碓氷峠 アプトの道を歩く

こんにちは。からあげです。

昨日一日ゆっくりしていたので、登山疲れが随分と抜けた。
ひょっとしたら車中泊疲れもあるかも知れない。
なんせ久しぶりの長期の車中泊だ。
体が随分と鈍っているはず。
やっぱり梅雨明けまではのんびりとしたペースでやってことにしようか。

 

今朝は霧雨が降っていたが、朝食を済ませると雨が上がったので、出掛けることにした。
目的地はJR横川駅近くにあるアプトの道だ。
アプトの道とは、群馬県安中市(あんなかし)にある鉄道の廃線跡を利用した遊歩道で、昔のトンネルや橋が残っている。
どうせ山に登ってもガスで何も見えないので、手頃な遊歩道でも歩いて暇つぶししようと考えたわけだ。
先日の表妙義登山の時に泊まった道の駅みょうぎの観光案内所で、このアプトの道のパンフレットを貰って少し興味があったこともある。

 

参考リンク 
安中市HP(アプトの道ハイキングコース)
あんなか観光ガイド(碓氷鉄道施設)

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JR横川(よこかわ)駅

JR横川駅は駅弁の峠の釜めしで有名らしい。
あちこちに釜めしののぼりが立っている。
ちょっと駅前の売店を覗いてみると、釜めしは1個1,000円という高価な値段だった。
ブログのネタに買ってもいいかなと思ったが、あとの釜の処理が面倒なので止めておくことにした。

こうしてわざわざ駅前にやって来たのは、大事な用事があってのこと。
ポリタンクの飲料水が乏しくなって来たので、駅のトイレで水を汲ませてもらうのだ。
10Lのポリタンクと水筒を総動員して水を入れているが、3日もすると残り僅かになって危なくなってくる。
水が不足すると車中泊場所の選択肢が減ってしまうので、汲めるときには満タンにしておきたい。

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駅前にあった電車の車輪

全国JR路線のなかで最大の難所と言われた信州本線 横川~軽井沢間のシェルパとして平成9年9月30日まで活躍した「EF63-3号」機関車の動輪

株式会社荻野屋(おぎのや)所有

*株式会社荻野屋とは駅弁屋さんのこと。

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駅前に車を停めておくと邪魔になるので、線路を挟んで反対側の広大な駐車場に移動した。
なんとアスファルトに線路が埋まっている。
今日は天気は曇りなので、日除けを付けずにそのまま出掛ける。

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碓氷峠鉄道文化むら

JR横川駅のすぐ近くに碓氷峠(うすいとうげ)鉄道文化むらという施設がある。
鉄道の歴史と列車が一同に集められてテーマパークだそうな。
本物の機関車を運転体験出来るコースやズラリ展示された歴史的な名車を見て触ることも出来るらしい。
ここは鉄道マニアには堪らない場所のようだ。
なんたって実物の機関車を運転できるのだから。
おっさんもちょっと興味を惹かれたが、まずは歩くとしようか。

参考リンク 碓氷峠鉄道文化むらHP

 

アプトの道 JR横川駅をスタート!

歩行タイム

09:50起点発~09:55碓氷関所跡~10:20旧丸山変電所~10:40峠の湯~11:05坂本ダム~11:30めがね橋~11:55熊ノ平駅~12:35めがね橋~13:30八幡宮~14:10起点着

歩行時間 約4時間20分(休憩時間を含む)

 

歩行ルート

歩行ルートはかなりいい加減

 

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アプトの道の起点は、文化むらのすぐ横にある。
目立つ大きな看板があるのですぐに分かる。

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しばらくは文化むらの線路の横を歩く。
電気機関車の懐かしい汽笛の音が聞こえてくる。

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展示されている電車
やはり実物だけあって凄くリアルだ。

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電気機関車が間近に見える。
昔、こんな電車が貨物を引っ張って走っていたのを覚えている。

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碓氷(うすい)関所跡(東門)

関所の西門は徳川幕府、東門は安中藩が管轄した、国境の関所跡。
箱根の関所と並ぶ、日本三大関所跡の一つ。

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碓氷関所の門

 

後醍醐天皇の昌泰2年(899年)に群盗を取り締まるために、関所が碓氷坂に設けられた。
この地に関所が移ったのは、玄和年間(1615~1623 年)といわれ、幕藩体制を中心とした、徳川幕府の確立・安定という政治的意味をもつものとなり、いわゆる「入り鉄砲に出女」の取り締まりを狙いとしたものとなった。
明治2年(1869年)廃関されるまで中山道の要所となった。
門柱および門扉は当時使用されていたもので、総ケヤキ材の要所に金具を用いた堅固なものである。
他に屋根材6点と台石も当時のもので、昭和34年1月、東京大学教授工学博士 藤島玄治朗の設計により復元された。
この位置は番所跡にあたり、復元された門は東門である。

立て看板より

 

入鉄炮出女(いりてっぽうとでおんな)は、江戸時代における交通政策の1つ。「入り鉄砲出女」「入り鉄炮出女」とも表記される。
関所の機能についての端的な表現として用いられた言葉で、江戸に入ってくる鉄砲(「入鉄炮/入鉄砲」)と、大名の家族の女性が江戸より出て行かないように江戸から外に出て行く女(「出女」)、特に注意して取り締まられたという意味でこう呼ばれていた。

Wikipediaより

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トロッコ列車の線路と平行して遊歩道は続く。
去年の北海道で歩いたひがし大雪の道を思い出した。
鉄道跡は真っ直ぐで凄く単調なので、人が歩くのには向いていない気がする。

北海道自然歩道~ひがし大雪の道を歩く~
こんにちは。からあげです。 今朝は曇り。夜中に雨がパラついたようで路面が少し濡れている。 今日は尻上がりに天気が良くなるようだ。 昨晩、天気予報を見て今日は行けると思って登山の準備をして寝た。 2時に目覚ましで起きたが、ここ最近の疲れで体が

 

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行く手の電柱の上にサルの群れがいた。
私が近づいてゆくと一斉に逃げ出した。
細い電線の上を走って逃げる。
なんという超人的な能力だろうか。
あっ、そうだった。こいつはサルだった。

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慌てて逃げるサルの親子。
親の背に必死にしがみつく子ザルが可愛い。
獲って食べやしないのに。
どうやら平日の真昼間に歩いているおっさんが怖いらしい。

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旧丸山(まるやま)変電所

レンガ造りの趣のある建物の前にやって来た。
二棟あってどちらも歴史を感じさせる古びた建物だ。
入口には鍵が掛けられて中には入れない。
そこで外から建物を見学した。

 

国指定重要文化財 碓氷峠(うすいとうげ)鉄道施設

変電所(旧丸山変電所)二棟

平成6年12月27日指定

 

丸山変電所は明治15年に建設され西側の建物が機械室で回転変流器と変圧器があった。
東側の建物は蓄電池室で、列車が上り勾配にかかる時に必要な電力を補うための蓄電池312個が整然とならんでいた。
建物の性格としては、工場建築に近いことから、同じレンガ造り建築と言ってもたとえば東京駅のような華やかさはない。
しかし、建物正面出入り口や側面には控えめながら装飾が施され、落ち着いた格調高いものとなっている、棟レンガ造り建築の最盛期の建設であることが実感され、今に伝える残り少ない遺産である。

立て看板より

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片隅に咲くコスモス

秋だけでなく、夏も咲くんだな。

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トロッコ列車の橋

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まだまだ直線区間は続く。
だんだんと精神修行の要素が多くなってきた。

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天然温泉峠の湯

ここでちょっとトイレ休憩。
水筒を忘れたので、トイレの水をゴクゴクと飲む。

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アプトの道には、所々こうした休憩所が設けられている。
水も飲んだし、先に行こうか。

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1号トンネルが現れた。
ようやく変化が出てきたな。

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トンネル内には照明あり。
ただし、点灯は午後6時まで。

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第2橋梁

下に下りる道が付いていなかったので、草刈りしてあった斜面を下って写真を撮った。

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トンネルのグレーチングの下に照明あり。
足元に注意してね、ということだろうか。

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坂本ダム

アプトの道のすぐ近くにあったので、ちょっと寄ってみた。
と言うよりトイレで水を飲みたかったのだ。
トイレの水は残念ながら飲用不可。

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坂本ダムの碓氷湖

湖の周囲にも遊歩道が整備されているが、特に見るものは無いので先に進むことにした。

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トンネルが連続する区間にやって来た。

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こちらはめがね橋手前の5号トンネル。
オレンジ色の明かりでレンガの壁が浮き上がって見える。

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ようやく3号橋梁(めがね橋)までやって来た。
う~ん、上からだとよく分からないな。

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上から旧峠道(18号線)を見下ろす。
観光客がウロウロしているのが見える。
帰りに下りてみるとしようか。

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めがね橋を渡ると6号トンネルに入る。
このトンネルが一番長くて雰囲気が良い。

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入って直ぐのところに温度計が下げてあった。
う~ん、これはなかなか涼しいな。
天然の冷蔵庫だ。
真夏に来たらさぞ涼しいことだろう。

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出口が見えないトンネルを歩く。
思わず自分の人生と重ね合わせる。

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かなり歩くと横穴が見えてきた。
むむ、上にも穴があるぞ。

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横穴を覗く。
これは明かりとりなのだろうか。
草が茂っていて何も見えない。

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上の穴は蒸気機関車の排煙口なのだそうだ。
今現在は安全のためにフタがされている。
このトンネルは一見の価値あり!

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またまたトンネルが連続する。

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最後の10号トンネルを抜けると熊ノ平駅(くまのたいらえき)に到着した。
ここは駅前の神社のある広場。

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熊ノ平駅(くまのたいらえき)

熊ノ平は信越本線が通わなくなり、今はアプトの道の折り返しポイントとして生まれ変わっている。
当初単線であった期間、横川~軽井沢間で唯一の平坦地であった熊ノ平駅では、上下線の列車が待ち合わせてすれ違いをしていた。
この頃の熊ノ平駅は、行楽の季節、乗降客で賑わっていた。
そして信越本線が複線化すると、熊ノ平駅は、変電所の機能を残して、駅としての機能は必要とされなくなった。

熊ノ平駅は、碓氷線が単線であったため、上り列車と下り列車のすれ違いと、蒸気機関車への給水・給炭の目的で設置されました。
碓氷線は幹線鉄道でありながら、その急勾配ゆえアプト式という特殊運転方式をとらざるを得ず、動脈に出来た血栓のように隘路(あいろ)となってしまう宿命を負っていました。
このため碓氷線には、常に輸送力の増大が求められ、新技術の投入によって解決が図られ、熊ノ平駅も待避線の設置や突っ込み隧道の設置などの改良を加えられました。
碓氷鉄道は急勾配なため、隧道が煙突の役割を果たし、煤煙によって乗客や乗務員が大変な苦痛を強いられました。
この煤煙の問題解決と輸送力増大のため、明治45年、我が国の幹線鉄道として初めて電気機関車が導入されました。
その後、昭和38年アプト式の旧碓氷線の廃止と、同41年の碓氷新線の複線化により、熊ノ平駅は信号場に降格となり、平成9年の碓氷線の廃止とともにその使命を終えました。
熊ノ平駅周辺は、紅葉の名所としても知られ、文部省唱歌「紅葉」は作者の高野辰之がこの周辺の紅葉を詠ったと云われています。

駅前の立て看板より

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廃墟と化している駅の建物

入り口は閉鎖されて中に入ることは出来ない。

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道路の方に下りてゆくと駐車場があるだけだった。
昔は簡易トイレが設置されていたようだが、現在はなし。
最寄りのトイレはめがね橋駐車場にあるトイレとなる。

おっさんはここで引き返すことにした。

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熊ノ平の駅の片隅にあったベンチでお昼にする。
水筒を忘れたので、パサパサした玄米ご飯は食べにくかった。
ご飯を食べていると大きなスズメバチがうろついていたので、食事を中断して歩くことにした。

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トンネル内の壁を撮影した。
壁紙に使えそうな画像となった。
風化したレンガがいい味出している。

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碓氷第3橋梁(めがね橋)

芸術性で多くの人を魅了する200万8000個のレンガで造られている日本最大の4連アーチ式鉄道橋。長さは91m、高さは31m。
明治25年に完成した碓氷線のシンボル。

 

旧信越本線の碓氷第3アーチ

建設  明治25年12月竣工
設計者 イギリス人 パウネル技師、日本人 古川晴一技師
構造  煉瓦造、アーチ橋(径間数 4、長さ87.7メートル)

建設してからのあゆみ

碓氷の険峻をこえるため、ドイツのハルツ山鉄道のアプト式を採用して横川、軽井沢間が明治24年から26年にかけて建設されました。
その勾配は1000分の66、●という国鉄最急勾配です。
これを昭和38年9月、速度改良のため新線の完成と同時に使用廃止となりました。
このアーチ橋は廃止になった構造物の中では最大のものです。
優れた技術と芸術的な美しさは今なおその威容を残しております。
ここに往時を偲ぶ記念物として、その業績を長くたたえたいものです。

   昭和45年1月1日
   高崎鉄道管理局
   松井田町教育委員会

立て看板より

 

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下から見ると凄く迫力がある。
よくもレンガを積み上げて巨大な橋を造り上げたな。

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こちらは橋を渡ったところにある展望スポットから撮影した。
やっぱりレンガの色合いがいいね。

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1号トンネルの手前で右の中山道と書かれた方に行ってみることにした。
同じ道を戻ってもツマラナイ。

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すると東屋と旧中仙道(なかせんどう)の入り口があった。
歩いてみたい気もするが、今日は水筒を忘れたので止めておくことにした。

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東屋からは旧道を歩くことにした。
交通量が少ないので、歩道のない道を歩いていてもそれほど怖くない。

フェンスの下に昔ながらの上水道の施設が見える。

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霧積温泉の入り口の看板があった。

霧積温泉(きりづみおんせん)は、群馬県安中市松井田町坂本(旧国上野国)にある温泉。
西條八十(さいじょうやそ)の「帽子」という詩の舞台である。また、この詩をモチーフにした森村誠一の小説『人間の証明』の舞台でもある。

Wikipediaより

若いころ、森村誠一の小説をよく読んでいたことを思い出す。
町中で息絶えた青年の残したダイイングメッセージ「ストウハ」の謎とは?
人間の証明か、随分と懐かしいなあ。
ちなみに私の好きな森村誠一の小説は、恐怖の骨格と星の陣、その続編の星の旗だ。
作品がワンパターンなので途中で読むのを止めてしまったが、随分と読んだ気がする。
船に乗っていると暇で、昔は本や漫画を読むか酒を飲むしかなかった。

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こちらは新しい上水道の施設。

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なんだか懐かしい食堂があった。
最近使われた形跡がなく廃墟となっていた。

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裏手に回ると昔の生活臭がしてきそうな路地があった。

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2階に雀荘があった。

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食堂のとなりのあった坂本八幡宮
赤色の鳥居が目立つ。

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覗いてみると変わった狛犬がいた。
頭でっかちで面白い。

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こちらは口を開けている。
全然怖くない。
わんわん

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中山道坂本宿と書かれた看板がある。
今は立派な直線道路となってしまって当時の面影を残すのは僅かになってしまっている。

坂本宿(さかもとしゅく)とは、中山道六十九次のうち江戸から数えて十七番目の宿場。
現在の群馬県安中市松井田町坂本。JR信越本線横川駅から国道18号線(旧道)を軽井沢方向に2kmほど行ったところにあり、その途中に碓氷関がある。中山道有数の難所であった碓氷峠の東の入口にあたり、本陣と脇本陣合わせて4軒、旅籠は最盛期には40軒ある、比較的大きな宿場であった。

Wikipediaより

 

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昔の面影を残す建物

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こちらも凄く風格がある建物。

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これは昭和の建物だ。
コカコーラの看板がいい味を出している。
店じまいをして随分となるようだ。

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途中、旧道をショートカットして集落の中を歩き文化むらまで戻ってきた。
これはEF63型電気機関車
動いていたので写真を撮った。
横の銘板を見ると昭和38年製 第710号 三菱電機 新三菱重工製造と表示されていた。
一般人がお金を払って運転しているようだ。
隣に教官のような人が付き添っている。

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遊歩道脇の建物にあった古めかしい看板。
これだけあると逆にすごくわざとらしい。
それでもなんだか価値のあるもののような気がする。
金鳥の看板は子供の頃に見た気がする。

 

アプトの道を歩いた感想

ゆっくりと寄り道をしながら歩いて往復で約4時間半だった。
めがね橋のところで数人と途中のトンネルのところでおばさん1人とすれ違っただけで、凄く静かな遊歩道だった。
上の熊ノ平の駐車場にバス停があったが、本数が少ないので歩いて戻って来なければならない。
片道は歩いたとしても帰りが苦痛になってしまうだろう。
私は歩くのは全然苦じゃないが、直線部分が多くて単調で少し退屈してしまった。
ガイドマップを見ると峠の湯の駐車場に車を置いて熊ノ平まで往復歩いて温泉に浸かり、最後に鉄道文化むらで電車を見るのが良いプランだと思う。
往復に4時間以上かかってしまっては、他にどこも行けなくなってしまう。

全区間歩いて見どころと感じたところは、めがね橋と6号トンネルだ。
あとは静かな遊歩道が延々と続く。
まあ、家族で歩いたら楽しいのではないかと思う。
トロッコ列車が走る時にやってきて、ぶんかむら駅からとうげのゆ駅までトロッコ列車に乗るのがベストかも。

まあ、雨が上がっている間に戻って来れて良かったと思った。

 

走行ルート

走行距離   10.8km

本日のねぐら 中木ダムの奥

 

おわり

コメント

  1. JB23W09XG5MT より:

    時々紹介されているので知ってはいますが行ったことは無いです。
    病み上がりから足腰衰えが目立つ女房にはちょうど良さそうでプラン立ててみます。

    どうやらコイルだけではなくコードもトラブル起こすようです。
    通電量が減るような事であれば不調も頷けます。
    忘れてましたがJA22の時プラグコードは全部交換していたのを思い出しました。
    やはりコードの接続位置を入れ替えして確認するのが良いと思われます。

    • karaage より:

      近くに温泉もあるので、歩いたあとでゆっくりするのも良いと思います。

      そういえば、イグニッションコイルのコードですが、長さピッタリで余裕がほとんどありませんでした。
      外すときちょっと無理に引っ張ってしまったので、断線しかかっているのかもしれません。
      長さの関係で入れ替えることは出来ません。
      まずは天気の良い日に点検してみようと思います。
      と言っても外観のチェックしか出来ませんが。

  2. としちゃん より:

    こんばんわ 毎日読ませてもらっています。
    横穴が開いていて、上に灯りが点いているトンネルは、独特の情緒がありますな。
    少し前の日のポッカリと開いた森の中の空間も、ファンタジーのゲームに出てきそうな
    美しさです。
    とても良い体験をされていると感じます。
    頑張ってください

    • karaage より:

      どうもありがとうございます。
      この排煙口のあるトンネルは特別に雰囲気が良かったです。
      耳を澄ますと蒸気機関車の汽笛の音が聞こえてきそうでした。

  3. ゆた より:

    こんにちは。
    霧積温泉と言えば今は一軒宿となってしまった金湯館は車で行くことができません。
    とは言っても30分ほど歩けば、着いてしまうのですがどうもそこが昔は軽井沢が開かれる
    前に避暑地として賑わっていたそうです。その様子がわかる絵が上野の古本屋街で発見され、金湯館で展示されていたと思います。今では信じられませんが何十件も宿屋や別荘があったようです。結局大水で流されて衰退しってしまったのですがとても感慨深い温泉です。

    • karaage より:

      なるほど、それで群馬の秘境とか書かれていたのですね。
      地図で見るとかなり山奥の温泉です。
      それが避暑地として賑わっていたとは凄いですね。

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