こんにちは。からあげです。
今日は昨日よりさらにポカポカ陽気の晴天の一日だった。
視界は抜群で気持よく歩くことが出来た。
これから古道を訪ねてシリーズ第一弾。
現在三重県いなべ市にある青川峡から治田(はった)峠を越えて滋賀県近江八幡市にある廃村茨川(いばらかわ)まで歩いてみた。
河原歩きで疲れたので、早速今日の様子をアップしよう。
登山日 2016年3月4日
青川峡から治田峠を経て廃村茨川へ
コースタイム
0700 青川峡キャンピングパーク発~0815 銚子谷出合~道迷い~0955 治田峠~1040 茨川~1200 治田峠~1300 銚子谷出合~1400 青川峡キャンピングパーク着
(歩行時間 およそ6時間)
ルートマップ
昨日偵察した時に見つけた青川峡(あおがわきょう)キャンピングパーク近くにある駐車場に車を停めた。
今日はここからスタートする。
偵察しようと奥に入って行ったら工事中のタンプカーが次から次へと出てきて往生した。
仕事の邪魔をしないように手前から歩く。
駐車場の場所
青川峡キャンピングパークの手前で左に曲がり橋を渡って直ぐの右手にある。
このキャンプ場には、オートキャンプスペース、コテージ、バーベキュー場などがあるようだった。外からようすを見ただけでも、施設が充実したキャンプ場のように思えた。
まだオープン前で全く人気はない。
キャンプ場の横を通る頃、ちょうど日が昇ってきた。
空を見ると雲一つない。
これは絶好の登山日和になりそうだ。
林道新町線
キャンプ場を過ぎると奥へと続く林道を歩いてゆく。
林道入り口からカーブを曲がった先のところにゲートあり。
立ち入り禁止の看板は見なかったことにしてゲートの脇を抜けてゆく。
お邪魔しまーす!
林道の奥の方では、土砂で埋まった川の復旧作業を行っていた。
作業が始まる前に工事区間を抜けてしまおうと思って、早めの7時前に駐車場を出発したのだが、早くも一台目のダンプカーがやって来た。
工事現場を抜けると青川の広い河原歩きとなる。
奥へと続く林道は流出してしまったようで、どこにも痕跡は見えない。
しばらくの間、水は伏流していて渡渉はなし。
巨大な流木
流されているうちにずいぶんと角が丸くなった。
自然の脅威にただ驚くのみ。
おっさんびっくりのビッグな野郎だ。
静かな河原歩きが心地よい。
遠くに見えるのは銚子岳。
素掘りのトンネルが有るはずなのだが、どこにも見当たらない。
川沿いの林道も消えてしまっている。
左手の山の斜面の遥か上にガードレールが見えただけだった。
銚子谷出合(ちょうしだにであい)
銚子谷出合から中尾地蔵の間は、道が土石流のため所々寸断されていて非常に分かりにくい。
地図とコンパスを使って慎重に進む。
銚子谷出合のところで地図を見て進むべき方法をチェックすると、前方に垂れ下がるピンク色のテープがチラッと見えた。
ラッキー!
ようやく旧峠道を歩くことが出来る。
奥に進むとハッキリした道があった。
日丘稲荷(ひおかいなり)
川に挟まれた小高いところにお稲荷さんがあった。
今日の登山の安全を祈願する。
日丘稲荷を過ぎて直ぐのところは下が抉れていて非常に危険だった。
あと数十年したらお稲荷さんは流されてしまうかもしれない。
早めに引っ越しした方が良いと思った。
日丘稲荷の由来
徳川幕府統治時代、金銀銅鉱の産出で隆盛を極めた治田鉱山において此の地に鉱山事務所を置き当時一千人程の下財と呼ばれた鉱夫達が食べ物を司る神、宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)を祭神とし信仰をした。
立て看板より
日丘稲荷を過ぎて涸れ沢を渡る時、遠くの方に案内看板が見えた。
これには非常に助かった。
視界が悪かったら別の沢に入り込んでいたかもしれない。
道は次第に荒れてゆく。
流木を越えて先に進む。
案内看板と僅かなテープを見逃さないように地図とにらめっこする。
気が付くと道を外れていた。
地図で見る限り、ルートを大きく外している訳ではない。
戻って正規の道を探すのは大変そうだったのでそのまま進むことにした。
おっさんは後戻りしない。
常に前進だ!
思いがけぬ沢歩きに興奮する。
急な斜面を登ってゆく。
シカの踏み跡を辿ると登りやすいことが分かった。
野生の先生に通り道を教えてもらった。
今度お礼に鹿せんべいを持ってこよう。
斜面が急で休むに休めない。
ちょうどいい感じの木が生えていたので休ませて貰う。
ザックが転がり落ちて行ったら回収するのにまた下りなければならない。
慎重にザックを置いて休んだ。
木々の間から見えるのは、昨日歩いた孫太尾根(まごたおね)だ。
なかなか楽しい尾根だった。
今度静かな時に登りたい。
ようやく峠道に復帰した。
やっぱりちゃんとした道は歩きやすい。
峠近くは道の状態が良い。
傾斜が緩やかになって峠が近いことを予感させた。
治田峠(はったとうげ)
道迷いでかなりのタイムロスをしつつも、無事治田峠に到着した。
通常のルートより若干南側の斜面を歩いていた。
焦らずここで一休み。
峠から見る藤原岳
縦走路が続いているのが見える。
峠からは青川峡とは反対側の伊勢谷(いせだに)方面へと下る。
比較的緩やかな青川側とは違い、伊勢谷側は急斜面となっている。
スリップしないように歩く。
道は多少踏み跡が薄い部分があるが、要所要所にピンクテープや標識があって迷わず進めた。
ようやく川に降り立ってホッとする。
ここからは渡渉を繰り返して茨川(いばらかわ)を目指す。
人工物を見てなんだかホッとする。
護岸工事が行われて綺麗になっている。
茨川までもう直ぐだ。
ついに茶屋川(ちゃやがわ)に辿り着いた。
この川沿いに廃村となった茨川がある。
詳しくは下に紹介するHPを見て欲しい。
長年にわたり調査されて詳細に記されている。
茨川の他にも鈴鹿のマイナなルートの山行記もあって非常にためになる。
このHPで鈴鹿の山を勉強させてもらうことにしよう。
管理人のハリマオさんどうもありがとうございます!
杉林の向こうに見えるのが茨川の集落跡だ。
早速行ってみる。
緊急ミッション。茨川を探索せよ!
廃村茨川を探索する
滋賀県立八幡工業高校山岳部の小屋
使われなくなった空き家を譲り受けて山岳部の前進基地として使っているようす。
あちこちかなり手を加えられている形跡が見える。
数年に一度くらいは全員集合してどんちゃん騒ぎをしているのか。
フェンスに囲まれた怪しげな施設
こちらは昔話に出てきそうな家だ。
名古屋大学ワンダーフォーゲル部茨川小屋。
藁葺き屋根の上からトタン板を被せたらしい。
こちらの小屋は最近使われた形跡はなし。
あちこちかなり傷んでいる。
再度使用するには相当の修理が必要だ。
住居跡
なんとも物悲しい風景。
あちこちふらふら歩いていると昨日すれ違ったスパイク長靴の兄ちゃんの足跡を見つけた。
茨川を抜けて蛇谷を通って藤原岳まで登ってきたようだ。
住居跡の井戸
土砂で埋まってしまっているものの自力で這い上がってこれるかは疑問。
雪が積もっているのにあちこちふらふらと歩いていたが、今考えると井戸に落ちなくて良かったなあと思った。
自力で這い上がれなければ、狭い穴の中で朽ち果てることになる。
ちょっと冷や汗。
川向いにある神社
よし!行ってみよう。
分厚いロングスパッツを履いているので、多少の渡渉などなんともない。
ザブザブと川に入り向こう岸に渡った。
水深は10~15センチ程度だった。
土砂で埋まって低くなった鳥居。
下のほうが腐ってきている。
非常に味わい深い狛犬
茶屋川上流方向を写す。
この川を遡ると藤原岳、御池岳(おいけだけ)方面へと行くことが出来る。
なかなか面白そうだ。今度行ってみよう。
住居跡の給水施設のようなもの。
パイプは丈夫な金属製だった。
沢水を引っ張ってきて、これでろ過していたのか。
荒廃した小屋
壁にBACと書かれている。
窓が破れて中は痛み放題だった。
苔むした石垣
廃村を歩きまわっていると何だか胸が締め付けられているように苦しくなった。
文明の発達がこの集落を廃村へと追い込んだのか。
それまでは隣近所と力を合わせて数々の苦難を乗り越えて来たのだろう。
しかし林道が開通すると状況が一変する。
容赦無く文明の波が山奥の集落まで押し寄せる。
また一軒、また一軒と町に出て行ったきり、二度と戻って来ることはない。
そして誰も居なくなった。。。
(おっさんの妄想だ。)
林道茨川線
国道421号線から伸びる延長10.5キロの林道
林道終点から廃村茨川の方向を写す。
以前は橋が架かっていたのだろうか。
対岸の川岸に巨大なコンクリートブロックが残っている。
茶屋川の河原でお昼ごはんを食べて来た道を引き返す。
切ない気持ちを引きずりながら歩く。
これはシカよけに巻かれているビニール紐。
シカが杉の皮を剥いで食べてしまうとのこと。
皮を剥がされた杉は枯れてしまうのだそうだ。
以前、荒島岳に登った時に出会った地元の人に教えてもらった。
登山口の駐車場まで乗せてくれた親切な人だった。
周囲を見ると見渡す限りビニール紐が巻かれていた。
凄い手間暇掛かっている。
伊勢谷を治田峠に向かって遡っているところ。
途中の二股は左に進む。
目印のテープが付いていた。
峠手前の急な登り返しがキツかった。
今回、ここだけストックを使用した。
治田峠からの下りは道を外さないように慎重に歩く。
しばらくはこのように道の部分が侵食されて凹んでいるので非常に分かりやすかった。
中尾地蔵(なかおじぞう)
行きの時は道を外れてしまったので通らなかった。
お地蔵さんは、峠を行き来する人達をずっと見守っていたのだろう。
お地蔵さんの小屋が壊れてしまっていて屋根が転がっていた。
かなり古そうだ。
旧峠道に設置されている標識。
アからコまである。
(アは銚子谷下流の旧コバ、コは中尾地蔵)
幾つかは流出してしまったのか、見当たらなかった。
尾根道を下って行くと紛らわしい分岐に出た。
正規の道は右下の方へと続いている。
しかし、直進方向もしっかりとした踏み跡が見える。
案内看板の「ク」
行きの時、この看板の手前で道を間違えた。
この付近は土砂崩れの被害が凄かった。
そのため道がすっかり消えている。
河原に出たところ。
午前中歩いているので心細く感じることはない。
水の流れに沿って下に下にと進むのみ。
ただし、水は伏流していて見えない。
下りは変な支沢に迷い込むことはないので気が楽だ。
今日はヘルメットのお陰でかなりの安心感があった。
被っていれば絶対安全と言うわけではないが、コケたり落石を受けても致命傷となりにくくなる。
一人歩きはちょっとした怪我でも重大事故に繋がる危険がある。
臆病過ぎるくらいで調度良い。
下山後、またまた青川で洗って綺麗にする。
石がゴロゴロした河原歩きが長くてかなりの体力を消耗した。
青川峡キャンピングパーク手前の橋から上流方向を写す。
今日はやたらとお腹が空いた。
途中の河原で残りの玄米ご飯を食べてもまだ物足りない。
フランスパンを丸々一本食べてしまった。
それだけ疲れたということだろう。
今日は山頂には登らなかったが、久しぶりにワクワクするような登山を楽しめた。
道を間違えて急斜面を登っている時、スマホのGPS機能を使って現在地を確かめたい衝動に駆られた。しかし、大して道から逸れていないと思ったので見なかった。
あの時、スマホを使っていたら自分を信用していないことになる。
危うく自分をダメにするところだった。
別に道が分からなくても上まで登っていけば、尾根伝いの登山道に出るので、それほど不安はなかった。
今度は治田鉱山跡や滝めぐりもしてみたい。
また新たな課題が見つかった有意義な登山となった。
おっさんも非常に満足しているようだ。
コメント
もしまだ読んでいなければ、山本礎石「釣山河」他是非一読されんことを。
どうもありがとうございます。
覚えておきます。
初めてコメントさせていただきます。
土地探しの頃からブログは拝見させて戴いております。
今日のは正に探検ですね。私も幻の廃村や幻の滝なんて言われるところに行くのが好きです。
目的地が決まってしまえば国土地理院の空中写真閲覧サービスや地図を駆使して向かいます。
一度でたどり着けなくても郷土資料から情報を得たり、ロッククライミングの技術を学んだり、新たな装備を購入したりしながら克服していきます。
今日のブログは登山ではなく探検のカテゴリーで良いと思います。
探検のカテゴリーを作ってください。
今後の活動がんばってください。
なんか凄く楽しかったです。
地図を見ながら歩いてゆくというのが良いです。
自分でルートを決めるという感じがして。
このようなことを今後もやりたいですね。
過去の文献を調べてとある遺跡を調査するみたいに。
今回はまだ探検とは言えません。自分でそう思います。
今後、探検のカテゴリーを作れるように活動してゆきます。
こんばんは 初めまして 仙台市に住んでおりますホソクラと申します(68歳) 遍路ブログからこちらに辿り付きました 遍路や北海道の旅記録 大変参考になり また楽しく読ませていただきました うそ偽りのない誠意ある毎日の書き込みに深く共感するものです 車中泊(大袈裟なキャンピングカーでは決してなく) 登山(決して有名な山ばかりではなく)遍路(歩きばかりではないのですが)またB級ライフなど趣向が同じ方向なのも嬉しいことです これからもどんどん楽しませて下さい。
どうもありがとうございます。
狭い空間が昔から好きでした。
お金を使うと働かないといけないので、今のスタイルに落ち着きました。
今後もお楽しみに。バリバリ更新しますよ!
隊長、
始めまして^^
リンク先の茨川の歴史を大変興味深く読みました。
山奥の小さな村にも大変な歴史が埋もれているのですね。
自分の家は志摩市の片田舎にありますが、少し調べて見ようかな^^
以前、車で茨川を訪ねたことがあります。
廃屋を見て気になってネットで調べて知りました。
その時リンク先のHPを隅々まで読みました。
古い町は何かしらあって面白いですね。