みちのく潮風トレイル踏破記録 【その8】~釜石から大船渡まで~

2016日10月28日(22日目)

行程

石塚(いしづか)峠手前から羅生(らせい)峠手前まで 

歩行距離 20.7km 
行動時間 8時間50分(休憩時間を含む)
ねぐら  羅生峠手前の伐採跡地

04:00 起床 くもり テント内14℃

採石場の作業は日没後もしばらく続き、7時前になってようやく終わった。
静かになって周囲の気配がよく分かるようになると、鹿の鳴き声があちこちでするのが分かった。
東北では珍しいとされるニホンジカが北上しているように思われた。
昨日の公園でも夜間になると鹿の警戒音を何度も耳にした。

06:00 出発

山陰にテントを張ったため、いつもの6時前の撤収時でも周囲はかなり薄暗かった。
そのため、ヘッドランプを点灯して作業を行った。
新しい靴を手に入れて気分良く出発したいところだが、出発後いきなり道に迷ってしまった。
採石場手前の堰堤ゲートの意味が分からずに下の方まで下りてゆこうとしてしまった。
トレイルマップは25000分の1の地図で分かりやすいのだが、標識が全くなくてかなり迷う時がある。
今回もそのパターンで、地図を見ながら行ったり来たりとかなりのタイムロスとなった。
欲しい時にまったく標識やテープが見当たらないということもあって、かなりイライラしてしまった。
どうでもいいところにいくつかあって、肝心のところにないと本当に腹が立ってくる。
昨日の平田公園からの登り口にもかなりイライラさせられた。
今日は朝からイライラしてしまって、体と心のバランスが取れずに無駄に消耗した1日となった。

堰堤ゲートのようす

このゲートの脇を通って奥の石塚峠へと進む。
冷静に見れば堰堤のゲートと分かるが、始めは何か変電所のような施設だと思っていた。
思い込みによる見間違いだろうか。目に見えているのに気が付かない時がある。
どこか分かりやすいところにテープでも付けてくれていればと、甘えたことを考えてしまった。

その後、杉林の中の道をゆくが、二股の分岐で凄く迷うところがあって、どうしようかかなり悩んだ。
地図を見ても判然としない。
意を決して直進したのだが、自分が選んだ道が正解だと分かるまでかなり歩かねばならなくて、まやもや歩きながらイライラしてしまった。
イライラの影響か、歩き始めて1時間もしないうちにザックを下ろして休まねばならなかった。

06:45 石塚(いしづか)峠

杉林を抜けて雑木林の急坂を登ってゆくと、前方が明るくなってきて、ようやく峠に到着した。峠付近は、昔の面影が残っていて、かなり雰囲気が良い。
周囲にはテントを張れそうなスペースがあった。

石塚峠の印杭

南部・伊達両藩の藩境は、西は奥羽(おおう)山脈の和賀駒ヶ岳から、東は奥の唐丹(とうに)湾までおよび、この藩境が決まるまで50年あまりも争論がつづきました。
石塚峠は、街道筋の重要な浜街道にある藩境で、道の両側に印杭が建てられました。
西側の根元部分が僅かに残っていましたが、後世に引き継ぐため市郷土資料室に保管しています。印杭として唯一現存する貴重なもので、昭和62年3月27日、釜石市指定文化財に指定されました。

平成元年7月 釜石市教育委員会

立て看板より

参考リンク 郷土資料よもやま話

峠を越えたところあった七里塚。
石が積み上げられて小山のようになっていた。

史跡 石塚峠(平田坂)の七里塚

この道を挟んで両側に土饅頭のように土を盛り上げてあるのは、土地の人々が言っている七里塚で、道のりを示す道標である。これは浜街道にある七里塚で、仙台藩に多くあり南部藩にも七里塚と呼ばれているものもあるが、現在の釜石市内にそのまま残っているのはここだけである。
昔の道のりは里、丁、間であらわし、一里は三十六丁であるが、この七里塚は小道(一里は六丁なり)であらわしたもので、七里は四十二丁になり、七里塚と言っても実は一里塚のことであると言われている。
鍬台峠の浜街道三陸町側にも、もとのまま残っている七里塚がある。

平成16年3月 釜石市教育委員会

立て看板より

*一里は約4キロメートル

杉林の中の快適な道をゆく。
手がかなり加わっていて、集落が近いことが感じられた。

07:15 石塚峠登り口

本郷集落に出たところ。
このまま道なりに道路を歩いてゆく。

本郷漁港

小さな漁港。トレイルコースから少し離れているため、寄り道せず。
集落と漁港の間で防潮堤の工事が行われていた。

07:25 測量の碑・星座石の入口

集落から漁港へと通じる道路の脇にある。
階段の二股を左に進んだ。(右は未確認)

測量の碑・星座石

50mほど登った高台にある。
単なる石碑があるだけで、まったく面白みはない。

伊能忠敬が幕府の命により伊豆から東北にかけての海岸線を測量した際、この地に至り北緯39度12分と測量したことを顕彰した碑があります。碑を建立した葛西晶丕は、北緯の度数を中心に黄道十二宮及び十二次と言われる星座名を交互に配列し、石に刻んだ「星座石」もこの地に残しています。

トレイルマップ解説より

石碑のある場所は、見晴らしの良い広場となっている。
近くにトイレ・水場はないが、なかなか快適そうな野宿場所だと思った。
ここなら民家とも離れているので、静かな夜を過ごすことができそうだ。

峠を越えて小白浜集落を見下ろす高台までやってきた。
この峠を越える道の入口が分からずに近所をウロウロした。
朝からイライラしてばかりいて、注意力が散漫になっている感じがした。
最後にはトンネルを通ろうとしたが、その時になってようやく入口を発見した。
重荷を背負って実際に歩いていると、疲れと焦りのため読図能力が落ちてしまい、なんでもないところでも道迷いをしたりする。

集落内の細い道を通って唐丹(とうに)駅方面へと歩く。
駅近くの橋が工事中で通れなかったので、迂回して国道45号線を歩いた。

08:45 唐丹(とうに)駅

集落の外れ、民家が散在する川の河口付近にある駅。
駅周辺は広々としていて野宿も可能。
ただし、交通量の多い国道45号線沿いにあるので、落ち着かない。

駅前の公衆トイレ

建てられたばかりの新しいトイレ。
手洗い場で水汲み可能。

公衆電話と屋根付きの自転車置場あり。
屋根が高いので、風が強い日だと雨が吹き込みそうだった。

駅入口の通路を挟んで屋根の低い自転車置場あり。
こちらも利用者はなし。

駅入口の地下通路

通路の巾は狭め。通行者の邪魔になるので、テントは張れない。
悪天候時のシェルターとして利用できる。

唐丹駅を後にし、片岸の集落を見下ろす。
熊の木トンネルは通らずに海岸線の旧道をゆく。

通行車両のほとんどない旧道は荒れ放題となっていた。
ところどころ、分厚く落ち葉が堆積しているところがあった。

車が来ないので凄く気楽なのだが、景色が見えない単調な道で辛かった。

10:00 鍬台(くわだい)峠登り口

下荒川集落の外れにある登り口。
開けた場所に標識が立っていて、遠くからでもよく分かった。

重機で踏み固められた趣の全くない林道歩きから開放され、ようやく山道を歩くことになった。
ここまで来る間にもところどころにある紛らわしい分岐に悩まされた。

山道に入って峠に向かって登ってゆくにつれて、昔の面影が漂うようになった。
雑木林の中に道は続いていた。

11:30 鍬台(くわだい)峠

雑木林の中の静かな峠。
周辺は広々としていて開放感があり、テント泊も可能。

峠を越えたところに一里塚あり。
峠からはしばらく平坦地が続くので道迷いに注意。
踏み跡が乱れて薄くなっていていたが、たくさんのテープが付けられていたので、道迷いすることなく麓に下りることができた。

ちょうど一里塚を越えたところで、ツキノワグマと遭遇した。
クマが斜面を駆け上がって後ろを振り返りながら逃げてゆくのが見えた。
お互いの距離は30mとかなり離れていたので、緊迫した状況ではなく落ち着いていられた。

平坦地の中を流れる沢。
付近に民家はなく、見た目綺麗な水で飲用可能と思われる。

伐採あとの植林地を迂回しているところ。
鹿の食害を避けるためにネットで囲われてしまったので、コースが変わったもよう。
滑りやすい斜面を歩くのに往生した。

12:30 鍬台峠登り口(南側)

山から鹿が下りてくるのを防ぐため、ネットが設置されていた。
大きなザックが網に引っかかって抜けるのに手間取った。

林道脇にあった謎の施設

漁協関連の施設と思われた。
東屋のような大きな屋根の下に車が出入りしているタイヤの跡が残っていた。

沢水が引かれて貯水槽に貯められている。
ここで洗い物をしているようだ。

13:00 白木沢一里塚

気仙浜街道 白木沢一里塚

気仙地方は、伊達藩主の時代から仙台藩の領地でした。気仙浜街道は、仙台藩の命令により領地を監督するために造成された道路です。また塩や海産物を米、味噌、醤油などの内陸の産物と取引するための生活道でもありました。
昭和の大津波(昭和8年)以降に現在の県道ができ、馬車が通れるようになりました。けれどもどこへ行くにも村民の移動手段は歩くことが主で、当時は盛や釜石まで1日がかりで歩きました。
吉浜地区の浜街道には、開発等による消滅免れた「平根一里塚、白木沢一里塚、石畳道、鍬台一里塚」の四史跡がまれに残されています。浜街道は、身近な生活道として地方の方々に愛され、その一部は現在も利用されています。
一里塚は、旅人の目印として主要街道の側に、一里(約4km)毎に設置した土盛りのことです。
塚には大きな木があり、旅人が木陰で休んだと言われています。
気仙浜街道は、東松島市小野町から釜石市唐丹町に至る約四十里(国道45号160km)の一本道です。

   平成28年9月吉日
   吉浜教えの里プロジェクト

 

 

13:05 吉浜(よしはま)駅

ピンク色の桜の花びらが描かれた可愛い駅舎。
休憩のタイミングを失して、昼休憩を取らずに吉浜駅までやってきてしまった。
イライラするばかりで疲れて全然歩けないので、早々に羅生峠付近で野宿することに決める。
忘れないうちに、トイレで水を汲んでおく。

駅舎の中は本棚が置いてあって、中には本がびっしりと詰まっている。
これなら電車の待ち時間に退屈しなくていい。
待合室の奥は大船渡市役所の吉浜支所となっていた。

この吉浜駅も夕方になると駅舎が閉まってしまう。
夜間トイレはホーム側から入るようになっていた。

単線のホーム

なんだか昔なつかしい感じがする。

吉浜集落内のスーパー白木沢

ここで食料品を購入することができる。営業時間は午前8時から午後7時まで。

昔の郵便局の建物。
集落内の大通り(県道250号線)沿いに建っていた。
なんだか石造り風の味のある建物だった。

13:35 新山神社

道路から一段高いところにある小さな神社。

トイレ、水場はなし。
そこそこ広いので、野宿することは可能。
ひょっとしたら地元の人が散歩にやって来るかもしれない。

神社近くの津波石。
震災後に建立されたもので、ピカピカに光っていた。

吉浜川河口付近で行われている防潮堤の建設工事。

14:50 テント設営

吉浜川沿いを歩き集落から離れ、国道45号線を横断しながら羅生峠に向かって登って行った。
今日は調子が悪いし、夕方頃から雨が降り始めるという予報だったので、早めに野宿することに決めていた。
集落を出てからもなかなか野宿適地が見つからずに焦りが出始めたところだった。そんなとき、突然前方が開けた。
山林伐採跡地の中に平らな場所があってテントを張れる場所がある。
道路から近くて車の音がするが、ほとんどの車は無料高速の方に流れてゆくので、交通量は少ない。
ここで泊まることに決めた。

予報通り夕方5時半を過ぎるころ、雨が降り始めた。
雨音を聞きながら、ゆっくりテントで休んだ。

食事

朝 白麦ごはん、ハンバーグ、みそ汁
昼 パン×2袋、お菓子×2袋、バナナ×1本
夕 白麦ごはん、ハンバーグ、みそ汁

 

 

2016日10月29日(23日目)

行程

羅生峠手前から綾里(りょうり)崎まで 

歩行距離 25.7km 
行動時間 9時間20分(休憩時間を含む)
ねぐら  綾里崎手前の林道脇

04:00 起床 晴れ テント外12℃

昨日の夕方から降り始めた雨は夜中の1時過ぎに止んでくれた。
ねぐらは道路のすぐ近くだったが、交通量が少なくてそれほど気にならなかった。

05:55 出発

昨日は早めにテントを張って休んだので、体の疲れがかなりとれた。
そのためか、イライラはかなり和らいでいた。
水はけが良かったので、地面の泥濘は無し。
テント撤収に手間がかからなかった。

荒れ果てた林道を歩いて羅生峠を目指す。
かつては交通量があったであろうこの道も国道45号線が通ると寂れてしまったようす。
そして今は無料の高速道路が通ったため、国道45号線の交通量も減ってしまった。

06:20 羅生(らせい)峠

峠の名前の標識もない静かな峠。
淡々と歩いて通過した。

越喜来(おきらい)の集落まで下りてきたところ。
ネットで調べると「おっきらい」と読み仮名がふられていることもある。
どっちかイマイチよく分からない。

集落の出口には、鹿よけネットが設置されていた。

集落の中の歩く。
方向感覚がおかしくなって少し道迷いをした。

越喜来中学校

学校前を通り過ぎる。
朝早くから父兄が車に乗ってやって来ていた。
何かのイベントだろうか。

三陸サイコー商店街

海岸近くに何軒か新しい店が建っていた。
早朝のため、営業はしていない。
ここは貴重な補給ポイントだ。

越喜来海岸付近のようす

海岸付近は津波の被害が多く残っている場所だった。まだ復旧工事の最中で近寄ることはできない。
迂回路を通って先に進む。
三陸鉄道の三陸駅を探していたが、標識がないため全然分からなかった。
犬の散歩で歩いている人に聞いてようやく駅の場所が分かった。

07:30 三陸駅

高台にある三陸鉄道南リアス線の駅。
遠くからは駅舎が見えないため、よそ者が探し当てるのは苦労する。
駅前は舗装された広場となっていて休憩するにはピッタリ。
付近は民家があって人気があるので、野宿するにはある種の覚悟と諦めが必要。

三陸町観光センター

駅の切符売場と待合所兼観光案内所といろいろ兼ねている施設。
夜間は閉鎖されているが、裏手から入ってトイレのみ使用できる。
ちょうど大を催してきたところだったので助かった。

観光センターの裏側

早朝、夜間はここを通って駅を出入りする。
トイレはこちらの方から入る。

線路下通路から観光センターの方向を撮影する。
通路が広くて休憩にぴったり。
ちょうどぱらぱらと雨が降ってきたところだったので、ここで休んだ。

海岸近くに建設中の防潮堤。
ここでもコンクリート製の巨大な人工物が景観を台無しにしていた。
災害を防ぐためとはいえ、なんだか悲しくなった。

越喜来集落外れの高台にある展望所。
広場に東屋があって休憩できる。
このすぐ下には公園があった。
トイレと水場はないが、目立ちにくいところで、この展望所よりも野宿向きな場所だった。

展望所からの越喜来湾の眺め。
にわか雨は上がって天気は回復中。
気分も上向き調子となった。

08:40 甫嶺(ほれい)駅

展望公園出て直ぐの泊集落の海岸付近では防潮堤工事が行われていたので、そのまま県道9号線を歩いた。
そして途中から小道に逸れて甫嶺駅までやってきた。
何度見ても読み方を忘れる。
駅前は広い駐車場があって開放的な感じだった。
駐車場角のブロックに腰を下ろしてゆっくり休んだ。

トイレあり。
水洗で綺麗に掃除されていた。
嬉しいことに外水道もあり。さっそくここで泥に汚れた靴下を手洗いした。

駅のホーム

ホームの待合室

ゆったりとした造り。ここなら野宿できそう。

甫嶺駅過ぎの小さな漁港

小石浜漁港

県道9号線から漁港を見下ろす。
ここも海岸近くに防潮堤が建設されつつあった。

09:50 恋し浜駅

今日はこれで3つ目の駅。
駅ごとに休憩して歩いてきた。駅はだいたい等間隔にあるので、定期的に休みながらリズムよく歩くことができる。
昼にはまだ早いが、お腹が空いたので、ラーメンを作って食べることにした。

駐車場の片隅で荷物を広げてラーメンを作る。
日が当たって気持ち良い。

駅前のトイレ

甫嶺駅と全く同じ造りのトイレ。
外水道もある。

駅のホーム

食事を済ませると手ぶらで駅の見学にやってきた。
ここはちょっと面白い駅らしい。

待合室の中には、ホタテの絵馬がいっぱい下げてあった。
ホタテに願いを書くと願いが成就するのだとか。

ホタテの絵馬は無料。マジックも置いてある。
マジックで願い事を書いたらそこら辺の紐に通して吊り下げる。

駅のホームから下のコミュニティーセンターまで屋根付きの通路が繋がっている。
ここはホームと通路の接続部分で一番屋根が大きい。

通路の両脇にもたくさんのホタテが吊り下げられている。

コミュニティーセンター

要するに地元の人の公民館だ。
人気はなくひっそりとしている。

コミュニティーセンター広場の片隅に東屋あり。
トイレと水場は見当たらなかったが、駅のトイレまでそう遠くはないので、ここで野宿することも可能。

駅ホームより小石浜を見下ろす。
ここは山間の小さな集落だ。

県道9号線を歩いて峠付近までやってきた。
越喜来湾を見下ろす。
曲がりくねった道を延々と歩いて汗をかいた。
ふと立ち止まって休むと爽やかな風に吹かれて気持ちよかった。

11:30 恋し浜駅と綾里駅の間の峠

標識がなく名前は不明。
分岐の奥にザックを置いて休憩した。

12:35 綾里(りょうり)駅

本日4つ目の駅。
これより民家のない綾里崎に向かって歩いてゆくので、待合室のトイレで水を汲んで水筒をいっぱいにした。

駅舎の中の待合室のようす。

観光案内のパンフレットがあちこち貼られている。
みちのく潮風トレイルのトレイルマップも貼られていた。
奥の売店に売店があったので、テント内で食べるお菓子2袋を購入しておいた。
テント内で寝てばかりいても飽きてくる。たまにはお菓子を食べてゴロゴロするのもいい。

駅の隣にあった建物。
中を覗いてみると。

獅子の大きな頭が置かれていた。
下の木製の台に大権現神輿 寸法2m四方、重さ約1,000キロと記載されていた。
見ただけでも重そうに感じる大きな頭だった。

綾里集落内のスーパー明治屋

この近くにもう一軒小さなスーパーあり。
綾里でも食料の調達が可能。ただし、昼間のみの営業と思われる。

野々村集落を抜けて綾里先に向かうところ。
しばらく進むと未舗装の林道となる。
海岸から離れた山の斜面に付けられた道で景色は見えない。
長くて単調な林道歩きが始まる。

伐採地に入り展望が開けたところ。
明るい雰囲気で気に入ったが、まだ野宿には早い時間だったので、先に進むことにした。

道路脇に設置された「明神様入口」と彫られた石碑。
脇道が下に延びていたので、覗いてみると谷底に神社があった。
なかなか良さそうな野宿場所に見えたので、寄ってみることにした。

上から神社を見下ろす。
周囲の山林は少し伐採されていた。

尾崎山神社

場所 岩手県大船渡市三陸町綾里野々前

トイレなし。水場あり。

周囲に民家はなくとても静か。
谷底にあるので風は吹かない。
ひっそりと野宿するには最高な場所。

14:20 尾崎山神社

海岸の方が神社の正規の入口となるようだ。
下から神社を見上げる。早くも山陰に入っている。

神社の境内はフラットで野宿に最適。
夏場は、早めに日が陰るので、涼しく過ごすことができそう。

この神社は水場があるのが良い。
直ぐ隣を流れる沢から水を汲むことができる。

15:15 テント設営

尾崎山神社からさらに歩いて綾里先の手前の林道脇でテントを張った。
この日は舗装路メインのコースで、いい感じのペースを保って歩くことができた。
ちょうど西寄りの風が強く吹いている時だったので、山陰となる谷筋のところを野宿場所に選んだ。

昨日の夜の雨で濡れていたテントを乾かしているところ。
この日は既に日が陰っていたため、テントは乾かず仕舞いだった。

食事

朝 白麦ごはん、みそ汁
昼 食パン×3枚、ラーメン
夕 白麦ごはん、レトルトカレー、みそ汁

 

2016日10月30日(24日目)

行程

綾里崎から大船渡まで

歩行距離 17.2km 
行動時間 9時間(休憩時間を含む)
ねぐら  大船渡市街手前の八坂神社

04:00 起床 くもり テント外7℃

夜寒くて何度も目覚める。
朝晩の冷え込みが厳しくなってきて起きるのが辛くなってきた。
テントのフライシートには夜露がびっしりと下りていた。

06:10 出発

寒さのため体が動かしにくくて思うようにパッキングができず、いつもより出発が遅れる。

06:30 綾里崎灯台分岐

灯台の分岐までまだかまだかと歩いていると、展望台のある広場があった。
名前の付いた標識はないので、視界不良時は分かりにくい。
ここだけ道幅が広くなっているので、脇のほうにテントを張ることができる。
ただし、トイレ、水場はなし。

展望台から綾里崎方向を望む。
斜面を下りて崖の際まで下りてゆかねばならず、少し距離がある。

綾里崎灯台のアップ。

灯台への遊歩道

端の方にトレイルの標識がさり気なく設置されている。
展望台にザックを置いて灯台まで往復することにした。

灯台に向かって下りているところ。
始め傾斜はかなり急で、灯台に近くなると緩やかになってくる。
灯台付近の平らなところは踏み跡が乱れていて分かりにくいところがあるので、視界不良時は注意。
鹿の踏み跡が多数で紛らわしい。

灯台手前の宿舎跡地

おそらく以前ここには灯台を管理する人が住む宿舎が建っていたと思われる。
コンクリート製の壁が今はなき建物を物語っている。

06:45 綾里崎(りょうりさき)灯台

崖の近くに建っている大きい灯台。
電気は来ておらず、ソーラーパネルで電気を賄っていると思われる。
周囲は樹木が生い茂っているので、あまり見晴らしは良くない。

灯台の周りの地面はコンクリートで固められている。
この灯台下や、宿舎跡地、手前のフラットな場所でテントを張ることができる。

松林の向こうに断崖が見える。

展望台に戻って来ると、しばらく休憩する。
ちょうど雲の切れ間から太陽が覗いていた。

尾根筋のトレイルルートの入口

展望台広場の直ぐ近くにあり。
標識にはトレイルのテープが取り付けられていた。

クマ出没注意の看板

周囲は人気が全くなし。地面の掘り返し跡や糞を時々見かける。

07:25 綾里崎無線方位信号所

海上保安庁の施設。

無線方位信号所(むせんほういしんごうしょ)は、航路標識のうち電波を利用して位置を知らせる電波標識局の一種。海上保安庁交通部が運用する。電波灯台とも呼ばれている。
多くは灯台に併設されており、特定の無線電波を発して付近の船舶に方位や位置を伝え、その航行を補助する。使用する周波数帯により、中波無線標識(中距離・近距離用)を用いる中波標識局とマイクロ波無線標識(近距離用)であるレーマークビーコンまたはレーダービーコンを用いるマイクロ波標識局とに分かれる。中波標識局とマイクロ波標識局の両方を備える信号所も存在する。

Wikipediaより

無線方位信号所から直ぐのところに倒木あり。
電線の上に巨大な倒木が乗っていて危険な状態だった。
安全のため距離をとって迂回する。

牧場跡地の中を通る。
牛が脱げないように有刺鉄線で囲まれている。
最近、牧場は使われている形跡は無し。
ルートは尾根上に付けられていて見晴らしは良好。

開けた場所に出たところ。
奥の方の一番高いところに東屋があった。

大船渡方向を望む。

07:40 展望広場の東屋

展望広場の中にある東屋。
景色の良いフラットな草地で休憩するにはピッタリ。

東屋の中は広々として余裕でテントを張ることができる。
ただし高台にあるので、落雷に警戒が必要。

藤二(とうじ)大明神

むかし、この辺りに藤二という人が住んで、塩煮を仕事に暮らしていた。
藤二がある日、沖を眺めていると、一郭に小波が立ち、海鳥が群がり、赤茶色に見えた。
それを漁師に知らせると、赤魚が根付く大漁礁であることが解ったのである。
いらい漁師が出漁すれば、必ず大漁となって生活が潤い、皆でその根を「藤二ヶ根」と名付けたという。今も、名漁場として栄え、魚の宝庫として言われている。

この碑は、「藤二ヶ根」を発見した藤二を神のように敬い、田浜の漁師たちが天保十二年に建立したものである。

     平成七年十二月吉日 三陸町

ヒビが入った大きな岩

大明神過ぎの遊歩道脇に転がっていた。

見晴らしの良い遊歩道

麓の集落まで下りてきたところ。

08:50 天照御祖(あまてらすみおや)神社

参道や鳥居が新しく整備されている。
石段の手前に手水舎が見えたので行ってみることにした。

手水舎の蛇口をひねると水が出た。
参道は急な山の斜面へと続いていた。
上の境内は確認せず。この付近でゆっくり休んだ。

神社からすぐ近くの漁港。
船揚場のスロープにたくさんの小型漁船が揚げられていた。

綾里側に沿って歩く。
しばらく集落内の直線道路を歩く。
川の上に作られた鉄板の歩道の上を歩いていると、ストックを突く時にカンカン音がした。

綾里川上流部のダム下にある浄水場の隣にある小さなお堂。
広場になっていて休憩に良い。野宿もできないことはない。

お堂の前の分岐を左に折れる。
直進するとダムの方にゆく。

不動滝手前の駐車場

少し奥に行ったところ、不動滝への遊歩道の入口にあった鳥居のような木製のものが倒壊していた。
この広場にザックを置いて空荷で不動滝まで行った。

不動滝へと続く石畳の道に設置されている鳥居。

沢に沿って続く遊歩道。
落ち葉を踏みしめながら歩く。

10:00 不動滝(ふどうだき)

落差20mほどの滝。水量は少なく水音は小さい。

滝の近くにある水場

「いわて名水20選」

昭和16年10月18日 岩手県指定

 

不動滝の水

周囲を数百年の杉、栃の古木に覆われ苔類が生える岩肌を流れ落ちる「不動滝」は男滝、女滝からなり、白糸の如き5丈の高さから流れ落ちるこの滝水は豊かな水量とその清澄度において他に類を見ない優れた水環境が保持されております。
また古来から「不老長寿、五穀豊穣」の神水としてこの地の人々から深く信仰されているところであります。
この度、この不動滝の水が岩手県において優良な自然の水の保全と県民の水質保全意識の高揚を固めるために制定された「いわて名水」選定実施要領に適合するところとなり、「いわて名水20選」に認定されたものであリます。

三陸町

狛犬(左)

狛犬(右)

大きな岩屋にある小さな社。
旅の安全を祈願する。

不動滝奥の荒れた林道を歩いてゆくと、綾里街道の登り口があった。
峠へと続く街道は非常に雰囲気が良い。
滅多に車が来ないような山奥で静かに歩くことができた。

登りは急ではないが、朝からオーバーペースで歩いていたため、すでにバテてしまっていた。
休み休み登っていったので、一向に前に進まない。

11:30 綾里峠

人気が全くない静かな峠。
風と木々の枝が揺れ動く音が聞こえるのみ。

峠を過ぎると急に風当たりが強くなったので、ウインドブレーカーを着て歩いた。

山の中に設置された反射板

障害物を回避するため、ここで一旦電波を反射させて電波を送信している。
山林内にひっそりと建っていた。

 

赤岡地区運動公園(正式名称不明)

場所 大船渡市街地手前の赤岡地区

トイレ、水場あり。
大きな野球場のある公園。駐車場の隣に立派なトイレが整備されている。
県道9号線沿いで人気が多い場所。
野宿は暗くなるのを待つ方が賢明。

12:40 赤崎地区運動公園

県道9号線沿いにある公園で、大きな野球場がある。ナイター設備はなし。
広大な駐車場には立派なトイレがある。
始めは、ルートマップの三陸鉄道陸前赤崎駅を目指していた。
ところが集落に下りてきても、全然場所が分からなかった。
お店の人に聞いてようやく分かったところだったが、駅に向かう途中に運動公園を見つけた。
広い駐車場には真新しいトイレもあって休憩には最適の場所だった。

トイレ

温水シャワー付きの水洗トイレだった。
断熱が効いていてトイレ内は暖かかった。
いつも野宿ばかりしている人間に言わせるとホテル並の快適さだった。

外水道の施設

なんとシャワー付き。しかし、元栓を閉められていてシャワーは使用できなかった。

 

駐車場の片隅で昼休みをとる。
風が強いなかラーメンを作って食べた。
風よけがなくて開けた場所での休憩だった。
綾里峠をどうにか越えて下りてきたものの、既にバテていて歩く気力が全然ない。
早くもこの運動公園の片隅で野宿しようと思っていたが、少年野球の団体が練習を始めた。

休憩していると自転車に乗ったおじさんが現れた。
自称世界を股にかけるビジネスマンとやらで、眉唾ものの話をたくさん聞かされた。
長話をしていて気がつくと2時を過ぎていた。
もう今日中に大船渡市街地を抜けるのは無理だと悟って、近場でねぐらを探すことにした。

 

八坂神社

所在地 岩手県大船渡市赤崎町跡浜

 

トイレなし。水場あり。

集落入口の高台にあり。人目につかない静かな神社で良好な野宿スポット。
岸壁の方から潮風に乗って船のエンジン音が聞こえて来る。

15:10 テント設営

運動公園で水をいっぱい汲んで、大船渡市街地に向かって県道9号線を歩き始めた。
川を渡ったところで、右手の方に神社を発見した。
県道から少し離れた集落の入口にある神社だった。
参道を登って行って境内に入ると良さそうな場所だった。
疲れていたこともあり、ここで野宿することを即断した。

神社入口にある水道。
蛇口をひねると水が出た。

社務所の隣に古い仮設のトイレがあったが、傷んでいて使用不能だった。
大を催した時は裏山の中で用を足す。

日のあるうちにテントを張ってゆっくりする。
運動公園で洗濯した衣類は手すりにかけて干しておいた。
しばらくしてから夫婦がやって来て長い間お参りしていた。
野宿している間にやってきたのはこの夫婦だけで、ゆっくり休むことができた。

食事

朝 白麦ごはん、レトルトカレー、みそ汁
昼 クラッカー×1袋、ココナッツサブレ×1袋、袋ラーメン
夕 白麦ごはん、みそ汁

 

大事をとって大船渡市街地手前で野宿することになった24日目。
この時は碁石海岸のことしか頭になかった。
というか、考えないようにしていた。
まだまだ続く海岸線に辟易していた。

 

つづく

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