隊長のあゆみ

このページは私「からあげ隊長」の活動履歴を記してゆきます。
会社を退職し社会と距離をおいてから私の真の人生が始まりました。これからどこへ向かおうとしているのか?今後の隊長の活躍をご期待ください!

 

活動履歴

2020年1月~3月 西日本を自転車でツーリングする。

オーストラリアの旅が不完全燃焼のまま終わり、しばらくの間これから何をするのか、何をしたいのかが分からなくなる。そんな時、種子島宇宙センターでのロケットの打ち上げを知る。子供のころ、宇宙飛行士になるのが夢だったこともある。忘れていた童心を思い出し、種子島に行くことにした。

大阪南港から鹿児島志布志までフェリーで移動したのち、ついでに屋久島まで南下して旅が本格的に始まる。種子島でロケットの打ち上げを自分の目に焼き付けたのち、九州を北上し始めたが、すでに新型コロナの影響が出始めていた。事態は次第に深刻化してゆき、観光地や公共施設の閉鎖が相次いだ。そして北九州に辿り着いたところで旅を終わらせることにした。苦渋の決断だった。

新型コロナの感染リスクを極力避けるため、フェリーではなく自走して帰路に就いた。九州を出てからは移動が主で、観光を従に切り替えた。中途半端に旅を終わらせることになり、今もなお心の奥底にモヤモヤを抱えたまま過ごしている。

2019年4月~10月 オーストラリアを自転車でツーリングする。

オーストラリアの地平線の彼方まで続く道に心身が激しく消耗する。毎日のように強い向かい風に吹かれて、さらなる消耗をしてしまう。毎日がいっぱいいっぱいの余裕のない日々を過ごすうちに、いつしか私の精神は限界まで追い詰められていった。北西部辺境の町Broomeで後ろのリム割れが発覚したのち、自転車旅を止める決断をする。ただ、逃げ帰ることだけはしたくなかったので、Cairnsまでのおそよ4,000kmを自走して帰国の途についた。

オーストラリアは想像を遥かに上回る厳しくそして広大な大地だった。私はそんな厳しい大地を心から嫌悪したが、また逆に強く惹きつけられるのだった。また必ず挑戦したい!非常に悔いの残るツーリングとなった。

2018年11月 新しい自転車 SURLY DiscTrucker を手に入れる。

約4ヶ月間の北海道・東北ツーリングをしてみると、カンチブレーキは荷物満載の状態で雨が降ると、ブレーキの効きが非常に悪くなることが分かった。今後海外中心にツーリングをしてゆくためには、ディスクブレーキを搭載したディスクトラッカーが必要だった。

経験豊富な店主の厳選パーツにより、ディスクトラッカーはよりツーリング向きになった。この自転車であれば、どんな道だろうと走って行ける。そんな気にさせてくれる自転車だった。

新たな相棒を迎えて活動をさらに本格化させてゆく。

2018年6月~10月 北海道・東北を自転車でツーリングする。

愛しの自転車 PanasonicのランドナーOJC4で約4ヶ月間、北海道から東北をツーリングする。2018年の北海道は雨が多く辛い日々が続いたが、時々訪れる晴れ間に馬鹿みたいに喜んだ。

初めてのスポーツ自転車で、一番のツーリング目的は慣れることだった。
帆立貝を踏んでパンクした他、様々なトラブルに遭いながらも、なんとか走り切ることが出来た。

次は海外だ!今年一年培った経験で来年は海外ツーリングに挑む。さて、どうなることやら。

2018年1月 初めてのスポーツ自転車 Panasonic OJC4 を手に入れる。

日常生活から探検活動の移動手段として、荷物の積載能力が高いキャンプツーリング用のランドナーという自転車を購入することにした。
その数少ないランドナーのラインナップの中からPanasonic OJC4を選択した。

これから新たな相棒OJC4とともに活動してゆくことになる。

2017年12月 愛車ジムニー(Jimny JB23W)を売却する。

平成23年(2011年)式 JB23W-8型 XG 5MT 
走行距離 70,000km弱、ダメージ多数

私の汗と涙と玄米の匂いが染み込んだ相棒。ソーラー発電システムと走行充電システムを搭載するなど車中泊に特化した改造を施したJimnyだった。序盤での活動はJimnyなしには語れない。
できるだけ維持費を安くするため、自分で整備してユーザー車検で通すなどしていた。
アメリカへ半年行っている留守の間に、卑劣な人間によって夏タイヤとスタッドレスタイヤの全てをパンクさせられた。この事件をきっかけにJimnyを手放す決断をする。
今後の活動を海外メインで行うための準備でもあった。

どうなる今後の活動?

2017年4月~9月 アメリカ西海岸 Pacific Crest Trailを歩く。

初めてのアメリカ。歩きたい時が歩き時だと思ったため、意を決してロングトレイルを歩くことにした。英語会話能力とコミュニケーション能力の低さからハイカーから孤立し、孤独にハイキングを続けることになった。

SierraのCreekでの渡渉失敗を機に一筆書きのスルーハイクは断念し、一旦Sierraをスキップすることにした。9月半ばCanadaに到着した頃は、冬目前で水筒の水が氷るまでになっていた。ゴール直後から足が痛くなり、後の1月間の放浪生活が辛いものとなった。

2016年6月~11月 東北車中泊の旅、みちのく潮風トレイルを歩く。

東北の旅と言いながら、新潟・群馬県内で登山をしていてなかなか北上しなかった。ようやく東北に着いた頃には夏真っ盛りでクソ暑く、やむなく本州最北端の大間崎まで北上することにした。
そのあと涼しくなって来たころに南下を始め、白神山地周辺を歩き回った。

旅の最後にみちのく潮風トレイルを歩いた。まだ整備中の遊歩道のため、やむなく舗装路を歩くことになり、精神修行の要素が多いハイキングとなってしまった。それでもいちおうは全行程を歩いた。

2015年6月上旬~10月中旬 北海道車中泊の旅

愛車のジムニーとフェリーで北海道に渡り、約4ヶ月間車中泊の旅を行った。
地平線に伸びる真っ直ぐな道路を見た時は感激した。
北海道の山は標高はそれほど高くはないが、原始の姿が色濃く残っている心休まる場所だった。

特に印象に残る出来事は、知床半島でヒグマと至近距離で遭遇したこと。生で見る野生のヒグマは圧倒的な迫力があった。

ジムニーのルーフにソーラーパネルを設置していたが、ソーラー充電のみだったため、常に電気不足となっていた。
また無計画な旅であったたためか、効率のよく登山することは出来ずに悔いが残る旅でもあった。

2015年1月中旬~3月中旬 スキー場で住み込みアルバイトをする。

社会生活に不適合な自分の特性を再確認した時だった。
聞いた瞬間に直ぐ忘れる、電話の受け答えが出来ないなど、自分のダメさ加減に嫌気がさす日々が続いていた。
そんな中、救いはスキーにあった。
アルバイトには従業員特典として無料のリフト券が貸与される。仕事の合間に思う存分スキーを滑りまくった。ボーゲンさえ出来ない初心者であったが、いつの間にかパラレルターンが出来るようになった。

2014年11月上旬~12月下旬 四国霊場八十八箇所を歩く。

1番札所霊山寺から88番札所大窪寺までの全行程を45日間で歩き通した。
登山靴の歩行で足を痛めて、途中、愛媛県の山中でしばらく停滞する。
松山市内でウォーキングシューズを手に入れてから、歩行距離が一気に伸びた。
基本遍路宿には泊まらない野宿スタイルだったので、常にその日のねぐらに頭を悩ませた。
辛いことが多かった一方で、楽しく嬉しい経験もした旅だった。

2014年9月 山小屋が完成する。

冬期に地面が凍結して抜根作業を中断しなければならなくなった。しばらく休んで春から作業を再開した。
大まかな整地をやったところで、基礎からセルフビルドを開始し、梅雨入り前に一気に小屋を建てた。
夏休み期間中はキャンプ場で短期のアルバイトを行いつつ細かな作業を行い、バイト終了後に窓・ドアを作ってようやく小屋を完成させた。

2014年7月中旬~8月末 キャンプ場でアルバイトをする。

出勤日数は44日間、本当に熱い熱い夏だった。
キャンプ場の裏側を知ることが出来て非常に勉強になった。
来る日も来る日もニジマスを捌いていたので、魚を捌いて串刺しにするスキルを身につけた。

お金と引き換えに心身に大ダメージを受けることになった。

2013年9月 山林の売買契約を結ぶ。

念願の土地をようやく見つけて購入に至った。
地目 山林、地積 300坪弱、価格 約200万円(仲介手数料込み)
所有者の移転登記はネットで調べたり、法務局に何度も行って教えてもらうなどして、すべて自分で行った。(理解のある売主さんと不動産屋で助かった。)
ようやく誰にも邪魔されない自分だけの場所を確保した。

土地は伐採や整地がされていない手付かずの山林だった。
まずはテントで暮らし、徐々に手を加えて小屋建築に向かって作業することになった。
快適すぎるテント生活に、小屋を建てなくてもよいかなと思ってしまったことが何度かあった。

2013年4月中旬 会社を退職し、山林探しの旅へと旅立つ。

会社を辞めてフリーとなるのは勇気がいった。
お金も大事だったが、自分の心の持ちようが遥かに重要だった。
世間とは違う生き方には、常に不安が付きまとう。

愛車のジムニーに荷物をたくさん載せて、終の棲家の山林を探しに旅立った。
旅に出発してしばらくは、会社勤めから開放されて気楽なものだった。
しかし、時間の経過とともに心が蝕まれてゆく。
当初の目的を見失わないようにするのが大変だった。

2012年12月下旬 借家を引き払い車上生活者となる。

荷物を処分して残りはトランクルームに移して、愛車のジムニーに最低限の荷物を載せて車上生活が始まる。
会社を辞めるまでは、休日限定のホームレスだった。河川敷などの目立たないところに車を停めて寝泊まりしていたのだった。

 

つづく

スポンサーリンク
からあげ隊長の日記