こんばんは。からあげです。
白馬は今日も雪だ。一旦は止んだものの、朝方から降り始めて50センチ近く積もってしまった。
これまで解けた分くらいは積もった感じだ。今シーズンは遅くまでスキーが楽しめそう。
おっさんの失言
ところで、今日は小学校2年生の時の話を書くとしようか。
忘れもしないあの出来事。
学期末頃、同じクラスの女の子が親の仕事の都合で転校していった。その時、みんなにお世話になったからと言ってクラス全員にプレゼントを残していった。
担任の女教師がプレゼントがあると言って何やら配り始めた。
一人につき鉛筆2本だった。やけにもったいつけた言い方だったので、もっといいものだと思い、思わず
たったこれだけか!
と声に出して言ってしまった。
言った瞬間、失言に気が付いたが遅かった。
教師は途端に怒り狂いはじめた。
私はただ固まって怒りが収まるのを待つしかなかった。一旦はチャイムに救われたかに思われたが、次の時間は私の発言について緊急の学級会を開くという。
10分間の休み後、怖い顔をした教師が話し始める。
私の暴言を非難し、クラス中に同意を求める。
そしてクラスの意見を聞き始める。
私を猛烈に非難するクラスメイト達。
私に弁解の機会を与えられることはなかった。
まさにサンドバッグ状態だった。途中で記憶が薄れて行く。
視界が歪んで頭がボーッとしてきた。
授業終了を告げるチャイムがなっても終わらなかった。
いつまでも続く罵詈雑言。次第に私の日頃の生活態度にも及んでくる。
日頃の私に対する不満をぶちまける。
私は泣かなかった。
直立不動のまま口を真一文字に結び前を見続けた。泣いたら負けだと思った。
学級会は終わるには終わったが、教師の怒りはまだ収まらず
あんたなんか私のクラスの一員じゃない!
とヒステリックに言い、教室から自分の机と椅子とともに追放された。
廊下に出たが、さらに外に出ろと言われ、重たい机と椅子を抱えて校舎の外に出た。
授業が始まっても当然中に入れてくれず、給食の時間になると随分と遅れて食べ物が運ばれた。
私はトイレ以外動くことを禁じられた。
みんなの晒し者になり、暴言を浴びせられる。
確かに私の発言は良くなかったが、直接本人に言ったわけではなく、何人かの心の内を代弁したに過ぎない。
なのに過剰とも言える制裁が加えられる。
下校の時間になって取り敢えず帰ることを許されたが、次の日からは廊下に居続けることを言い渡される。
もう教育とは名ばかりの私的なイジメだった。
その後3日間くらいは廊下にいた気がする。担任の教師は他からいい加減止めるように言われたのか、単に飽きたのか、よく分からないが数日経ってようやく教室の中に入ることを許された。
私はこの件があってから先生と呼ばれる人間のことを信じないようになった。
ちなみにこの女教師は4年後、私が次に嫌いな体育教師と結婚して学校を去っていった。
ふぅー。これは作り話ではなく実話。
当時の学校は生徒を型に嵌めようと躍起になっていた。
今の学校教育はどうか知らない。
おわり
コメント
カス、校長も教頭もカス、今なら磔獄門、カスに限ってやられた過剰反応で被害者意識大。
ものは考えようで、その様な過程があったからこそ今日のからあげ隊長があると思いますよ。早いうちから世間の仕組みが分かったのもよかったかもしれません。
しかし、気分の悪い話で腹が立ちます。
ひどい話ですね。思っても言わないのは大人の常識なので、子供は言っちゃうことありますよ。そこは、大人として、「思っても言わないものだよ」と教えてあげれば済む話なのに、数日も立たせるとか学級会でつるし上げって大人げない。というか言動も「クラスの一員じゃない」なんて、教育者としてダメじゃないの?
こういう事が許されていたなんて信じられません。子供にとってなんと恐ろしい世界でしょうね。
こういう教師の子供に生まれる人もいるんだから、そちらの悲劇まで考えてしまいました。
私も小学校の頃、同様のことがありました。いやなことを思い出しました。中学校の教師は体罰はありましたが、まだ良かったな。やだやだ。
吊し上げに仲間外れ。大人になっても同様の立場の繰り返しの少数派といたしましては人の世とはそういうものとしか言いようがありませんが心が痛みました。
味方なく見えない針が突き刺さるような時間を泣かないで耐えた小さい隊長に拍手です。
結婚前のお若い先生だったのですね、二年生の僕に対しては未熟な教育者でした。
現場に居合わせたわけではないですが、教育に意欲的な素晴らしい先生だったかもしれませんよ。
ただ、からあげさんの怒り悲しみを、受け止めて涙をふいて抱きしめてくれる人が、出てこないね。
車が好き、狭いところが好き、そんな事からフロイトは分析しています。
私の小学生時代、国語の時間、本読みを当てられた。
読みたくありません。と言ったら、職員室に呼ばれ、校長室に連れて行かれ、お昼は校長先生と一緒で、午後からは母が呼ばれ、何かさんざんだった。
(その担任の女性先生が嫌いとかじゃなく、ただ気が乗らず『誰でもいいんだったら、誰かに読ませてよ・・・』くらいだったんだけど・・・職員室ではそんな理由を言える感じがしなかったから黙ってしまった・・・女の先生は泣いていたのを覚えている(こんなんで?って感じで、自分が神妙にしているのが自分にとって一番良いんだと思った。)
)
下校のときは母と一緒・・・解放されたという感じだけ、何を話したかは覚えていない。
夕方、父が帰ってきて、母から話が伝えられている模様だった。
ドキドキしたけど、両親からは怒られも何もしなかったなぁ。
いま、そんな両親に感謝している。
父は亡くなったけど、もう80になった母を大切に、接していきたい。
今でも似た様な物ですよ...
私も子供の頃から「変わり者」「変人」のレッテルを張られて成長して来ました。
わかります。
私も小学校2年生に担任の女教師にやたらと目の敵にされてました。
事ある毎に反省文。「君はクラスで一番出来が悪い」と非難され。
以後、完全に努力するのをやめました。
今現在、からあげさんと同じような社会的状況に居て、記事の内容も共感できる部分がとても多く、参考にさせていただいております。
[…] からあげ隊長様のブログを読んでいて思い出したことがある。 […]
涙を見せなかった隊長は、偉い!
この小学校のような日常は、大人になっても、いろんな場面で続くのが日本の職場だと思います。
やはり、日本の教育は、橘怜氏が言うように教育ではなく訓育なのでしょう。
大人は、自由でいいです。
お金があれば超自由です。
この件は今思い出しても怒りがこみ上げて来ます。
学校は日本社会のミニチュア版で腐った場所です。