ご先祖様が眠る地へ

こんにちは。からあげです。

昨日は十日町の図書館で夕方まで作業していた。
気が付くと外は大雨となっていた。
出入り口から車までの短い間に随分と濡れてしまった。
図書館を出ると道の駅まで真っ直ぐ車を走らせた。
十日町に来る時点で道の駅「クロス10十日町」で泊まろうと考えていた。
となりの温泉が遅くまでやっているので、なかなか人気が絶えなかったが、夜遅くになると周りの車は消えて静かになった。

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夜中トイレに行った時には既に雨は上がっていた。
朝4時半に起きると下のアスファルトは半乾き状態だった。
ご飯を食べて片付けをしていると、突然人から声を掛けられた。
読者だった。
私が十日町にやって来たのを知ってわざわざ探してやって来てくれたのだった。
あれこれ話したが、私が一方的に話しただけだったかもしれない。
気がついたら2時間くらいは経っていた。
差し入れのポテチとコーラを頂き、さらにコーラも奢って頂いた。

どうもありがとうございます!

今回私が十日町にやって来たのは、両親の実家が十日町市松代(とうかまちしまつだい)だからだ。
天気が悪くて登山する気が起きないので、近所までやって来たついでに行ってみる気になった。
最後に松代を訪れたのは小学生高学年の時だろうか。
もうかれこれ30年以上は経つ。
既に両親の実家は取り壊されたと聞いているが、当時の雰囲気だけでも感じたいと思った。
子供の頃は夏休みになると新潟に行くのが恒例だった。
両親の実家は距離にして1kmも離れていない。
歩いて10分ほどの近所だった。
だから何日か毎に交互に泊まった。
母親方の家は藁葺からトタン葺き屋根に改築されていて普通の家だった。
ただ、爺さんが酒飲みで機嫌が悪いと難癖付けられて怒られたような気がした。
婆さんは癖のある人で、ことある毎に小言を言われたような気がする。
しぶとい婆さんで90歳くらいまで生きた気がする。
あの婆さんにはあまりいい思い出がなかったので、葬式には行かなかった。

父親方の爺さんは私が生まれる前には既に亡くなっていた。
写真で姿を見たことがあるだけ。
婆さんのほうは一度会ったことを覚えている。
ものも言わない静かな私にニコニコしながら優しい言葉を掛けてくれた気がする。
そんな婆さんだったが、早死してしまった。
葬式には行かなかった。
と言うか学校があったしお金が掛かるので、父親方の婆さんの葬式には親父かおかんのどちらか一人が行っただけのような気がする。

当時私の家は車がなくて愛知県から電車とバスを乗り継いて新潟に行った。
一家4人の交通費や滞在費を合わせると親父の一月分の給料が吹っ飛んだ。
親父は当時市の臨時職員として清掃事務所で働いていた。
底辺の公務員でしかも臨時なので、給料は月20万円にも満たなかった。
確か17,8万だった記憶がある。
薄っぺらい給料袋を見て絶望したのを覚えている。
当然そんな給料じゃ食べて行けなから、親父はコソッと隠れてアルバイトをやっていた。
バレたら正式採用取り消し。
昼間は清掃の仕事をやって、夜は鉄工所で働いていた。
油汚れが付いたままだと昼の職場でバレるかもしれないので、鉄工所から帰って来たらお風呂に入っていた。
元は町工場で働いていたが、先行きが不安なので、公務員になったらしい。
当時はバブル全盛期でどの家庭も余裕があったが、私の家は貧乏だった。
もちろんおかんもパートに出ていた。
二人揃って精一杯働いても食べてゆくのがやっとだった。
それは親の経済的援助を一切受けずに一から家を建てたからだ。
両親は中学校卒業すると、集団就職で名古屋にやって来た。
親父は町工場、おかんは紡績工場で働いた。
毎月僅かな給料の中から実家に仕送りをしつつ、貯金をしていた。
それでも家を建てる時には借金をせねばならなかった。
愛知の田舎とはいえ、好景気に沸く頃だったので、土地はそれなりの値段がした。
私が購入した坪7,000円の山林とは全く違う。

おっと、どこまで脱線してしまうのか。
そうだった。十日町の松代は私のご先祖様が眠る土地。
おっさんになった今、もう一度訪れてみたくなった。
それが今回、偶然に実現することになった。

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ほくほく線 十日町駅(とおかまちえき)

道の駅に車を置いたまま、歩いて十日町の駅までやって来た。
十日町の駅まで電車でやって来たのはハッキリと覚えている。
ここからどうだったのか、記憶があやふや。

ほくほく線(ほくほくせん)は、新潟県南魚沼市の六日町駅を起点とし、新潟県上越市の犀潟駅(さいがたえき)までを結ぶ、北越急行が運営する鉄道路線である。
北陸方面への短絡線の役割を有する日本国有鉄道(国鉄)の予定線「北越北線」として1968年(昭和43年)に着工され、紆余曲折の末、北越急行によって1997年(平成9年)3月22日より営業を開始した。

Wikipediaより

開業が平成9年だから、私が子供の頃はまだなかった路線だ。
十日町の駅でバスに乗り換え松代の町まで行ったのだ。
そうだ。記憶の僅かな断片が修復されつつある。
十日町から小一時間バスに揺られて行ったのだった。
降車ボタンを押したくて堪らなくなり、まだ下りる前なのに押してしまって、親父から怒られた記憶がある。
ボタンを見ると猛烈に押したくなる衝動に駆られたのだ。
理由は分からない。

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入場券を買って駅を見学する。
ほくほく線とJRは同じ駅になっているようだ。
連絡通路を歩いてホームに下りると何故かJRの電車が止まっていた。
動く気配はない。

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当時の記憶では、もっと駅舎はボロかったような気がする。
今も少し傷んでいるが、それほど古くないように思える。
木造だったような気がしないでもない。

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鉄骨を見るとどうやら新しそう。
雪が降るので傷みが早いだけだ。
30年以上も経っているとはとうてい思えない。

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JR側の十日町駅

う~ん、やっぱりなんだか新しい気がする。
もっとボロかった。
バスに乗ったのはこちら側の出入り口だったような。

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駅前のロータリー

十日町ではバスに乗り換えただけなので、町の様子は知らない。
駅前から商店街の方を見ただけ。
当時の面影はあるかどうか、よく分からない。
ただの通過駅だったので、覚えていないのかもしれない。

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ちょっと町中を散策。
古そうなお寺があったので入って見ることに。
これは確実に30年前にあったと言える。

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石仏の様子を見ただけでもかなり古いお寺さんだと分かる。

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バイク屋さんを発見!
もう廃業して随分と経つようだ。
これはかなりの年代モノだ。
軽く30年は越えているだろう。

 

十日町の市内を散策すると、次は松代の町に行くことにした。
もうここには私の記憶に残るものはない。
30年以上の月日が経ち、私に残る僅かな記憶はもう正しいのか確かめる術はない。

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道の駅「ふるさと会館まっだい」

松代の道の駅までやって来た。
今日は3連休初日で晴れたためか、かなりのお客さんがいる。
当然、この施設は30年前にはなかった。

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ほくほく線の松代駅

この駅もなし。

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駅のホームでボーッとしていると二両編成の電車がやって来た。
普通の電車だ。

 

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まつだい郷土資料館

開館時間 午前9時~午後5時

入館料  一般 300円(高校生以上)
※まつだい農舞台との共通入館料 600円
    子供 100円(小中学生)
※まつだい農舞台との共通入館料 300円
    団体 200円(10名以上)

休館日 年末年始及び毎週水曜日(祝祭日の時は翌日)

参考リンク 
越後妻有大地の芸術祭の里(まつだい郷土資料館)
十日町市観光協会(まつだい郷土資料館)

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昔の人々の暮らしを知るには、郷土資料館に寄るのが一番。
スマホで松代の観光名所を検索していると出てきたので行ってみることにした。
この古民家は築約140年のけやき造りの家だ。
両親の実家とは全然違って凄く大きい。
ようし、入ってみよう。

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ここは最上階の二階の上の屋根裏。
二階から屋根裏へはハシゴを使って登る。
お客が私しかいないので、おばさんがマンツーマンで丁寧に解説してくれた。
床板が黒光りして凄く風格を感じる。
たかが屋根裏だが、金持ちの家は全然作りが違う。

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カンジキ

松代は豪雪地帯で電柱が埋まるほど積もったと言っていた。
冬になると2階から家に出入りする。
一階の開口部は板で塞いでしまうので、冬は真っ暗になってしまう。
子供の頃、雪かきが大変だったと耳にタコが出来るほど散々聞かされた。
雪が積もって喜んでいると、決まって親父に怒られた。

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2階から屋根裏の方を見上げる。
極太の梁と桁が頑丈に組まれているのが見える。
さすがに2階なので荒っぽい作りだが、これほどまでに太い柱を使えるのは金持ちの証だ。

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一階の囲炉裏の上方から延びる煙突。
2階では蚕を飼っていたので、煙を外に逃がすように煙突を付けたそうだ。
当時の家で煙突が付いていたのは非常に珍しいらしい。
それだけ金持ちの家だったということだ。

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2階の奥の使用人の部屋。
板の間の簡素な作り。
ここで大人数が寝泊まりして仕事をしていたようだ。
なんだか床板に当時の使用人の汗と涙が染み込んでいるような気がした。

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中二階の廊下

凄く黒光りしていて歩くとギーギーと音を立てる。
素足で歩いたが、肌に吸い付くような滑らかな感じだった。

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台所にあった冷蔵庫。
昭和の中頃まで住んでいた爺さん婆さんが使っていた冷蔵庫だそうだ。
今も現役で動いている。
このワンドアの冷蔵庫は見覚えがある。
子供の頃、家にあったものとそっくりだった。
親父が給料の数カ月分を叩いて買ったらしい。
当時、冷蔵庫は非常に高価な代物だった。

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中を開けるとおばさんの飲み物が冷やしてあった。
こんな小さな冷蔵庫で一家四人が暮らしていたのだ。
ほとんどものが入らない。

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一番上の製氷器。
冷蔵庫の一番上にあった。
次第に霜が付いていくので、定期的に霜取りをする必要があった。
冷凍能力が弱くて日に一回氷を作るのがやっとだった。
かき氷が食べたくて何度も冷蔵庫を開けていると全然凍らなかった。
冷蔵庫の調子が悪いと凍りかけた氷が溶けてしまって中が水満たしになったこともある。
当然、そうなればかき氷は食べられない。
また1日待つ必要があった。

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これは囲炉裏。
冬になると暖房を兼ねてここで木炭を燃やすらしい。
普通の薪は燃やすと煙たいので使わない。

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囲炉裏の縁の木

よく使い込まれていて傷が目立つ。
傍らにはヒバチ(炭を挟むやつ)が置いてあって、子供の頃よく親がヒバチで叩かれたというような話をすると、おばさんは実際に叩かれたのは1回くらいだったと言っていた。
凄く痛くて囲炉裏の縁を叩く音だけで恐怖で震え上がったという。
だから悪いことをすると縁を叩いて子供をたしなめたようだ。

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年代物の温度計

松代フードセンターってどこかで見た記憶がある。
なぜだかこれだけは覚えている。
今は潰れてもうないそうだが。

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すっごい太い木。
雪が積もって家が歪んでくるとふすまが開けにくくなる。
そうなったら屋根の雪下ろしをしなければならない。
一夜のうちにしてふすまが開かなくなることもあり、凄く大変だったらしい。

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これが大黒柱。
長さ10mもあるらしい。
こんなに太い柱はお城でしか見たことない。
やっぱり金持ちの家は違う。

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木が抜けないように楔で止めている。

この家は、一旦解体して綺麗にしてから再度組み立て直したそうだ。
もとは松代の近くの集落にあった家で、ここに移築したらしい。
長年の汚れを掃除すると、表面に塗ってあった漆が出てきたそうだ。

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凄い豪華な神棚。
本当に神様が住んでいそうな気がする。

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玄関入ったところの土間。
ここで藁を叩いては縄を結っていたらしい。

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土間に埋まっている石と木槌のようなもの。

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この木槌は削って作られている。
これは相当価値ある品だ。
おばさんが欲しがっていた。
握ってみると絶妙な重さで手に吸い付くような感触だった。

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こちらが玄関入ったところにある受付。
もとは牛がいたらしい。
農作業のために牛を飼っていた。
冬になると外は寒いので、中に入れていたという。
家に牛がいるとは面白い。

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玄関の敷居。

すっごく敷居が高い。
もう二度とうちの敷居を跨ぐんじゃねーと言われた人がたくさんいた事だろう。

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おばさんとは随分と話し込んでしまった。
肉は盆正月の年二回しか食べられなくて、学校から戻ると可愛がっていたニワトリやウサギの姿が突然見えなくなるという。
凄く悲しかったけど肉は美味かったそうだ。
親父は動物好きだったらしいけど、そういう悲しい思い出があったので、猫や犬などのペットだけは絶対に飼おうとは言わなかった。
というかエサ代も馬鹿にならないので、飼えなかったということもある。
こんな話をすると、あったあった!とおばさんも凄く懐かしそうに同意してくれた。

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玄関の上の障子のある部屋は若夫婦が住んでいたらしい。
冬になるとここから家に出入りしていたそうだ。
ん?その間、若夫婦はどこに住んでいたのか。
奥の物置の間でも居たのだろうか。

 

さあ、十分昔の家の雰囲気は味わったぞ。
そろそろ、両親の実家跡地にゆくことにしよう。

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まずは母親の実家に行ってみる。
こちらの方が記憶に残っている。
大きな駐車場があったので、そこに車を止めて歩いて探した。

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農協

これは当時あったような気がする。
このよれ具合、随分と経っている気がする。
外壁は何度か塗り替えているが、建物は30年前のままだ。

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こちらが向かいにあるエーコープ。
この建物は建て替えられたものかもしれない。
なんだか少し新しい気がする。
だけど、エーコープは確かにあったと記憶している。

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母親の実家跡に到着。
今は取り壊されて駐車場になっている。
確かおかんから聞いた覚えがある。
資料館のおばさんに屋号を言うとおかんの妹の名前を覚えていた。
それに家が壊されて駐車場になったことも。
そのおばさんはとなりの集落に住んでいたようで、当時の町の様子をよく知っている。
田舎だと屋号と名前を言えば直ぐに分かる。
爺さんが飲んだくれて昼間から暴れていたと言うと、ああ、炭鉱に働きに行っていた人だねと答えてくれた。

この場所は私の記憶に残っている。
緑のトタン屋根のボロい家だった。
お盆になると親戚が集まってワイワイと酒盛りが始まって、そのうち酔っぱらいが出て修羅場と化す。
同年のいとこがボートゲームのおばけ屋敷ゲームを持ってきて、このボロ屋でやった記憶がある。
当時小学3年生だった私はおばけ屋敷ゲームが怖くて夜に一人でトイレに行けなくなってしまった。
勇気、知恵、力の3種類のカードを使ってお化けを撃退しなければならない。
強いお化けだとなかなか倒せなくて何コマか戻らねばならなかった。
お化けカードに書いてあることがまた怖くて、よく読めなかった。
その様子を見たいとこから散々馬鹿にされた気がする。
しかし、そのいとこはバイク事故で亡くなりもうこの世にはいない。

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さあ、続いて親父の実家跡に向かうとしよう。
微かな記憶を頼りに集落の中の小道を歩いてゆく。
お盆になると両親の実家には里帰りする人が多くて、定員オーバーで泊まれなくなったり、飲兵衛が騒いで眠れない時は、夜道を歩いてどっちかの家に行ったこともある。
確か兄貴と一緒だったが、怖がりな私を残して走って行ってしまって、残された私は泣きそうになりながら恐恐と歩いた記憶がある。

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親父の実家跡

分からなかったので、ちょうど通りがかった家のおばあさんに聞いてみた。
親父の家の屋号を言うと直ぐに教えてくれた。
この畑のある場所がそうらしい。
向こうに見える大きな白い建物は松代中学校だ。
当時の場所のままかは分からない。
それでも何かあったような気がする。
親父の家はまだ藁葺で囲炉裏もあった。
おかんの家より貧乏だったらしい。

中に入ると湿っぽい感じがして、天井のない屋根を見上げると、得体のしれないものが住んでいるような気がした。
トイレが薄暗くて凄く怖かった。
家の中のトイレは怖かったので、わざわざ外に出ておしっこをした気がする。

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これは井戸。
今でも使えるかどうかは不明。
フタを動かした形跡はなし。
確かフタの無い井戸があちこちあって、畑には危ないから入るなと言われていたな。
肥溜めもあったという。
私は肥溜めの方が怖かった。
肥溜めに落ちると一週間は匂いが落ちないらしい。
おかんの妹が落ちてしまってしばらくは猛烈に臭かったという話を聞いた。

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なんだかよく分からないもの。
土管とお釜がくっついている。
これは当時使っていたものなのか。
今となっては誰も知らない。

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この近所の家は現在、物置として使われているらしい。
これは絶対当時あったに違いない。
屋根は吹き替えられて綺麗になっている。
それにしても親父の実家の記憶は驚くほど少ない。
藁葺とトイレ、囲炉裏、狭いお風呂など。
薄気味悪くて記憶に残らなかったようだ。
多分、今だと普通に過ごすことが出来ると思う。
子供の頃は藁葺の家の良さが全く分からなかった。
今は岐阜県の白川郷に行けば、幾つも藁葺の家が残っている。
しかし、観光用だから泊まると高い。

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続いて直ぐ近所の松代神社にやって来た。
ここはなんの記憶も残っていない。
ひょっとしたら来たことがあるかも知れない。

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境内には風格のある社殿があった。

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境内に生えている杉の木。
これは当時絶対生えていたはずだ。
いや、両親の子供の頃からあったはず。
この神社にもよく遊びに来たに違いない。

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さあ、お次は少林寺というお寺にやって来た。
このお寺には何度か来た記憶がある。
おかんの爺さんの葬式はこのお寺でやった。
葬式の最中にいとこが馬鹿でかい屁をこいて笑いを堪えるのに大変だったことを覚えている。
もうあれから30年以上が経つ。

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この長い階段は私の脳裏に刻み込まれている。
はあはあ言いながら登っていった。

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苔むした石の階段。
凄く懐かしい気がする。

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こちらが少林寺。
屋根は葺き替えられていた。
当時は藁葺だったはず。
この広いお寺で葬式が営まれた。

お墓はもうこのお寺には残っていない。
おかんの婆さんが死ぬ前か死んでからか知らないが、墓守をするおじさんの家の近くに移したらしい。
親父の家の墓はどうだったか。
なんか凄く粗末な墓だった気がする。
私のご先祖様は、おそらく松代の地で何代も生きてきたはずだ。
いいところの家ではないので、家系図とはか全くない。
昔のことだから今みたいに人の行き来はなかったはず。
夏は猫の額ほどの狭い田畑を耕し、冬になるととなり町へ出稼ぎに出て行った。
この地で生まれ、そして死んでいった。
他の世界を知らずに。

私はご先祖様の霊に報いるためにも精一杯自分の人生を生きようと思った。

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少林寺から戻る途中で見つけた公園。
なんだか随分と古そう。
この古さからいってあったはずだが、ここで遊んだ記憶は全く無い。

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現役で頑張る木製の電柱。
母親の実家跡近くにあったもの。
この電柱は子供の頃のおっさんを知っているはずだ。
どうだった?私の子供の頃は。

聞いてみても返事はなかった。

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ここはおかんのばあちゃんが掃除をしていたという公民館のトイレ。
体が動くうちは、週に何回か掃除にやってきていたらしい。
あの糞ババが掃除していたトイレだ。

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江戸時代松代村宿駅通り

この道は少林寺の参道へと繋がっている。
今は舗装されて小奇麗だ。

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松代名産の日の出そば
ここのそばは実家に帰る度に食べるが、いつ食べても旨い。
おかんは人に配るために毎年まとめて注文している。

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さあ、松代一の観光名所、松代城址跡にやってきた。
この天守閣は復元されたもの。
こんな立派な城ではなくて掘っ立て小屋の狼煙場があっただけのようだ。

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ここからの景色はなかなか良い。
さすが城があった場所だけある。

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城の裏側に小道があったので登ってみる。
このお城は山のてっぺんにある訳ではない。

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ここが松代城山、標高385m。
古びたドラム缶が転がっていた。

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草の中に三角点の杭があった。
なんだかどうでもいいように扱われている。

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松代城址公園の一番上の駐車場
人気がなくて静かな場所。

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ここはキャンプ場の管理棟となっているトイレ付きの駐車場。
外に水道あり。トイレは汲み取り式。
近くにキャンプ場があるので飲用可と思われる。
試しに飲んでみたが腹痛になることはなかった。
そのまま飲用する場合は自己責任で。

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奥にあるキャンプ場炊事棟とトイレ。
人の姿は全くなし。
近くにバンガローもある。
予約制のキャンプ場で前々日より前に予約しなければならず、凄く面倒なキャンプ場。
しかも樹木に囲まれて景色が見えない。
夏休みの間に僅かなお客さん(それも松代に縁のある家族)しか利用しないような感じ。

 

今日は松代城址公園で車中泊場所を見つけた。
キャンプ場は人気がなくて開店休業状態で、遠慮無く一番奥の駐車場で泊まることにした。
もう見るべきところはほとんどないが、直ぐに帰ってはご先祖様が寂しがると思った。
もう、おそらく私は松代の地にやって来ることは無いだろう。
両親にゆかりのある人もほとんど外に出てしまって、ごく僅かにいるのみとなっている。
私は面識がないので、会うこともないだろう。
軽い気持ちで松代にやって来たが、こうしてブログ更新していると、子供の頃の記憶が蘇ってきた。
あまり良い思い出ではないが、なんだか凄く懐かしい気がする。
あの口喧しい親父が元気いっぱいの時。
おかんも凄く若かった。
当然、私はまだ子供だった。

時は流れ何もかもが様変わりしてしまった。
それでも昔と変わらないものがあった。
それはセミの鳴き声だ。
小さいおっさんが聞いたセミの鳴き声が今ハッキリと聞こえてくる。
あの、弱々しかった子供はもう居ない。
時は流れ、強く成長したおっさんがここにいる。

 

ご先祖様、私は帰ってきました。
一泊してこの地を去ります。
おそらく二度と来ることはないでしょう。
もう、私にはなんの縁もない土地になってしまいました。
私はこれから広い世界に出ていろいろ勉強してきます。
草葉の陰から見守っていてください。

 

走行ルート

走行距離   21.8km

本日のねぐら 松代城址公園

 

おわり

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『ご先祖様が眠る地へ』へのコメント

  1. 名前:大伴細人 投稿日:2016/07/16(土) 22:35:40 ID:b8d53f88b 返信

    僕の父方のじいさんはインコを飼っていて、飛んでいかないように羽根をハサミで切っていたのが強烈に印象に残っています。
    もう30年以上は経つのに、たまに頭に出てくるくらいです。

    隊長の記事を読んでいて、昔を思い出しましたよ。

    • 名前:karaage 投稿日:2016/07/17(日) 13:21:17 ID:b2ec03286 返信

      羽根を切られたインコはお爺さんに懐いていたのでしょうか。
      ペットとは言え凄く残酷ですね。

  2. 名前:リコプテラ 投稿日:2016/07/17(日) 10:31:29 ID:eefd9c7c0 返信

    こんにちは。
    私も父親方、母親方とも祖父母は他界しているので、自分の祖父母を思い出しながら読ませてもらいました。
    久しぶりに思い出の地を訪れると、目の前に広がる景色や音や匂いを五感で感じることで断片的な記憶が鮮明に蘇ることがありますよね。まぁ、人間は記憶を自分の都合の良いように作り変えたりもするらしいですけど、それでいいんですよね。それが生きていく力になれば。
    とても充実した一日でしたね。

    • 名前:karaage 投稿日:2016/07/17(日) 13:23:35 ID:b2ec03286 返信

      全ての記憶は自分の都合のいいように塗り替えたらいいと思います。
      誰にも迷惑をかけません。

      曾祖父さんや婆さんのことは全く知りません。
      一体どういう人だったのか。
      今となってはおかんの記憶が頼りです。
      今度実家に行った時聞いてみようと思います。

  3. 名前:ちょっと草臥れてきた夢想人 投稿日:2016/08/12(金) 12:55:52 ID:df49dbc6d 返信

    いつも楽しく拝見させて頂いています、

    私の母方の実家も松代町からさらに山奥に入った室野の先の数件しかない静かな山の集落でした

    買い物に出ると室野~松代町~十日町へ出てたまに松之山温泉に寄ったりしていました

    夏の帰省で一族集まり囲炉裏から大きな机を4つ並べても人が収まり切らない位で

    他に家々も同様で大勢の子供の歓声が聞こえるなんだか一瞬の花火の様な季節・・

    今はもう集落自体が無くなってしまい、めったに行く事も有りませんが

    新幹線で東京から数時間なんて今の感覚からは別世界の出来事の様に感じます

    30年以上前の夏、隊長と何処かですれ違っているかも知れませんね

    *松代の蕎麦、美味しいですよね、家も今も買っています

    • 名前:karaage 投稿日:2016/08/12(金) 13:17:37 ID:ab44c6906 返信

      どうもありがとうございます。

      高齢化にともないゆかりの地が消えてしまう。
      悲しいことですが、仕方のないことでもあります。

      日の出そばのファンが他にも居て嬉しいです。
      乾麺なのになぜ旨いのか不思議に思います。

  4. 名前:見知らぬ男 投稿日:2016/08/20(土) 19:47:49 ID:d8871b93d 返信

    からあげ隊長のご両親は、松代出身でしたか。
    私も松代出身です。
    8月に里帰りした際に、写真を頼りにご両親の実家後を見てきました。
    30年の間に、松代は大きく変わりましたね。
    上越新幹線も通り、悲願のほくほく線も開通し、簡単に行けるようになりました。
    豪雪地帯で、30年前は、冬は陸の孤島とまで言われていました。
    除雪技術の発達により、今は冬でも道路に雪がなく、当たり前のように車が走っています。
    隔世の感があります。

    • 名前:karaage 投稿日:2016/08/21(日) 19:14:06 ID:b3862a9a0 返信

      もう子供の頃の面影は全くありませんね。
      便利になり過ぎて皆素通りするようになりました。
      余計に寂れていくのでしょう。