出てくる気配はなかったため、邪魔にならないところでこっそりツエルトを張ることにした。

山火事の迂回でやむなく道路歩きをしていることをキャンプホストに言えば、何らかの便宜を図って貰えるだろうと、自分に都合の良いことを考えた。

時間は20時を過ぎて寝袋を出して寝ようとしていたところ、どこからともなく電動カートがやって来てツエルトの近くで止まった。やって来たのはキャンプホストだった。「料金は$16、払う気がないならとっとと出てけ!」と冷たく言い放たれた私は弁解をする気が全くおきず、急いで荷物をまとめて出発した。

移動したのは、キャンプ場から歩いて30分ほどの橋の近くの空き地だった。
ヘッドランプを点けて歩いていたところ、暗がりの中でなんとか空き地を見つけた。危険な道路歩きで疲れ切っていた私には選択の余地はなかった。すぐさまツエルトを張って中に潜り込んだ。時計を見るとすでに21時30分を回っていた。

道路脇での寝心地は最悪だった。夜中でも大型トラックが通り、振動と爆音で強制的に何度も目覚めさせられた。眠れない夜を過ごして、疲れが全然とれていなかったが、いつもの時間に起きて出発した。

橋を渡ったすぐのところ、道路からかなり距離が離れた場所の広い空き地を見た時は非常に悔しかった。昨晩ここで眠れば、もっとよく眠れたはずに違いないと。

山火事の煙で霞む道路を歩いてゆく。ところどころにある林道の入口には消防車やパトカーが止まって警戒に当たっていた。

Hwy20は快適とはいえないまでも、路肩に歩くことができるスペースがあり良かった。
車は60mile/h以上の猛スピードで走っているため、路肩を歩くのは危険だった。

道路脇の広いスペースで朝食を食べている時、若い女性ハイカーに抜かれた。自分の他にスキップせずに道路歩きをしているハイカーがいると分かり嬉しくなった。

11時過ぎDetroitに到着。途中、Idanhaという小さな町にコンビニがあったがスルーして、GoogleMapで見ると何かありそうなDetroitまでやって来た。お店があるのが分かると思わずガッツポーズ。

お店はコンビニよりも大きなGroceryだった。品揃えはまあまあで、価格もそこそこ。取り立てていうことはない。駐車場に面した軒先で休んでいると、どこからともなく南向きに歩くハイカーが現れて、不要だというオートミール3袋をもらう。彼はDetroitからヒッチハイクしてMarion Lakeの登り口に向かうという。彼はちゃっかりしていてすでに載せてくれるドライバーと話を付けているらしかった。

あとから別のドライバーがやって来て、「おいあんた、PCTの登り口まで載せていってやろうか?」と言ってくれたが、自分の足で歩くことを決めていたため丁重に断った。PCTを離れた町でもハイカーのことを気にかけてくれている人達がいると分かり凄く嬉しかった。

コーラにアイスクリーム、パンケーキで$6。道路歩きのご褒美におっさんに買ってやった。補給なしでも行けるように食料は持っていたので、店ではおやつのみを購入した。こういうのを食べるだけでも気分がリラックスする。

山の中でも珍しくAT&Tの電波が入ったことから、ベンチに座って休憩しながらチマチマとフリック入力でブログ更新を行った。

お店を出てすぐの交差点で右に折れてPCT方面に向かう。道路脇の標識にOlallie Lakeと書いてある。道幅が狭くなったが、同時に交通量も少なくなったため、道路の端を歩いていればそれほど危険ではなかった。

途中、朝食を食べていた時に抜かれた女性ハイカーに再び抜かれた。追い抜きの際、ちょっと話したところ、彼女は昨晩Riversideのキャンプ場に泊まったらしい。一人なのにキッチリ$16とられたそうな。爺さんのキャンプホストは本当に融通がきかなそうな顔をしていた。値引きなどという言葉は彼の辞書にはないらしかった。

ガードレールの衝撃緩和装置

右の端っこに車が突っ込むと作動する仕組み。

おや、車がぶつかった跡があるな。

装置が作動すると、このようにくちゃくちゃになって丸まるようになっている。アメ車は頑丈だから、たぶん乗員は無傷だろう。

木陰がたっぷりとある道路歩きだったが、途中で暑くてやってられなくなったため、川に下りて水浴びと洗濯するついでに休憩することにした。

橋の横から釣り人の踏み跡を辿って川に下りた。シートを敷いてゆっくり夕食を作ってのんびり休憩した。

道路歩きは歩いても歩いてもなかなか距離が伸びない。路面は硬くて足が痛くなってくる。何台かのドライバーから「乗っけていこうか?」と声を掛けられたのは救いだった。

途中、地図でBreitenbushという町を通過したが、道路脇には全く民家はなかった。水は道路脇に度々出ていて、ヤブをかき分けて水を汲んだ。

この日、未舗装の林道に入って少し歩いた道路脇の何にもないキャンプサイトでツエルトを張った。アスファルト道路の脇にはキャンプできるような場所はなかった。19時半過ぎまで歩いてクタクタだった。すでに夕食を済ませていたこともあり、ツエルトの中に入るとメモだけしてさっさと眠った。

翌日、8月17日 5時30分起床、6時出発

前日の道路脇でのキャンプで寝不足だったため、昨日は実に良く眠れた。まぶたを閉じると朝まで目覚めることはなかった。未舗装の道の奥に入り込んだ場所だったためか、やって来る車はなかった。

歩きはじめて1時間経った頃、Creek脇によいキャンプスポットがあったため、そこで朝食をとった。

9時ころ、2037mile付近のBreitenbush CampgroundからPCTに復帰した。長くキツい迂回だったこともあり、トレイルに戻れたことが非常に嬉しかった。

山火事の煙で霞むMt.Jefferson

風格ある山で近くを通れなかったことは残念だった。昨日、消火剤入りのカプセルを吊り下げた双発のヘリコプターが何機も行き来して消火活動をしているようすが見えた。その甲斐あってか、モクモクと煙が立ち上るところは見えなかった。

樹木の切れ間からOlallie Lakeが見える。本日はここのリゾートに寄り食料を補給する。食料はたくさん持つことはせずに、ところどころに立ち寄ってこまめに補給する。PCTを半分以上も歩き、いろいろなことが分かってきた。

私は小柄で体力が少ないため、荷物を軽量化すると、効果がハッキリと現れる。ハイペースを維持できるため、寄り道のタイムロスはすぐに取り戻せる。

湖への分岐で予期せぬトレイルマジックが現れる。私をもてなしてくれたのはかつてのPCTスルーハイカー。トレイルエンジェルは、お金に余裕のあるサービス精神旺盛の人が多いが、以前ハイカーだった人も多い。仕事が休みになるとハイカーを応援するため、車に食料や飲み物を積んでPCTにやって来る。ロングトレイルはハイキングするだけが楽しみ方ではない。

別のトレイルエンジェルがハンモックとゴムボートを用意してくれていた。

タープはハイカーらしくタイベックシート。タイベックは建築資材であるのだが、透湿防水性があり安価で耐久性があるため、ハイカーが地面に敷くグラウンドシートなどとして使用している。

先に到着して休んでいたハイカーのバックパックには自作のペットボトルホルダーが取り付けられていた。ホールド性の良い袋タイプだった。

単にショックコード2本でボトルの上下を留めただけのバージョンもある。浄水器はSawyer squeezeでSmartWaterのボトルに取り付けてサイドポケットに挿してある。私と同じように浄水器の出口にはペットボトルのキャップがしてあった。衛生面に配慮して中にゴミが入らないようにしていた。(そこら辺に直に座り込んで休憩して体を汚していたが、口に入れるものだけは常に気をつけていた。そのためか、お腹を壊したことは数えるほどしかなかった。激辛のマルチャンチリ味を食べて下痢になったのはご愛嬌。)

Olallie Lake Resort(2043.1mile)On trail

山奥の小さなリゾート。明るく開放的な湖畔にひっそりと佇む。小さなお店で必要最低限の補給は受けられる。価格は良心的で嬉しい。

Wifiなし、AC電源なし。ハイカーボックスあり。

参考リンク http://www.olallielakeresort.com/

こちらがメインの建物であるお店。こじんまりとした建物。周囲には何棟かのコテージが建てられている。周囲では車でやって来た人たちが寛いでいた。

袋入りスパムやパンケーキ、ジュースなどを購入してチップ込みで$18$。マルチャン3袋とオートミールOriginal1袋はハイカーボックスから貰った。

主な品物の価格

IDAHOAN $2.8、袋入りツナ・スパム $2.5、オートミール ¢50、ガスボンベ小 $5.9カード払い不可、現金のみ。

 
 
湖畔から伸びる桟橋の先に手漕ぎボートが係留されていた。Olallie Lakeではエンジン付きのボートの使用は禁じられているようで、手漕ぎのボートが静かに移動しているだけだった。非常に静かでのんびりと寛ぐことができた。
 
 
桟橋の先から水を汲んで浄水する。湖の水は太陽光により殺菌されているため比較的安全。キャンプ場の水源となっていることもあり、遊泳は禁止されている。
 
 
Oregon前半のCrater LakeからSistersまでは連日夕方になると雷雨が来たが、8月半ばSistersを出る頃になると雷雨は来なくなっていた。そのため、より没入してハイキングに専念できるようになっていた。
Oregonの終点の町Cascade Locksでは、8月18~20日の3日間、PCTの祭典、PCT DAYSというイベントが開催される。PCTハイカーは通常より安い料金で飲食し放題という特典がある。Oregonに入ってからは、このイベントに間に合うように頑張って歩いていたのだが、山火事に阻まれて迂回を余儀なくされて大幅なタイムロスをしていた。そのため、イベントに間に合うことが出来なくなってしまった。ヒッチハイクしてイベントに参加することも考えたが、Crescent Lakeでの苦戦を思い出すと、ヒッチハイクしてまで行こうという気にはなれなかったのだった。
Trailに復帰しましたが、直ぐに山火事迂回で道路を歩くことになりました。どこまでも続く危険で不快な道路歩きに心がささくれだっているところです。今になれば良い思い出の一つですが、当時は心の平穏を保つのは難しかったです。気がついたら2000mileを超えていました。

つづく
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