こんにちは。からあげです。
今日は再び雨模様となっている。
しとしと降る雨が人々の外出意欲を削いでいるのだろうか、日曜日なのに静けさが辺りを支配している。
この雨が上がればしばらく好天が続きそうだ。
それまではじっとしていることにしよう。
ところで、私には協調性がない。
自分ではそれほど意識している訳ではないが、周りの人間から散々言われ続けてきた。
小学校の通知票には、毎回、協調性がないと書かれていた。
成績はそこそこ良いのだが、協調性がない、ということで全てが台無しになる。
親父に見せる度に怒られていた。
稀に機嫌の良い時は、大爆笑していた。
お前は本当に協調性のない奴だなと。
ホッとすると同時に何とも言えない違和感を感じていた。
協調性とは、異なる環境や立場にいる複数の者が、互いに助け合い・譲り合いながら、同じ目標に向かって任務を遂行する素質をいいます。
元々、日本社会は農村社会の延長線上に位置づけられてきた関係で、協調性が最重要視されてきたという背景があります。企業活動においてもそれは色濃く残っており、高いパフォーマンスを発揮するがスタンドプレーが多い人間よりも、目立った実績はないが協調性が高い人間の方が評価される、というケースがしばしばあるのです。
つまり、「協調性がある」というメリットは、ビジネスマンとして必要不可欠で、かつ大きなアピールポイントになる要素なのです。
日本社会で重視される「協調性とは」一体何なのか。
クラスで孤立し一人でいるだけで、協調性のない者として勝手にレッテルを貼られる。
私は周囲と仲良くしようと試みるが、相手にされず排除される。
私を排除することによってクラスの結束力が高まった。
自分の思ったことをそのまま口に出してしまう子供(ある意味素直)だったので、自分勝手で思いやりのない子だと決め付けられていた。
弁解する余地はなかった。
言い訳をするなと教師やクラスメイトに怒られた。
今は個性の時代とか都合の良いことを言って、周囲から浮き上がって目立った存在をもてはやす風潮にあるが、社会・会社にとって利益にならねば(金儲けの種)、変人と言って除け者にする。
一体自分勝手で傲慢なのはどちらの方なのか。
子供のころ、親父にやいのやいの散々言われて人間不信になったお陰で、教育という洗脳を受けることなく、真っ当な大人になることが出来た。
どうしてクラスのみんなは、教師を始めとする大人の言うことを疑いもせずきくのだろう不思議に思ったものだ。
子供の心は脆く、素直であるために、大人の都合の良いように矯正できる。
高度経済成長真っ只中で、上からの命令に服従する自分の意思を持たない、規格品の人間を量産するのが、当時の教育だったのだろう。
世界のトヨタの城下町、愛知県だったから尚更だ。
不良品だった私は弾かれた。
「協調性がない。」とは、言い換えれば自己主張出来る、主体性を持った人間であると言える。
今の日本は低迷期をとうに過ぎて、衰退期に入っている。
時代のルールは既に変わっているが、今の権力者がルール変更を頑なに拒み、現状維持するのに必死になっているだけだ。
もうすぐ私のような人間が必要とされる時代がやって来る。
これからの厳しい時代は、自分の頭で考えられないような人間は、使い捨てにされて消えてゆくだけだ。
自分の身は自分で守ってゆく必要がある。
ある種のサバイバル時代に突入したのだ。
私は天性のリーダー素質を持った人間であるのか。
それとも孤高の一匹狼で、誰も必要としない(誰からも必要とされない)人間であるのか。
私は探検隊の隊長なのだが、今のところ隊員はなし。
協調性のなさが、隊員をピンチに陥れる。
隊の活動の足を引っ張る隊長。
そんなことも考えられるので、当分の間は一人で活動してゆく。
やっぱり一人の方が身軽でいい。
さあて今日も仕事をコツコツやろうか。
おわり
コメント
誰も必要としない(誰からも必要とされない)人間でよいと思っています。
一人で孤独なのは辛いことですが、他人と協調するためにストレスを貯めて、精神を病むよりはマシだからです。
一人で生きるということは精神面だけでなく現実的な問題として大変なことですが、近い将来、AIやロボットといったテクノロジーが手助けしてくれる時代になると信じています。
今は一人でも生きて行ける良い世の中となりました。
昔だったら拒否出来ないし、どうなっていたか分かりません。
なんとかなります。
からあげさんこんにちは、私は協調性がありません、しかし会社においては演じなければ給料貰えないし自分と家族が生活してくためには仕方ありません、定年まで演じ続けます
何か解決策があると思います。
諦めずに戦って下さい。
しかし、あまり無理をなさらずに。ご自愛ください。
日本の特異な社会性を見ていると民主主義なんて絶対に根付かないと思います。
民主主義とは個人主義でありポピュリズムであるのです。その結果社会が崩壊しようと個人の自由と権利が何よりも尊重されなければ民主主義とは言えないわけです。
まぁ日本に限らずコレ(民主主義)無理なんですけど、日本では個人主義もポピリズムも悪として位置付けているわけでもう根本から無茶苦茶です。
この社会性は農耕文化では無く自然災害が元だろうと思います。とにかくやたら自然災害が多い、地震津波台風川の氾濫土砂崩れ火山の噴火世界中の自然災害全部オンパレード、集団が最も安全、誰かが「逃げろ!」と叫んだら村中に聞こえるような事です。
寄り合って生きているから農耕文化が生まれる素地があったわけです。非効率であっても農業は個人であっても可能。海辺で生きていれば食べ物なんて海岸に落ちてますし、山ならクリ食べてれば何とかなります。大きな木になっても収穫する手間さえ無く保存も効きます。寄り合ってるから様々な食文化も生まれるのだろうと、てな話何処かで読みました。
寄り添って生きれば食うに困らない所だった訳で天才(非常識)とか不要でありむしろ秩序を乱すわけですから邪魔なんです。西欧は自然災害が少ない代わりに土地が痩せ豊かな恵みが少ないのです。例えば川の氾濫が農地を豊かにしてきたわけです。だから人災だらけ一人の天才が多くの人の食い扶持を稼いだ(戦争して相手の物を奪うのもそのための手段)な訳で、彼ら異端児を排斥しないのはそのためだろうと思います。非常識が役に立つのです。
さて、この社会が個性的な人間を必要とする時が来るとしたら…。
情報の伝達速度規模移動運搬速度規模はここ数十年で恐ろしく発達したわけで最早東洋も西洋も独立した存在ではありませんで国際社会ってやつです。
国際社会は殺し奪う天才だけは排斥して欲しいですね。
今は一人でも生きて行ける世の中となりました。
孤独となりますが、自由を得ることが出来ます。
日本人の視野の狭さ、異質な人間を排除する性質が大嫌いです。
最近隊長のブログの読者になった者です。間違ってたらすいません。四国遍路では34番種間寺参拝してないのではないですか?
種間寺の地味なんで少し気になりました。
初めまして。
いえ、種間寺も参拝しました。
時間の都合で中に入れず、正門で般若心経を唱えたのは、国分寺と白峰寺だけです。
日本の教育は、協調性ではなく同調性を高めるものになっています。
協調と同調、似て非なるものですが、勘違いしている人が多いと感じています。
からあげさんは同調圧力に負けない強い精神力を持った方であると私は思っています。
自分の頭で考えられない人が多いです。
そんな人は異分子を排除します。
一体何を我慢して組織に属しているのでしょうか。
彼らの苛々が伝わってきます。
いつも隊長のブログ記事を楽しく読んでいます。
隊長が愛知出身だったとは、驚き!
愛知は、管理教育がきついところですね。
学校、世間は、協調性、協調性と言いますが、実社会は、競争社会!
まったく、意味がないのが協調性です。
どうもありがとうございます。
協調性のない人間を協調性のあるらしい人間が寄って集って虐める。
なんだかおかしい社会だと思いました。
学校は言われたとおりにする奴隷を製造するところです。