こんにちは。からあげです。
アメリカに渡り、Mexico国境をスタートしたのが4月26日。
すでに2月半が過ぎ去った。
来る日も来る日もTrailを歩きCanadaを目指している。
Trailで生活し、歩く行為が自然となった今。
町に下りると違和感を感じる。
自然ではない不自然な人間社会がそこにある。
Trailを歩いている時は、アメリカにいるとほとんど感じない。
英語の標識にも慣れた。
ただ、他のハイカーと会って英語で会話すると、ああアメリカにいるんだなって思う。
言語の壁は想像以上に分厚かった。
現在、もはや世界共通語となっている英語。
英語を話せない人間はほとんど相手にされない。
えっ?今時英語話せないの?ダッセー。
歩き始めた当初、他のハイカーはまるで遠足に行くかのようにワイワイと盛り上がっていた。しかし、他のハイカーとコミュニケーションをとれない私は独り黙々と歩いた。
慣れない土地での孤独は辛かった。
時々親切なハイカーが構ってくれたが、3歳児程度の英語力の私では会話がほとんどできない。
ちょっと挨拶しておわり。
山火事の迂回や水場情報の入手は、他のハイカーから聞くのではなく、PCTA公式HPを見て英文を解読して手に入れた。
英語を話せないということで、しなくてもいい余計な面倒な目に散々遭った。
Sierraでは想像以上の残雪が私を苦しめた。
中でも増水したCreekの渡渉は恐怖だった。
これまで渡渉経験は数えるほどしかなく、しかも増水した川を渡ったことはない。
明らかに経験不足だった。
それを補うのは気合だけ。
アメリカのハイカーは渡渉には慣れている。
単独なので渡渉ポイントを見つけるのに時間がかかる。
行ったり来たりして渡れそうな場所を見極める。
想像以上の重労働だった。
Californiaの日差しは強烈で、昼前にもなると残雪を緩ませ、雪解けを加速させる。
Creekの水量は一気に増え、日当たりの良い雪原の前進がHardになる。
苦しかった。
翌日、Mt.Whitenyに登る予定だった日。Creekに阻まれて手前でCampすることにした。
減り続ける食料、ジェットエンジンのような音がするCreek、Hardな歩行、もう自分は生きてSierraを出られないのではないかと恐怖に慄いていた。
ツエルト内で寝袋に包まり眠れない夜を過ごした。
翌日、道迷いを散々やらかして歩いた距離は8mile。
私は絶望に包まれた。
PCT最高点のForester Pass越えを翌日に控え、手前の樹林帯でCamp。
渡渉で冷え切った体を温めるため、初めて焚き火をした。
その時、焚付に歩いてきた地図を使ってしまった。
燃やしてしまったあと、ことの重大さに気がついた。
もう、後戻りはできない。
当時、スマホに入れていたのは現在地を北緯東経と、Trailからどれだけ離れているのか分かるアプリだけだった。
今みたいにofflineでも現在位置と進行方向が分かる地図アプリは入れていなかった。
ハイカーの姿はすっかり減って、時たま大パーティーで活動するハイカーを見るだけになっていた。
翌日、私は死にものぐるいで歩いた。
Forester Passを越え、2つめの峠に辿り着いたときには、雪は緩み猛烈に体力を消耗した。それでも歩き続けた。
この日、20mile歩いてIndependenceの町に辿り着いた。
逃げ込んだと言ってもいい。
久しぶりに腹いっぱい飯を食べた。
生きている幸せを感じた。
Mammoth Lakesから更に北に向かって歩いていた時、重大な失敗をして死にかけた。
安易な渡渉をしようとして失敗してしまったのだ。
道路の冬季通行止めが長引いている影響で、途中の補給場所のお店が営業をしていない。
そのため、多くの食料を持つ必要があった。
前進スピードが遅ければ、町に辿り着く前に食料が尽きる。
食料がなくなって飢えるのが怖かったので、少しでも速く歩きたかった。
命拾いをして頭に浮かんだのがSierraをSKIPすることだった。
今年のSierraは危険過ぎる。
命がけでハイキングするのは馬鹿らしい。
もっと他にすべきことがあるはずだ。そう思った。
SKIPして私はかなりの精神的なダメージを受けた。
もう、一筆書きのスルーハイクはできない。
そう思うとハイキング自体どうでもいいやと自暴自棄になりかけた。
空腹と睡眠不足が重なり精神状態はどん底だった。
Seiadvalleyのお店で食べた食事が旨かった。
タコスの生地に炒め物を挟んだような食べ物。
Ashlandまで行く時のこと、バスが遅れてしかもヒッチ場所の選択ミスをして大幅なタイムロスをしていた。
そのため、町のRestaurantで食事はしなかった。
スキップで交通費を無駄に使ったこともあった。
満足な食事をとらずにTrailに復帰して歩き始めた。
そんな状態では歩けない。
歩いても歩いても全然距離が伸びない。
しかも樹林帯にはまだ残雪があって体力を消耗する。
もう、歩くのを止めようか、そんなことを考えるようになっていた。
Seiadvalleyのレストランで食事をして栄養が体に行き渡ると、マイナスからプラス思考に変わった。
面白みのない樹林帯のTrailが延々と続く北California。
見どころは少ないながら、Mt.Shasta、Hut Creek Rim、Burney Fallsなどの景色がおっさんを慰めてくれた。
そして遂にSierraの北の玄関口、Sierra Cityまでやって来た。
準備はOK!
あとはただ歩くのみ。
待ってろSierra!!おっさんは帰ってきた。
PCTを歩いていて一番気に食わないのは、自由であって自由でないこと。
Trailに縛られて自由がきかない。
スルーハイクだと時間もない。
いつでも時間を気にしながら、せかせかと歩き続けなければならない。
確かにアメリカの自然は雄大で素晴らしい。
大金を払ってやって来た甲斐があると思った。
しかし、不自由をするために来たわけではない。
ハイキングはもっと自由であるべきだ!
そう感じる。
ハイカーは先を急ぎ、見るべきものを見落としている。
寄り道はせず、ゴールのCanada一点を目指すのみ。
こんな馬鹿らしいことがあっていいものか!
今回のPCTでMAJORなロングTrailを歩くのは止めにする。
長期間拘束されるのが堪らなくイヤ。
歩いて楽しい場所は、何もアメリカのみにあるだけではない。
世界に眠る無名のTrail。
そんなTrailを探し歩くのも楽しいと思った。
毎日毎日歩きながら、来年何しようかと考えている。
歩きは当分いい。
今度は自転車がいい。
自転車に乗って世界を旅する。
自転車だと行動範囲が広がり、寄り道もしやすくなる。
寄り道せず最短距離を歩いているだけではツマラナイ。
歩いていると、自然と最短距離を歩くようになってしまう。
それに積載能力も魅力だ。
うひひ。
実は以前から自転車に乗りたくて仕方がなかった。
まともな自転車は高いから我慢していたのだ!
もう我慢は止めた。
スキー場でバイトして自転車をゲットしよう。
おわり