若き日のパソコンとの出会い

こんにちは。からあげです。

 

今日も朝から抜根作業を実施した。
曇りで気温が上がらず、正午でも気温は2.5度だった。
作業中でも防寒着は脱げない寒さだった。
作業服はツナギを愛用しているけど、大をする時少し困る。
防寒着を脱いで、チャックを開け腕を抜いて上半身薄着で用を足さないといけないからだ。
一時的に非常に寒い思いをする。
まあそれも慣れてしまえばなんともないが、やはり寒い。
しかしツナギは止められない。

 

本日3日目の作業でさらに掘り進めて根っこを切り、あともう少しのところまできた。
明日か明後日にはこの30センチ級の切り株を引っこ抜けそうだ。

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穴に入って作業をしていると意外に暖かい。

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あともう少しだ。

 

 

パソコンについての昔話

ところで話は変わるが、私とパソコンとの出会いは約25年前となる。
プライベートでは特に興味が湧く分野がなく、なんとなく学生時代を過ごしていた。
ふとした拍子にパソコン雑誌を見掛けて読んでみると、パソコンのゲームに興味をそそられた。
私の家庭ではファミコンなどのゲーム機を買わない方針だったので、ゲームを心行くまでやったことが無かったのだ。
勿論、貧乏で買えないという理由もあったが。
パソコンであればプログラミングを隠れ蓑にゲームが出来る。
ゲームの他にも自分でプログラムを組めばいろいろなソフトを作れることも気に入った。
しかし、当時はまだパソコンは非常に高価なものだった。
NECの98シリーズのデスクトップが30万円近くしていたのだ。
当然そんな高価な物は買えやしない。親に頼んでも無理。

98シリーズと互換性のあるエプソンの286シリーズが少し安かった。
お年玉と小遣いは、殆ど使わずにずっと貯め続けていたが、まだ少し足りない。
しかしタイミングよく、家に両親の知り合いのおばさんが泊まりに来た時、2万円をくれたのだ。
これは本当に有難かった。
1年間で貰えるお年玉は1万5千円程度だったので、一気にパソコン購入に向けて気分が高まった。
小遣いを貰っても、買い食いはせず、ひたすら貯め続け、ようやくエプソンの98互換機なら購入出来るまで貯めることが出来た。
しかし簡単には買うことは出来ない。
長年の涙の結晶ともいうべき、コツコツ貯めた貯金を簡単に使う訳にはいかない。
パソコン雑誌に穴が空くほど読み込み、機種選択をした結果、エプソンの286シリーズのVFという機種に決めた。

5インチのFDDを2つ装備したもの。
HDDはなし
メモリーは640KBだった。
CDROMなんて勿論ない。

3.5インチのFDもあったけど、当時はまだまだ高価だった。
5インチの方が普及していて、書き込み防止のために切り欠きにテープを貼らないといけなかった。
ディスクが柔らかいので扱いに気を遣うが、最大のメリットは空きディスクが安いことだった。
パソコンの値段は14インチのブラウン管ディスプレーとセット約22万円だったと思う。
随分と思い切った買い物をしたものだ。

 

パソコン雑誌の後ろの方にある広告を何週か見て、一番安い秋葉原のパソコンショップで購入することに決めた。
今の様にネットで簡単に注文出来るわけではなく、電話を掛けて店員とやりとりしないといけない。
緊張しつつ機種名を伝えて後で銀行振込で代金を支払うことになった。
注文を終えると農協の口座から全額下ろし銀行に向かう。
自転車で移動している時、非常に怖かった記憶がある。
カツアゲにでもあってお金を取られてしまったら一巻の終わりだ。
全速で漕いで銀行に向かい、何度も振込先の口座番号や名義人を確認して代金の振込を済ませる。
非常に挙動不審な子供だ。

 

パソコン到着までの間に兄貴にゲームソフトを買っておいて貰った。
ソフトを買えばパソコンで遊ばせるという交換条件だ。
初めて購入したソフトは、koeiの三国志Ⅱだった。FD2枚組。
振込後、1週間ほどでパソコンがやって来た。
嬉しくて飛び跳ねながら箱を開けてパソコンを取り出す。
慎重にかつテキパキと。
取説を見ながら設定を済ませてソフトを挿入すると読み取りを開始する。
ディスプレイにタイトル画面が表示され、続いてサウンドが流れるはずが、無音状態だった。
ボリュームを上げればいいのかなと思ってイジってみても変化なし。
パソコンとゲームの取説をじっくりと読んだら、音声を出すにはFM音源ボードが必要との事だった。
まさか追加で機械を購入することになるとは思わなかった。
確か1万数千円したと思う。
もう私は、お金がスッカラカンだったので、兄貴に買って貰うことになった。
兄貴もゲームがしたくて私がパソコンを買うように焚き付けていたこともある。

パソコンの裏蓋を開け慎重にボードを差し込み前面にあるディップスイッチを操作する。
そしてゲームを起動させると音はするが、あまりにチープな音だ。
またまた取説と格闘して調べると、音はボード付属の小さなスピーカーから出ているので、パソコン本体のスピーカーに接続しないといけないことが分かった。
それでコードを繋いでゲームを起動させると、やっとまともな音が出てくれて、非常に感激した記憶がある。
兎に角、当時のパソコンは不親切で、今のように情報が無かったので、自分で解決するしかなかった。

 

その後、寝る間を惜しんでゲームをやることになる。
親にパソコンのやり過ぎで怒られることも多々あった。
FDDのアクセス音が非常に大きく、両親の寝ている部屋まで響いてしまうので、親が寝静まるのを待ってそれからコソコソと起き出し、パソコンを起動させていた。
小さな太鼓のようなトントンと叩く音がした。
今では考えられないくらいの音の大きさだ。
イベントが発生したりするといきなりアクセスが急に増えるので、バレないかビクビクしたものだ。

 

パソコンを購入して6ヶ月くらいたった頃、突然ディスプレイの調子が悪くなる。
ゲームのやり過ぎで壊れた訳ではないんだろうが、当時は非常に慌てた記憶がある。
幸い保証期間中で無料で修理してもらえたが、修理期間が1ヶ月ほど掛かったので、パソコン無しで過ごさないといけなくなり、随分とつらい思いをした。

他にゲームは、三国志シリーズⅡ~Ⅳ、ダンジョンマスターⅠ、Ⅱ、大戦略、天下統一、信長の野望、太閤立志伝、アトラス、大航海時代、イースⅢ、英雄伝説、銀河英雄伝説、遙かなるオーガスタ、ポピュラス、シムシティーその他いろいろやった記憶がある。
小遣いを貯めてゲームを購入し、飽きると直ぐに売り飛ばして次のゲームの購入資金にしていた。
兄貴にも積極的にお金を出させてゲームを購入したし、兄貴の友達からゲームをコピーしてもらっていろいろ遊んだ。

 

この時、長年のゲームに対する渇望感を一気に満たしていたんだと思う。
当時のパソコンは本当にいろいろとお金が掛かった気がする。
途中でグラフィックボードHDDを増設したし、MS-DOSがないと出来ないゲームも出てきて止む無くMS-DOSも購入した。
MS-DOSは何どすか?の世界だった。
よく知らないので、本屋に行って雑誌を立ち読みしたりして知識を増やさないといけなかった。
マウスは当時ボール式だったから、ゴミが詰まって動作不良になるので頻繁に掃除をしなければならなかった。
それでもマウスは定期的な買い替えが必要な消耗品だった。
今では考えられないことだ。

雑誌は毎号買うお金が無かったので、気に入った付録があったら購入することにしていた。
購入していた雑誌は、ログインとコンプティーク、ベーシックというやつ。
コンプティークは少しエッチなゲームも紹介していて興奮した。
ログインの編集部の忍者なんとかという兄さんは今も元気だろうか。
雑誌にはゲームの体験版が付いてくることがあるので、飽きずにそれを何度も途中までやったこともある。

ベーシックという雑誌は特に熱かった。
いろいろなプログラムが載っていて、ゲームや計算などのソフトを作ることが出来たのだ。
ただ、エプソンは98の互換機で完全に対応してる訳ではないので、正常に動かないものもあって悔しい思いを何度もした。
パソコンの用途は9割ゲームで1割はプログラムで遊んでた。
一時期はプログラマーになろうかとも思ったりした。
パソコンはほとんどゲームマシンと化していた。
今にして思えば随分と高いゲーム機だなあと思う。

当時はFMタウンズやX68000なんていう高性能なパソコンがあったけど、高すぎて手が出ないものだった。
その後、持っているパソコンの性能がゲームに追いつかなくなるようになって次第にパソコン熱が冷めていった。
スーファミを買ってからは、パソコンが邪魔になったので、箱詰めして押入れに入れておいた。
私が実家を出て働くようになってから処分されたようだ。
随分と寂しい末路となってしまったが、非常に懐かしい思い出の品だ。

 

少し遅れて親父が知人からNECのPC-88シリーズを貰って来たこともあって、一時期浮気していた時もあった。
まだ88シリーズも現役でゲームもリリースされていたのだ。
日本ファルコムの英雄伝説というRPGのソフトを購入した記憶がある。
FDが8枚組のものだった。
FDを入れ替え入れ替えして1周間も経たずにクリアした。
98シリーズにはRPGのラインナップが少なかった気がする。
パソコンと一緒に貰った中にめぞん一刻があって、プレイしながら五代君が可哀想で泣けることもあったなあ。
その他はほとんどクソゲーだったけど。

 

その後、ウインドウズの登場により、NECの牙城が崩れて一気に一般人にパソコンが普及するようになる。

コメント

  1. retire2k より:

    いろいろと懐かしいw
    自分はX68000派でしたが、98も使ってました。
    2HDのFDはまだまだ高くて、ノーブランドで安く売ってるFDも買ってました
    あの頃が一番楽しかったのかもしれませんね

  2. 匿名 より:

    自分も生まれてはじめてのpcは雑誌広告の中古通販でした。
    あり得ないぐらい店員の態度が悪かったのを覚えてますw
    ソフトは買えなかったからベーマガ読んで、
    BASIC覚えたなあ~

  3. 出てくるキーワード 全部懐かしい
    プログラムで遊ぶなんて言っても
    今の人には理解できないだろうね
    雑誌にプログラムが載ってるってことも
    イメージできないだろうね

  4. からあげ より:

    >retire2Kさん
    X68000とは凄いですね。
    あの頃のパソコン熱は異常に高かったです。
    ワクワク感が半端無かったです。
    >名無しさん
    何度も雑誌を読み返してボロボロになったりもしました。
    今では雑誌の広告でパソコンを買うなんて考えられませんね。
    正式名は、ベーシック・マガジンでしたね。
    ミスタイプできちんと動作しない時、何度も何度もプログラムをチェックしました。
    いい思い出です。
    >消費しないピノキオさん
    今はスマホのアプリを作るんでしょうか。
    今ではありえないほどチープなプログラムでしたが、きちんと動作した時は本当に嬉しかったですね。

  5. 裏方 より:

    からあげさんの時代は、上り調子で、いい時代でしたね。
    私は、仕事を始めて数年たってから、ハンダゴテで基盤にZ80というCPUを組み込んでゼロからマイコンを作る時代からスタートでした。
    キーボートもなくて入力は全てディップスイッチ・・・。
    メモリは、128Kバイト大容量!!と自慢してましたね。(笑)
    その後、私は、システム屋になって病気になった(笑)のですが、一番面白かったのは、やっぱり自作マイコン時代でしたね。その性で、その後のパソコンも、ゲームは全てプログラミングで自作してましたし、ワープロも自作してました。
    便利さが進みすぎるとゲーム性が高まり、刺激が増え、お金が動き、それがやがて、ギャンブル依存症の原因になったりするわけで・・・。
    進歩することはいいこととは限りませんね。

  6. とおりすがり より:

    この時代にパソコンをしっかり使っていた人は
    良いエンジニアさんが多いですね。
    95やXP以降に顕著なGUI世代はパソコンが使えたつもりになっている勘違い人間が多くて良くありません。何も知らない、何も出来ない人が多いこと多いこと

    • karaage より:

      パソコンの基本を知らないので、いつもと違うとすぐに詰まってしまいます。
      プログラムもさっぱりですし。
      それでいつもWordPressで四苦八苦しています。

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