みちのく潮風トレイル踏破記録 【その6】~とどヶ崎から釜石市まで~

2016日10月22日(16日目)

行程

とどヶ崎から山田町まで   

歩行距離 22.2km 
行動時間 10時間(休憩時間を含む)
ねぐら  魚賀波間(ながはま)神社

04:00 起床 晴れ 外気温8℃

昨日は夕方頃から風が少し吹いてきたが、いつの間にか風は止んでいた。
単に風向が変わっただけかもしれない。
灯台周辺の地形は、東側の海岸に向かって下がっていて、西寄りの風は山陰に遮られて吹きにくくなっている。
周囲は無人地帯で、漁船のエンジン音と波の音しかしない。

日本最東端から見る日の出

06:05 出発

今朝はテンションが高く、無性に歩きたくて仕方なかった。
いつも通り、食事を済ませてテントを撤収したのだが、日の出前だったのでしばらく待つことにした。
一刻も先に向かって歩き出したいが、最東端からの日の出を拝まずに行くのは勿体無い気がした。
東の空が明るくなってきても、なかなか太陽が出て来ないので、今か今かと日の出を待ちわびていた。
するとようやく太陽の一端が見え始めた。
眩いばかりの朝日を受けると全身にエネルギーが満たされたような気がした。

とどヶ崎からは、姉吉(あねよし)の方に向かって遊歩道を歩く。
与奈(よな)からの道と比ると、よりフラットで道の状態も良く歩きやすかった。
とどヶ崎に来る人は、ほとんど姉吉側から歩いて来るようだった。
濃い踏み跡から推測された。

遊歩道に沿って電柱が設置されている。
灯台施設へ電力を供給するため、姉吉の方から電線が通っている。
景観に配慮してか、茶色に塗装された電柱だった。

遊歩道上のクマの糞。
とどヶ崎周辺は、人が住んでいないためか、クマの痕跡が多く見られた。
早朝歩く時は、熊鈴を付けるなどの注意が必要。
ツキノワグマは、ヒグマと違って同じところで糞をする習性があるようだ。
古い糞の上に新しい糞が積み重なって山のようになっていることがある。
白神山地の方でも何度か山のようになった糞を見たことがあった。
この行為は自分の縄張りを他に示そうとしているのだろう。

とど山登山口

姉吉にとど山登山口があった。
特に興味をそそられなかったので素通りした。

姉吉海岸

手前左方向には小さな漁港があった。
下の遊歩道入口には、トイレと駐車スペースが整備されていた。

07:20 遊歩道入口

とどヶ崎の標識あり。
クマ注意の注意書きもあった。
これより先は、自転車・バイクは乗り入れ不可。
歩行者のみ通行可。
ここからとどヶ崎まで片道約1時間の道のり。

トイレ

真新しい水洗トイレ。
駐車スペースの片隅にある。
手洗い場で水汲み可能。
このすぐ先にキャンプ場があるので、ここでは水は汲まなかった。

遊歩道入口付近のようす

奥へ行くと漁港。まだ海岸付近は整備中だった。

 

姉吉(あねよし)キャンプ場

場所   宮古市重茂姉吉(姉吉漁港付近)
開設期間 通年

利用料  無料

トイレ(水洗)、炊事場、東屋あり。
デイキャンプ専用のキャンプ場。
利用する際は、管理棟前に備え付けのノートに記帳する。
震災後、しばらく休止していたが、新たにオープンした真新しいキャンプ場。

リンク 一般社団法人 宮古観光文化交流協会HP(宮古旅手帳)

07:25 姉吉キャンプ場

事前の情報収集により存在を知っていたが、とどヶ崎のロケーションがあまりに良かったので、ここまで来なかった。
やって来てびっくりしたのは、ここはデイキャンプ専用となっていることだ。
入口の看板に注意書きが表示されていた。
キャンプ場にやって来てザックを置いて洗濯や頭を剃ったりしていると、管理人さんがやって来た。
利用者ノートに記載して欲しいとのことだった。
この時、野宿可能かどうか聞いてみたくなったが、そんな厚かましい質問は良心が咎めてできなかった。

トイレ

ログハウス風の立派なトイレ。
外水道もあって、ここで洗濯などをして身なりを整えた。

東屋

広いベンチでゴロゴロと休憩するもの良さそう。

炊事棟

こちらも立派な造り。

中は広々としている。
雨の日の休憩にはピッタリだ。

芝生の広々としたキャンプ場。
ここをデイキャンプ専用とするには勿体無いが、そういうルールなのだから仕方ない。
付近の集落に住んでいる人が管理人をやっているようで、夕方になるとようすを見に来ると思われる。
ここでわざわざ野宿して地元の人を煩わせるくらいなら、他へ移った方がいいだろう。
海岸の方に行けばいくらでもテントを張れそうな場所がある。
ここから先、延々と山道が続き、山田町大沢まで大きな町はないので注意が必要。

姉吉集落の中を歩く。
海岸から少し登ったところの高台にある集落。
津波の被害は免れたようす。

千鶏(ちけい)漁港を見下ろす。
海の向こうに見えるのは、船越半島。一番高いところが霞露ヶ岳(かろがたけ)。

千鶏集落のようす

津波が高さ30mを超える高さまで駆け上がり、集落を飲み込んでしまった。
あちこちで再建工事の音がしている。

09:45 石浜神社

曲がりくねった山道を歩いていると、まだ午前中の早い時間だというのにバテてきた。
車道を歩くとすぐにバテる。
路面が硬いこともあるが、殺風景な景色というのが大きいのだろう。
車が通りやすいように作られた道は、傾斜がゆるくて曲がりくねっていて全然距離が伸びない。これも精神的に疲れる一要因。

狭い道にも関わらず、工事のダンプカーがよく通る。
その度に道路脇に避けなければならなかったのが面倒だった。

ダンプの運転手さんから頂いたジャムパンとミネラルウォーター。

神社手前、ダンプカーがやって来たので、またかと思いつつ道路脇に避けた。
その時、運転手から話しかけられた。二言三言話して先に行こうとすると、呼び止められた。
なんだろうと思っていると、運転席の窓から手を伸ばしてパンを手渡してくれた。
単調な舗装路歩きで気が滅入っていた私だが、現金なもので急に元気が湧いて来た。
無線でやり取りしていたと思われる後続のダンプカーの運転手さんからはミネラルウォーターを頂いた。

旅先で不意に人から受ける親切ほど嬉しいものはない。

神社境内にあった丸っこい不思議な石。
なんだかよく分からないが、なんとなく面白い。

集落の中の道をゆく。
コスモスの花が疲れている私を励ましてくれる。

大沢まで補給ポイントはなし。
途中の集落に自販機がいくつか設置されていたのみ。
交通量は少ないが、ときおり大型車が通るので注意が必要。

海岸から離れた山の中を歩いてゆくので、展望のある場所は殆どない。
延々とくねくねした山道を歩くのは精神的に堪える。
面白みの全くない舗装路が続く。

13:25 昼食

山道にはほとんど休憩ポイントらしいところがなく、昼を過ぎても空きっ腹のまま歩いていた。
道路脇の駐車スペースもほとんどなかった。
ようやく見つけた駐車スペースで、ザックを下ろして昼飯を作る。

乾麺を茹でているところ。
姉吉キャンプ場で昼食分を汲んでおいたので、調理することができた。
行動食のパンはとうに尽きていた。

うどんの完成!
空きっ腹に染み込む旨さ。
日陰の山道を歩いて体が冷えていたところだったので、温かい汁物は余計に旨かった。

大沢まで下りて来たところ。
奥に見えるのは山田湾。

山田湾に浮かぶ小さな島。
島に上がって何やら作業をしていた。
神社でも建てているのだろうか。

海岸沿いの道路を歩く。
この付近も津波の被害を受けてどこもかしこも工事中だった。

国道45号線手前。
この時点ですでに3時前。食料の買い出しを行ったら、すぐにねぐらを探さねばならない時間となっていた。
山越えが想像以上にキツくて、おっさんの体力は限界が近づいていた。

15:30 大沢の業務スーパー

迂回路を通って工事現場を抜けて国道45号線に出るとすぐに業務スーパーを見つけた。
建物の前にザックを置いてまずは一休みする。
一息つくと買い出しの前にトイレで水を汲む。
トイレの中の自動水栓は、非常にシビアにセッティングされていて、少しずつしか水が出ないようになっていた。
このため、全ての水筒を満タンにするのにかなりの時間がかかってしまった。
業務スーパーの他に、ドラッグストア、ホームセンター、コンビニがあった。

写真は惣菜コーナーで購入した鯖の竜田揚げ。
トレイからビニール袋に移し替えて店外で食べた。

休憩中のようす

疲れ過ぎてガックリと肩を落として休んでいた。
昼食のタイミングが遅くて余計に疲れたのかもしれない。
休憩、水汲み、買い物をしていると、すでに4時前となっていた。
もうそう遠くへは行けない。
この大沢の中でねぐらを見つけらければならないと思った。

 

魚賀波間(ながはま)神社

所在地  岩手県下閉伊郡山田町大沢第1地割55

トイレ閉鎖(小のみ使用可能)、水場あり

国道45号線沿い、広い境内あり。集落の中にある落ち着いた雰囲気の静かな神社。
野宿適地。
付近に業務スーパー、コンビニ、ホームセンター、ドラッグストアあり。

国道45号線をねぐらを探しながら歩いていると、山の斜面に石段を発見した。
上に鳥居が見える。
もう今日のねぐらはここしかない、という悲壮感を漂わせながら石段を登って行った。

16:15 魚賀波間

石段を登ったところ、大きな鳥居の向こうにコンクリート製の丈夫な社殿があった。
人気はなく広い境内は静かだった。
よし、ここに決定!

社殿の軒下にテントを張れそうなスペースがあったが、火気を使用するので止めておいた。

手水舎

蛇口をひねると水が出た。
ここで水場汲めるなら、時間をかけて業務スーパーで水を汲まなくてよかったなあと思った。

広い境内の片隅にテントを張った。
ここなら人が来ても邪魔にならない。
日没後に人がやって来たが、人の気配のするテントを見つけるとすぐにどこかに行ってしまった。
社務所の奥にトイレがあったが、男用の小のみ使用可能で、個室は閉鎖されていた。
大を催したら裏山のどこかでするか、近所のコンビニまで行くかの二択に迫られるだろう。
幸い翌朝は、この先の道の駅「やまだ」まで催すことはなかった。

見晴らしの良い境内

長い石段を登ってやって来る人は稀。
国道を通行する車と工事現場から聞こえる重機の音くらいしか聞こえてこなかった。
地面はキチンと掃き清められていて、快適なサイトだった。

食事

朝 白麦ごはん、レトルトカレー、みそ汁
昼 貰ったパン×1片、カロリーメイト×2袋、うどん×1袋
夕 鯖の竜田揚げ、お菓子×2袋

 

2016日10月23日(17日目)

行程

山田町から船越半島まで   

歩行距離 23.8km 
行動時間 9時間50分(休憩時間を含む)
ねぐら  船越半島漉磯(すくいそ)付近遊歩道

04:00 起床 晴れ テント内12℃

昨日は日没後にやって来た人以外は誰も来ず、静かな一夜を明かすことができた。
夜明け前からは、近くの漁港から漁船のエンジン音が聞こえてきた。

06:00 出発

本日はしばらく国道45号線を歩いて道の駅「やまだ」まで行き、そこから船越(ふなこし)半島の霞露ヶ岳(かろがたけ)に登る。
ちょうど霞露ヶ岳の近くから朝日が登ってきた。

早朝の山田湾

穏やかな水面にカキの養殖いかだが多数浮かんでいる。

国道45号線沿い陸中山田駅付近のようす。
付近は津波で流されたようで、新しい建物の建設ラッシュとなっていた。
国道から一本中に入った道路沿いには仮設店舗が立ち並んでいた。

津波の被害を受けた美容院の建物。
1階部分は壁がめちゃくちゃに壊れて鉄骨がむき出しになっている。
さらに3階は窓枠ごとなくなっていた。

07:40 道の駅「やまだ」

船越半島への交差点を100mほど過ぎたところに道の駅がだった。
休憩と調査を兼ねてやって来た。
まだ早い時間のため、施設内の売店は営業はしていなかった。

広い軒下のある建物前。
椅子とテーブルが設置してあって休憩にピッタリだった。

今日は船越半島内のどこかで泊まることになるので、野宿に備えて水筒を満タンにしておいた。
ここで水筒を満タンにしたため、あとあと響いてしまった。

道の駅は綺麗なトイレがあったが、民家が近く休憩所なしで、空きスペースがなかったので、あまり野宿に適しているとは言えなかった。

道の駅から戻って船越半島の方に入ってゆく。
入口に鯨の看板が設置されていた。
ツーリングマップルによれば、近くの科学館にはマッコウクジラの骨格標本があるらしい。
半島に入って直ぐの浦の浜周辺は、復旧工事の真っ最中だった。
建設中のトイレが見えて、将来良好な野宿ポイントになるだろうと思われた。

09:15 大浦集落

海岸沿いの道を歩いて漁港のある大浦集落までやってきた。
この集落内も防潮堤工事が進められていた。
12万分の1のツーリングマップには、大浦集落から霞露ヶ岳へ抜ける近道の破線が記されていた。
その道の入口を探しながら海沿いを歩いて行った。

10:00 霞露ヶ嶽神社

登り口が分からなかったので、畑で作業していたおばあさんに聞いてみた。
よく知らないが、神社の付近から登ることができるようだ、という情報を入手することができた。
教えてもらった通りに進んでゆくと集落の中に由緒ありそうな立派な神社があった。

社務所の建物は大きかったが、そのわりに社殿は小さかった。
トイレと水場はなく、野宿には向かない。
境内には太い立派な杉が生えていて古くからあった神社だと伺い知ることができた。
おばあさんが言うようにこの近くのどこかに登り口があるに違いない。

霞露ヶ嶽神社から山の方へと続く道の脇にあった小さな神社。
この道が昔の登山道思われたが、標識はどこにも見当たらず確証を得ることができない。
周囲の人に聞こうと思って周囲を見渡しても、外に出ている人は全くいない。
そこでスマホを取り出してグーグルマップでチェックすると、たぶんこの道で合っていることが分かった。

集落の一番上にある簡易上水道。
さらにこの奥へと道は続いていた。
途中から未舗装の林道となり、さらに踏み跡へと変わっていった。

始めのうちは踏み跡が濃かったが、次第に分岐が多くなって不明瞭となった。
歩いた感じでは、登山道というよりは、作業用の踏み跡のように思われた。
道標はなく、意図不明のテープが付けられているのみだった。

急斜面の登りでお腹が空いたので、大きなどら焼きを食べているところ。

10:55 ヘッツォ石

行けども行けども登山道らしいところに出なかったので、そろそろ引き返そうと思っていたころ、ようやく登山道の標識を見つけることができた。
途中でいつの間にか登山道に入っていたようで、標識を見つけるまで全然気が付かなかった。

ヘッツォ石と呼ばれている丸っこい岩。
登山道脇に転がっている。
なぜ、こんなところに大きな岩があるのかは謎だ。
登山道に入ったことで、ようやくホッとすることはできた。
途中で引き返すことになると、大浦集落から再び海岸沿いの道路を歩いて行かねばならず、大幅なタイムロスとなることは間違いはなかった。

登山道から未舗装の林道に出たところ。
ヘッツォ石からは踏み跡が濃いため、道迷いする心配はなかった。
林道に出たところには標識はなかったが、地図を見て右の上の方に進んで行った。
道は途中で舗装路になると、その先に山の中に一軒家があった。

11:10 霞露ヶ岳登山口

山の中の一軒家を過ぎたところの林道脇にあった登山口。
周囲に車を何台か停められる駐車スペースがあった。
大きな標識と鳥居があるので、登山口を見逃してしまうことはない。

登山道の途中にあった朽ちた木製の鳥居。

登山道脇にある真新しい杭と目印のテープ。
とどヶ崎手前で見たものと全く同じ。
先日の業者が作業をしたらしい。

尾根道をゆく。
木漏れ日が気持ちいい。

12:05 山頂手前の神社

山の斜面に小さな鳥居が設置されている。
鳥居を抜けて奥にある神社に参拝する。
ここまで来れば、山頂まであと僅かだ。

大きな岩の前に鳥居あり。
この岩がご神体なのか、赤錆色の鉄剣が奉納されている。
登山の無事のお礼をして山頂の方へ進む。

12:10 霞露ヶ岳(かろがたけ)山頂 標高508.5m

神社から一息のところに山頂標識が設置されていた。
地図を見ると最高点はここだが、南西側に三角点あり。
気温が上がったお陰で、かなり汗をかいてしまった。
ザックを下ろしてしらばくゆっくり休む。

山頂広場のようす。
少し奥のところから、麓の景色を眺めることができる。
樹木が茂っているので、見晴らしはそれほど良くない。
奥に向かって三角点への踏み跡が付いていた。

山頂から山田湾を見下ろす。
月山同様、海抜0mから登って来たので、非常に充実感がある。
集落の登り口を探すなど、少し手間がかかったので余計に感じた。

山頂からの下山は漉磯(すくいそ)海岸へと下りてゆく。
途中の三角点のところから、ついこの前行ったばかりのとどヶ崎が見えた。

とどヶ崎のアップ。
まだそれほど時は経っていないのに、かなり時間が経っているような気がする。
こうして過ぎ去った景色を眺めるのもスルーハイクの楽しみ。

漉磯(すくいそ)海岸付近

高度を下げてくると、眼下に切り立った断崖の海岸線が見えてきた。
穏やかな山田湾と一変して荒々しい景色だ。

海岸まであともう少し。
樹木の切れ間から砂地が見えて来た。

13:30 漉磯海岸

付近に民家がないため、防潮堤はなし。
開放的な海岸となっている。
津波で道路法面の土が削られていた。
道路終点には、5台分ほどの駐車スペースあり。
少しここで休みたいところだが、風が強いため先に進むことにした。

漉磯海岸をあとにする。
トイレ、水場はないが、静かな一夜を明かしたいのなら海岸周辺での野宿もいいだろう。

漉磯から海岸線の遊歩道が見当たらなかったので、取り敢えず道路を歩いて戻ることにした。
ツールングマップル(12万分の1)の道路地図には、途中の集落から再び海岸線沿いに破線ルートが記載されている。
見つからなければ、大浦集落の方から戻ればいいと思っていた。

14:30 大釜崎(おおかまざき)自然歩道入口

これがそのツーリングマップルに記載のあった遊歩道。
こんな上手い具合に見つかるとは思いもしなかった。
これから先、アスファルトの道を歩いて行かなければならないと思っていたので、見つけたときはかなり嬉しかった。

しかも遊歩道の地図の看板があったので非常に助かった。

海岸から少し離れていて、樹木が茂っているので、景色はあまり良くない。
静かな遊歩道を歩いていった。
もういい時間なので、ねぐらを探しながら歩いて行った。

14:45 沢で水を汲む

道の駅「やまだ」で水筒を満タンにしていたが、少し消費したので、500mlのペットボトル1本だけ水を汲んだ。
足が浮腫んでいたので、水で足を洗いながらクールダウンし、汚れた靴下を洗濯した。
こうやってこまめに足を冷やすと、後々疲れが取れやすいと気が付いた。

15:50 テント設営

遊歩道上には、なかなか野宿に適した広場はなかった。
そこで尾根沿いの道幅が広いところにテントを設営した。
遊歩道入口から2kmほど入った付近。
谷沿いだと湿っぽくて雰囲気が悪いので、尾根沿いのところにした。
日没間近であまり選り好みしている場合でなかった。

道幅いっぱいに無理やりテントを張った。
通行人は全くいないので問題なし。
仮にいたとしても、藪の中を安全に迂回できる。

尾根沿いなので強風が吹かないか気になったが、樹木の葉っぱが茂っているためほとんど風は吹かなかった。

食事

朝 白麦ごはん、レトルトカレー、みそ汁
昼 パン×1袋、どら焼き×1、食パン×4枚
夕 白麦ごはん、みそ汁

 

2016日10月24日(18日目)

行程

船越半島漉磯(すくいそ)から根浜(ねはま)海岸

歩行距離 32.7km 
行動時間 10時間30分(休憩時間を含む)
ねぐら  釜石市根浜海岸

04:00 起床 晴れ テント内9℃

夜間は非常に静かで、風の音で枝がざわざわと揺れる音のみだった。
クマの気配はなし。
docomoは圏外のため、ブログ更新は休み。

06:00 出発

テントを撤収すると、狭い場所に張っていたことが改めて分かった。
狭い場所だったが、地面がふかふかの落ち葉で寝心地は良かった。
一晩寝ると昨日の疲れは回復し、また歩けるような気がした。

樹木の合間から見える太陽。
朝から天気が良いと、気分も非常に良い。
気温が下がった割には、あまり寒さを感じなかった。

小谷鳥(こやどり)集落の方に向かって歩く。
遊歩道には、標識なしの分岐が多かった。それで。踏み跡の濃い方、真っ直ぐな方へ進んで行った。
幸い道間違いはせず。
大釜崎への遊歩道もあったとは思うが、標識がないため分からず。
磯にゆく釣り道もあって紛らわしいので、寄り道せずに真っ直ぐ行った。

07:20 小谷鳥集落手前の遊歩道入口

林道の脇に手作りの標識が設置されているのみだった。
反対側の小谷鳥から漉磯(すくいそ)方面へ行く際は、この標識を見落とさないよう注意が必要。

07:50 小谷鳥(こやどり)海岸

この海岸付近から更に奥へと続く遊歩道があるのだが、工事中のため近寄れず。
そのため、北側の大浦集落経由で船越半島から出ることにした。
この周辺は、高台に民家が数軒あるのみで、低地にあった民家は流されてしまったものと思われた。凄く寂れていた。

道路脇にある津波記念碑

いろいろな年代の物が置かれている。
文字が不鮮明なかなり古いものもあった。

仮設作業員の宿泊所

小谷鳥と大浦の間の山の中に建てられていたプレハブの宿泊所。
平日昼間のため、人影はほとんどなし。
周囲に何もないところなので、休み時間は何をして過ごしているのか、と気になった。

08:20 大浦集落

昨日通った大浦集落に戻って来た。
昨日は日曜日で作業休みのため、付近は静かだったが、今日は月曜のためあちこちで作業していて重機の音が響いていた。
ここから道の駅まで昨日通った道を歩く。

防潮堤工事現場

ブロッグの隙間にモルタルを流し込む作業を行っていた。
一つ一つ作業するので、非常に手間がかかって大変だと思った。

09:50 道の駅「やまだ」

再び道の駅までやって来た。
この先、トレイルの予定コースは鯨山(くじらやま)を通ってゆくのだが、登山口が分からなかったので、国道45号線を真っ直ぐ南下することにした。
その前にここでしばらく休憩。

自家製パンとイカフライを購入した。
パンは自家製の酵母を使っていてお腹にずっしりと溜まった。
そこら辺で売っているパンとは全く違った。

国道45号線を歩く。
民家のないところは、歩道なしとなっている。
トラックやダンプカーなど大型車の通行が多い道路なのに、路肩が狭くてかなり怖かった。
ガードレールがあるため、端に寄ることもできない。

トンネル内も歩道なし。
トンネル内は非常に危険なので、ヘッドランプを点滅モードにして歩いて行った。

車道歩きでくたくたになりながら歩いていると、前方に雰囲気の良い海岸が現れた。
(雰囲気が良かったのは、遠目で見た時だけ。)
休憩無しで歩き通しだったので、救われた思いがした。
下に遊歩道が見えたので、津波で崩れた斜面を慎重に下って行った。

12:15 波板(なみいた)海岸

コンクリートで固められてしまった残念な海岸の風景が広がっていた。
返し波のない片寄波で知られる海岸らしいが、こんな姿になってしまってはどうしようもない。
道路の喧騒を離れてやうやく落ち着くことができた。
冷たいコンクリートの上に銀マットを敷いて休憩した。
付近に人影は全くなし。
誰にも見向きもされない殺風景な海岸だった。

再び国道45号線に復帰する。
ちょうど山の方からダンプの集団が出てくるところだった。
強風のため、周囲に土埃が舞って目潰しを食らった。

13:10 吉里吉里(きりきり)海岸付近

波板海岸から近いところにある吉里吉里の町。
海岸部は津波の被害で、空き地が目立つ。
砂浜が見えたのだが、砂浜へ行くまでの道を工事現場の中に見いだせなかった。

トレイルマップの景色の見どころの場所には、赤丸が付けられている。
この赤丸をチェックポイントとして未開通区間を歩こうと思っていたが、実際に吉里吉里海岸までやって来ると、近づくことさえ出来なかった。
仕方ないので、そのまま通過することにした。

またもや歩道なしのトンネル。
入口に押しボタンがある。
これを押すと一定時間、出入り口の電光掲示板に「歩行者あり」と表示される。
効果があるのか、ないのか。滅多に歩行者が通るトンネルではないので、よく分からだろう。

このトンネルもヘッドランプを点滅モードにして右側を歩いた。
非常時以外使わない機能が役立つ日が来るとは思いもしなかった。

国道45号線から逃げるようにして、旧道を通って大槌(おおつち)の町にやって来た。
ここの海岸部も壊滅的な被害を受けている。
5年経った現在も建物は疎らに建っているだけだった。

そのまま旧道を歩いて行ったとしても、店があるとは思えなかったので、川沿いの道を歩いて国道45号線まで出ることにした。
国道の方にカラフルな看板が見えた。

14:50 国道45号線付近のドラッグストア

川沿いの土手の道は、風が強くて体が冷えた。
国道沿いある店は、このドラッグストアだけだった。
最近のドラッグストアは食料品も置くようになった。なにか野宿向きの食べ物もあるだろう。
まずはトイレで水筒を満タンにしてから店内に入って買い物をした。

大槌市街地過ぎの城山トンネル

大槌市街からトレイル開通区間となっていて、海岸沿いの県道231号線を通って大槌湾を眺めながら歩くことになる。
しかし、遠回りとなる海岸線を通っていては、日没前にねぐらを発見できない恐れがある。
そこでトンネルを通ってショートカットすることにした。
この時点でのねぐらの有力地は根浜海岸だった。

城山トンネルは歩道があって安心して歩くことができた。
これまでのトンネルは歩道がなかったので、疲れている身には凄く嬉しかった。

古廟坂(こびょうざか)トンネル

次のトンネルの古い廟坂トンネルには、歩道はなかった。
このトンネルは660m、先の城山トンネルに比べたら短いが、歩き疲れた人間にはとてつもなく長く感じた。
ヘッドランプを点滅モードで点灯して意を決してトンネルの中に突っ込む。

路肩のスペースはほとんどなし。
大型車両が通るときが特に怖い。
優しいトラックの運転手さんだと、かなり減速して対向車線にはみ出して通ってくれた。
そこまでしてくれると、逆に悪いような気がしてくる。
そうかと言えば、スピードを緩めず、ギリギリ通ってゆく車も多い。
全く気を抜けないトンネル内だった。

トンネルを抜けると、どっと疲れが出た。
緊張が解けたためか。

鵜住居川(うのずまいがわ)河口周辺も、津波で大ダメージを受けて工事中だらけだった。
しかし、迂回しているうちに根浜海岸に辿り着く前に日が暮れそうだった。
トレイルマップを見る限り、最寄りの野宿場所は根浜海岸しかなかった。
鵜住居川河口周辺も野宿できそうな場所はあったが、まだ作業中で人の目があった。

時間短縮のため、意を決して工事現場内をショートカットする。
この周囲は工事中ではなくて安全に歩けた。

 

根浜(ねはま)海岸

場所 大槌市街地過ぎ、宝来館(ホテル)前

トイレ、水場なし。

将来は野宿適地になると思われる。
ホテルが近くて落ち着かない。海風が吹くと危険。

(近くの根浜漁港に公園が整備されていたが、まだ建設中で使用不能だった。)

16:20 根浜海岸

工事現場内のショートカットに成功し、なんとか日没前にたどり着くことができた。
海岸沿いはすでに工事済みで、コンクリートで固められていた。
ここで野宿といきたいのだが、近くにホテルがあって人目があるので、トイレがあるところで野宿したかった。

ザックを置いて周囲を調査する。

近くの根浜漁港周辺に整備中の公園内にトイレを発見!
しかし、まだ完成前で使用不能だった。しかも立ち入り禁止。
防潮堤の陰にテントを張れば、人目に付きにくいので、快適な夜を過ごせそうだった。
仕方ないので戻ることにした。

16:45 テント設営

ホテルから丸見えにならないようにと、風よけの松林のため土手の陰にテントを設営した。
海風が吹くと無防備だが、他の場所を探している暇はなかった。

設営した直後から、海風が吹き始め次第に強くなった。
どんどんと強くなってゆく風に不安を感じつつも、テントを移動するタイミングを失していたため、その場で耐えるしかなかった。

景色に馴染んでいるエスパースソロ

食事

朝 白麦ごはん、みそ汁
昼 パン×1袋、ココナッツサブレ、お菓子×1袋
夕 袋ラーメン、魚肉ソーセージ×1本

 

テント設営後から風が強まり、ポールが折れそうになるほど吹き荒れた。
一時はもうダメだと思った。
途中でテントの外に出ると大変なことに気が付いた。
靴の片方が飛ばされてなくなっていたのだ!
この事態が分かった時、全身の血の気が引いてしまった。
さて、この後どうなってしまうのか。

 

つづく

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