2016日10月7日(1日目)
行程
相馬営業所~仙台駅前 福島バス
仙台駅前~八戸(ラピア高速バスターミナル)JRバス
八戸BTから蕪島(かぶしま)付近まで
歩行距離 7.7km
行動時間 2時間(休憩時間を含む)
ねぐら 蕪島付近のキャンプ場跡
03:00 起床
前日までは道の駅「そうま」にて車中泊を行っていて、新たな装備品を購入するなど出発の準備を進めていた。
当日は絶対に寝過ごさないようにスマホのアラームをセットしておいた。
起床後、手早く食事を済ませると車内を片付けて移動する。
5時過ぎに駐車場に到着して準備を行う。
駐車場の場所は福島バス相馬営業所のすぐ隣。
長期留守にするので、窓は全て内側から銀シートを付けて車内温度防止措置を行った。
車中泊でも登山用品を使っているため、駐車場についてからパッキングを行った。
そのため、かなり時間がかかってしまった。
画像は出発前のザック(75L)とウエストバッグ。
食料は数日分、水は最低限入れておいた。
05:55 福島バス相馬営業所
バスに乗り遅れないように6時前にやって来た。
相馬から仙台駅前までは、福島交通の高速バスで移動した。
乗車券は事前に購入できなかったので、当日営業所で購入した。
バスの始発は相馬市役所だったが、楽々乗車することができた。
(それほど混まないので、予約販売はしないらしい。)
2016年10月現在、JR線はバスによる代行運転を行っていて、仙台まで行くには乗り換えなければならなかった。
事情のよく分からないよそ者にとって、乗り換えは非常に煩わしい。それで、乗換なしの直通で行ける福島交通のバスで行くことを選択した。
近々JR線が運行を再開するようで、仙台行きの高速バスは営業終了となる。
参考事項
福島交通 仙台行き高速バス
相馬営業所 06:20発 仙台駅前 07:43(所要時間 1時間23分)
運賃 1,100円
現在、福島交通と宮城交通で共同運行させていただいております、高速バス 「 相馬~仙台線 」は、常磐線 「 相馬 ~ 浜吉田間 」 の運行再開に伴い、平成28年12月9日をもちまして運行終了する事となりました。
福島交通HPより
07:50 仙台駅前
バスはほぼ定刻どおりに仙台駅前に到着した。
バスの乗車率は80%ほどで、いくつかのバス停に寄って乗客を拾っていった。
客の多くはサラリーマンだった。
福島交通のバス停は駅の西側、一方JRバスの乗り場は駅の東側なので、少し歩かねばならなかった。
乗り換え時間は十分あるが、土地勘がないので念のためスマホのナビを使って移動した。
08:05 仙台駅前東口の高速バスきっぷ売り場
駅ビル1Fの端の方にあって分かりづらい場所だったが、スマホのナビのお陰で難なく到着。
時間に余裕があるので、きっぷ売り場に寄ってトイレを済ませてあちこち見学する。
きっぷは事前にネットで購入済み。
八戸行きのバスのりばはここからすぐ。
八戸行き うみねこ号 74番バスのりば
きっぷ売り場でバスのりばの場所を聞いてやって来た。
出発の8時30分には時間があるためまだ誰もいない。
とりあえず、ザックを下ろしてパンをかじる。
出発の10分前になるとバスが入ってきて乗車手続きを開始した。
ザックは下の荷物入れに入れてウエストバッグのみでバスに乗り込んだ。
車内のレイアウトは、中央通路を挟み、片側に座席が2つずつ。
一番後にトイレがあった。
平日の一番最初の便のためかかなり空いていて乗車率は30%ほど。
そのため、座席2つを占領してのんびり座ることができた。
途中、トイレ休憩でパーキングに2回寄った。
高速は平日のためか、空いていて車の流れが非常にスムーズだった。
補助席を除いて各座席には、スマホ携帯充電用のACコンセントが備え付けられていた。
野宿旅なので、いつ充電できるか分からない。できる時にやっておいた方がいい。
そこで、ザックの中から充電器を取り出して充電しておくことにした。
充電しつつスマホで天気予報やトレイルの情報収集を行った。
参考事項
JRバス東北(うみねこ号)八戸行き高速バス
仙台駅前 08:30発 八戸BT(八戸ラピア) 12:55(所要時間 4時間25分)
運賃 4,900円
12:55 八戸ラピア高速バスターミナル
定刻通り八戸の高速バスターミナルに到着した。
大きなショッピングセンターがあって、食料品などを買うことができたが、数日分の食料は持っていたので、ザックを整えると写真撮影をして出発した。
しかし、いきなり道迷いをしてしまった。
バスに乗って方向感覚が鈍っていたためか、方角を間違えてバスターミナル周辺を一周してしまった。
コンパスと地図で方向を確認してようやく県道一号線に出ることができた。
(太陽が出ていたにも関わらず、方向感覚が狂っていた。)
トレイルスタート地点の蕪島(かぶしま)に向かって県道一号線を歩く。
太い道路に出てしまえば、道に迷うことはない。
13:50 八戸漁港
初っ端のタイムロスが効いて随分と遅くなってしまった。
漁港周辺は遊歩道が設けられた細長い公園のようなものがあり、トイレもあって野宿できそうだった。
久しぶりに重たいザックを背負って歩くので、始めは無理をせずにゆっくり体を慣らしてゆく。
八戸漁港付近の直線道路をゆく。
左手に野宿できそうな芝生の広場あり。
道路に沿って細長い形状をしている。
14:30 JR八戸線 鮫(さめ)駅
変わった名前の駅。
トレイルマップを見ると鮫のモニュメントがあるということだったので、寄り道してみた。
小ぶりな駅舎だが、外には立派なトイレがあった。
駅前にある鮫のモニュメント。
鮫の口から頭を出して記念撮影できるようになっている。
これは子供が喜びそうだ。
ここから蕪島までは近いが、時間に余裕があって慌ててゆく必要はないので、階段のところに腰を下ろしてゆっくり休む。
蕪島近くの無料駐車場
トイレと東屋があって野宿できるが、車の出入りが多そうだった。
東屋のベンチにザックを下ろして蕪島まで行くことにした。
14:50 蕪島(かぶしま)
駐車場から歩いて直ぐのところにある蕪島までやって来た。
大きな赤い鳥居が青空に映えている。
平日だが付近は観光客の姿が見られて少し賑わっていた。
国指定文化財 天然記念物(大正11年3月8日指定)
蕪島ウミネコ繁殖地
ウミネコは東アジアの沿岸を生息地とするカモメ科の海鳥で、この蕪島には繁殖を目的として2月下旬に着島し、4月下旬から産卵が始まり、約1ヶ月でふ化します。7月下旬に島を飛び立って行きますが、近年はこの蕪島に越冬するウミネコも見られます。
繁殖期間には、島はウミネコの別天地となり、その数は4万羽くらいと言われています。
ウミネコの繁殖地は、離島などの人里離れたところが多く、蕪島のように市街地にあるのは非常に珍しいものです。また、ウミネコが漁礁の所在をしめしてくれることから、ここの蕪島神社に祀っている弁財天の使いとして漁師たちに大切にされてきました。いわば水産都市八戸のシンボルでもあります。立て看板より(平成25年9月 八戸教育委員会)
私が行った時は、ほとんどウミネコの姿は見られなかった。極わずか島の辺りを飛んでいただけ。
ひょっとしたら東アジアの方に渡らず、ここで越冬するのかもしれない。
2015年11月、電気設備の不具合のため、火災が発生して蕪島神社が全焼してしまった。
神社があったところは現在空き地になっている。
蕪島はウミネコの繁殖地として知らる有名な観光スポット。
ウミネコが飛来する3月から8月を避けて再建工事を行うため、工期は3年間を見込み完成は平成30年という。
参考リンク 産経ニュース(全焼の蕪島神社、平成30年再建 青森・八戸)
神社跡地には蕪とひょうたんのモニュメントが設置されていた。
どちらも観光客に撫でられて黒光りしている。
蕪が上がり商売繁盛・金運・人気運など諸々の評価が上がると言われています。運開きめぐりして3回蕪を撫でてご加護を頂きましょう。
銘板より
島の周囲には運開きめぐりするための歩道が整備されている。
島を3周まわり参拝すると心身が祓い清められ運が開けるといわれているそうな。
私も看板の矢印の通り、反時計回りに3周してお参りした。
蕪島から八戸港方面を望む。
島は小高く天然の展望台となっている。
トレイル起点・終点の標識。
蕪島神社入口の広場に設置されていた。
標識にザックを立てかけて記念撮影。
この時は、一月もかからずに楽勝で相馬市まで歩くことができると考えていた。
(延長700kmのトレイルを1日30km歩く計算)
蕪島近くの海水浴場
付近にシャワー施設を備えた休憩所が整備されていた。
当時はシーズンオフのため、閉鎖されていた。
15:30 テント設営
蕪島付近にはトイレもあるし、外水道があって水が汲めるので、この周辺で泊まろうと考えた。
まだ早い時間のため、人目があってどこか目立たない場所を探していると、海水浴場から水産科学館の方面へ行った直ぐのところにキャンプ場跡地を発見した。
炊事場とトイレがあったが、どちらも閉鎖されていた。
翌日は雨ということだったので、炊事場の東屋の下にテントを設営した。
ここは道路から一段上がったところにあるので、人目が気にならず快適に過ごすことができた。
蕪島周辺データ
24時間開放のトイレあり。東屋はテーブルと椅子が設置されているため、テントは張れない。
駐車場は夜間でも出入りがありそうなので、少し離れた海水浴場の方でテントを張ったほうが良いだろう。
海水浴場の休憩所はに軒下があって、そこにテントを張れる。
シーズン以外は閉鎖されて人は来ない。
直ぐ近くに外水道があるので水は汲める。
周囲に商店はないので、事前に市街地で買い物しておこう。
キャンプ場跡地は、しばらくの間は野宿できそうだが、近い将来キャンプ場再建の工事が始まるようなので注意が必要だ。
トイレ、水道は閉鎖、東屋のみ当分の間、使用可能。
10月7日の食事
夕食の食事風景
昼食 食パン4枚(鮫駅×2,テント内×2)
夕食 白麦ご飯、レトルトカレー、みそ汁
食事の前にテント内でのブログ更新作業を行う。
折りたたみキーボードを使用して入力していた。
画面タッチのフリック入力と較べて格段に効率が上がった。
蕪島に沈む夕日。
テントサイトから出て海岸沿いの道路から撮影した。
観光客の姿は疎らとなり、周囲は静けさに包まれていた。
2016日10月8日(2日目)
行程
蕪(かぶ)島から階上(はしかみ)町三陸大津波記念碑まで
歩行距離 16.4km
行動時間 8時間(休憩時間を含む。)
ねぐら 三陸大津波記念碑の広場
0415 起床 くもり
雨が今にも降りそうなどんよりとした天気だった。
食事を済ませてテントを撤収する直前に雨が降り始めた。
手早くテントを畳んでザックに詰めた。
06:20 出発
一旦、海水浴場の建物に避難し、態勢を整える。
ここで水筒に水を汲み、ポンチョを着て出発する。
八戸市水産科学館マリエント
早朝のため人気は全くなし。
そのまま素通りする。
海岸沿いを振り返る。
昨日の素晴らしい晴天から一転して今日は雨となった。
昨日は僅か2時間ほどの歩行で疲れはない。今日が実質スタートだろう。
神社手前の標識
道路に白ペンキで文字が書かれていた。
この時初めてトレイルの小さな標識を見た。
トレイルの標識
無垢の木に白いプラスチックの板がビス止めされている。
黒い矢印は、あとでテープで取り付けられたもので、基本はなし。
この矢印あるなしで全然分かりやすさが違う。
06:30 西宮(にしのみや)神社
トレイルの安全を祈願して先に進む。
非常に珍しい矢印標識
ルート上にこうした分かりやすい標識があるのはごく一部。
小さな杭の標識も少ない。
ルートはトレイルマップを見ながら歩かないと直ぐに外してしまう。
八戸漁港を過ぎると海岸線沿いの道をゆく。
地元の漁師さんが海岸に打ち上がった昆布を拾い集めていた。
トレイル沿いに番屋が幾つも建てられている。
番屋とは、漁師さんが仕事で使用する倉庫兼作業場の小屋のことだ。
薪ストーブが設置してあったり、電気が引かれていたりして、住むことができるような小屋もある。
通りがかった小屋の中で、朝から寝っ転がって本を読んでいるおじさんがいた。
海岸近くにあるレストラン。
近くて水揚げされた新鮮な魚介類を提供しているようだ。
簡素な造りの建物がいい味を出している。
鮫角(さめかど)周辺
ゴロゴロとした海岸と草原の風景が広がる。
灯台近くにちょっと変わった杭のようなものが設置されている。
灯台の前にこうした杭が2本セットで設置されている。
近くに新聞記事が張り出されていたので見ると、なんとこれはマイルポストだった。
マイルポストとは、1海里(1852m)の距離の両端に設置された2本一組目印で、ドック出しの船が速力を測る際に使用されているものだ。
現在は電子機器で船速を測ることができるので、利用されることは少なくなった。
私が船に乗っていた時は、ドックで整備し終わった時、近くのマイルポストまで行ってわざわざ船速を計測したものだった。
参考リンク 船のスピード
07:15 葦毛崎(あしげざき)展望台
国指定名勝種差(たねさし)海岸
三陸復興国立公園 種差海岸葦毛崎展望台
南部藩は古くから知られた馬産地でした。広大な放牧地の一部であった葦毛崎は、葦毛の馬にちなんで名付けられたと言われています。ここには太平洋戦争のさなか、時の海軍通信部隊基地の防空電波探知機が設けられていました。現在は太平洋の大パノラマが楽しめる展望台として有名です。また、種差海岸天然芝地に至る5.2kmの遊歩道の出発点にもなっています。
遊歩道の周辺は、春はフクジュソウ、初夏はニッコウキスゲやハマナス、秋は北限のハマギクなど季節の花が咲き乱れます。耳を澄ませば、ウミネコやイソヒヨドリなどの野鳥のさえずりが聞こえ、青空に映える白亜の鮫角灯台や馬駆ける緑の牧場の牧歌的な風景をみることができます。初夏の霧の季節には、八戸小唄で「鮫の岬は潮けむり」と唄われた幻想的な景色に出合えるかもしれません。八戸市観光課
芦毛(葦毛、あしげ、英: Gray、羅: Glaucus、中: 灰)は馬の毛色のひとつ。一般に灰色の馬のこと、またはその状態そのものを指す。肌は黒っぽく、生えている毛は白いことが多い。日本語が使用されている地域では、より白い白毛や佐目毛が稀であるため、通常白馬と言えば白くなった芦毛のことである。
展望台からの景色。
鮫角方向を撮影する。
展望台からの景色。
大須賀(おおすかかいがん)海岸方向を撮影する。
葦毛崎展望台付近
駐車場やトイレ、遊歩道が整備されている。
広々とした芝生の広場があり、天気が良ければ絶好の野宿ポイントとなるだろう。
遊歩道を歩く。
あいにくの天気だが、開放的な雰囲気で歩くのが気持ち良い。
大須賀海岸を見下ろす。
雨に煙る景色もなかなか良い。
07:35 大須賀(おおすか)海岸
海岸は綺麗な砂浜が広がっている。
歩くと音がする鳴き砂で有名なところだが、雨のため音はせず。
砂浜の入口には離岸流のため遊泳禁止という立て看板が設置されていた。
砂浜を歩く。
僅かに釣り人がいただけで周囲は潮騒の音しか聞こえない。
白浜海水浴場
トイレ(水あり)、東屋あり。
良好な野宿ポイント
大須賀海岸の南隣にある海水浴場。
既にシーズンオフで人気はなし。
トイレは使用可能で、水を汲むこともできる。
大きな東屋があって中でテントを張ることも可能で、良好な野宿場所となっている。
トイレは使用可能。
外には水道もあって使い勝手が良い施設。
大きな東屋
中にテーブルとベンチがあるが、それでもテントを張れる十分なスペースがある。
東屋で一休み。
ベンチの背もたれが防風壁となって風を防いでくれそうだ。
海岸沿いの遊歩道をゆく。
漁港の片隅の岩の上にある津波記念碑。
静かな漁港で人気はほとんどなし。
白岩(しらいわ)
前方に見える岩は、「白岩」と呼ばれており、上部が海鵜の糞で白くなっていることからこの名前がつけられました。
高さは約20mほどで、一見するとツルッとしているようだが、近くで見るとボツボツと穴があいていて、そこの海鵜が巣をつくると言われています。八戸市観光課
遊歩道脇にハマギクが咲いていた。
冷たい雨の中を歩いていると気が滅入りがちとなるが、この花のお陰で気分よく歩くことができた。
松林に彩りを添えているハマギク。
淀(よど)の松原
この松原は、詩人佐藤春夫氏が、「美しき海べ」で「種差海岸は、海岸美と山嶽美打って一丸としたともいうべき、ちょっと想像に絶した風景であった。(中略)思いのままになるものなら、あの松原のはずれのあたりにせめて春から夏の末ぐらいまで住んでみたいような空想までした」と激賞した松原です。また、ここの見事なクロマツは、大正4年に深久保地区の青年団が、その創立記念事業として魚付林や防風林の役目を期待して植林したものであり、約1万本あると言われております。
八戸市観光課
コウモリ穴(カモリ穴)
この穴は、地元で「カモリ穴」と呼ばれており、カモリとは地元の呼び方でコウモリのことです。
入口は高さが約3m、横が8mあり右斜め上に大きな割れ目が走っていて、この隙間にコウモリがびっしりと住みついていた、と言うことです。
八戸市観光課
寄り道してコウモリ穴にやって来た。
岩屋の奥の方に穴が続いている。
特にコウモリの姿は見えない。
雨宿りできるだけの十分な広さがある。
種差(たねさし)キャンプ場
住所 八戸市鮫町種差海岸
電話 0178-39-3801
開設期間 4月から10月まで
料金 持込みテント1張 1,500円、特大 2,500円、1人用 500円
貸テント(5人用)1張 3,000円
日帰り利用者1張 1,000円
施設 トイレ、炊事場、東屋あり
その他 広大な天然芝のサイト(平坦地は少なく若干の傾斜あり。)
淀の松原を抜けて種差キャンプ場までやって来た。
まだオープン中だが、利用客の姿は見えない。
広大な天然芝のサイトにキャンプ心をくすぐられる。
ソロテントなら500円というリーズナブルな料金設定が嬉しい。
炊事場のようす
流しとかまどがある。
キャンプ場のトイレ(水洗)はここ一箇所のみ。
道路を挟んだ向こう側、インフォメーションセンターの駐車場に真新しいトイレがある。
ちょっと風変わりな東屋もある。
風がなければ、中に雨が吹き込むことはない。
まるでゴルフ場のように手入れされている天然芝地。
広大だが、意外にフラットなスペースは少ない。
見晴らしの良い丘の上に東屋が見える。
芝生の上に馬糞のようなものが落ちていた。
よく見るとモグラが掘り返した土だった。
芝生のあちこちにこうした土の山が見られた。
キャンプ場内の売店は閉鎖されていた。
受付はインフォメーションセンターで行う。
こんな広々としたキャンプ場は見たことない。
遅い時間であれば、間違いなく泊まっていたであろう。
次回車で来た時に泊まることにしよう。
種差海岸インフォメーションセンター
住所 青森県八戸市大字鮫町棚久保14-167
電話 0178-51-8500
開館時間 4~11月 /9:00~17:00
12~3月 /9:00~16:00
1月2・3日/10:00~15:00
休館日 年末年始(12月29日~1月1日)
入館料 無料
みちのく潮風トレイルでは重要な拠点となるインフォメーションセンター。
ここでトレイルの詳しい情報を入手できる。
設備も充実しており、休憩するには打ってつけの場所。
入口の軒下にザックを下ろす。
こういう時、ポンチョは簡単に脱げるので良い。
平成26年7月12日にオープンしたばかりの環境省の施設。
中は木の温もりが溢れている。
スタンプコーナー
トレイルコースには数々のスタンプが置かれていてスタンプ帳をコンプリートすると記念品が貰えるのだとか。
興味がないのでスタンプラリーには参加せず。
東側の大きな窓から海岸を眺めることができる。
椅子に座ってゆっくり休んだ。
窓際にコンセントがあったので、許可を頂いて充電させて貰った。
野宿旅だとスマホなどの電池不足に常に悩まされる。
充電できるところでは、なるべく充電しておいて電池不足に陥らないようにする。
モバイルソーラーパネルを持っていったが、雨や曇りでは使用できない。
水飲み場
インフォメーションセンターの建物の外にある水飲み場。
なんとウォータークーラーが内蔵されていて冷えた水を飲むことができる。
毎時ちょうどになるとガラス張りの中のウミネコが動くのだとか。
真夏の非常に暑い時は役に立つ施設だが、ちょっと余計なお金をかけ過ぎな施設だと思った。
キャンプ場を抜けて海岸に続く小道を通る。
川が行く手を遮っていたので、飛び石で渡った。
高岩展望台からの景色
長い石段を上って辿り着いた。
展望台からの景色はなかなか良い。
高岩(たかいわ)展望台は、種差海岸の中で最も高い場所に位置する展望台で、高さ42mの巨岩(高岩)の上にあります。この場所に鎮座する高岩神社には、宇賀之魂命(うがのみたまのみこと)が祀られています。
環境省の立て看板より
国指定重要有形民俗文化財
浜小屋
浜小屋は、集落が海岸から離れている場合、各戸毎に海岸に建てた漁具などの置き場で、天気の悪い日や夜には漁具を作ったり修理する場所として利用され、盛漁期には食事や寝泊まりもした。
この浜小屋は幕末頃に建てられたもので、広さは二間半(4m75cm)×3間(5m70cm)、この建物の一間は1m90cm。
屋根は釘を使わずに松の丸太をワラ縄で縛った寄棟の茅葺き。側面は松の板。内部は、出入り口側の三分の一が土間、奥の方は松の板敷きで、中央に囲炉裏がある。
平成五年(一九九三年)四月、八戸及び周辺地域でかつて使用されていた漁撈用具一三八三点と合わせて国の需要文化財に指定された。八戸市教育委員会
大久喜の集落を振り返る。
大久喜集落から階上町まで単調な車道歩きが続く。
意外に交通量があって気を抜けない。
1250 昼休憩をとる
道路歩きに疲れていた頃、ようやく休憩できそうな場所を発見した!
雨でも休憩できるようなところはなく、仕方なしに歩き続けていた。
ここは大蛇(おおじゃ)駅手前の駐車場のトイレ。
トイレ入口の休憩スペースで荷物を解いて昼飯にする。
昼飯はラーメンとポテトチップス。
ラーメンだけでは足りずにお菓子も食べてしまった。
体が冷えていたので、温かい食べ物がいい。
トイレで水筒を満タンにして野宿場所を探しながら歩く。
雨が上がっているうちにテントを設営したかった。
防潮堤に子供の絵が描いてあって寒々とした心が和んだ。
三陸大津波記念碑広場
階上駅のすぐ近く。
付近の民家から少し離れていて静かで落ち着ける場所。
トイレはなし、大をするなら裏手の松林。水場はないので、駅かどこかであらかじめ水を汲んでおく。
1420 テント設営
階上(はしかみ)駅方面に向かって海岸線沿いの道路歩きをしていると、右手に小道を発見した。
上がってみると景色の良い広場があったので、ここに決めた。
まだ早い時間だったが、雨の中歩いて体力が消耗していたので、早めに休みたかった。
三陸大津波記念碑
パッと見、灯台のように見える記念碑。
この記念碑のある広場は、草刈りがきれいにされていて、小高い丘の上にあって眺めが素晴らしい。
近所の民家からは少し離れているので、落ち着いて過ごすことができた。
広場には、ベンチとしてコンクリート製のU字溝が設置してあって物置きスペースに便利だっった。
食事
朝 白麦ご飯、親子丼(レトルト)、みそ汁
昼 ラーメン、ポテトチップス
夕 白麦ご飯、カレー(レトルト)、みそ汁
2016日10月9日(3日目)
行程
階上町の三陸大津波記念碑から階上岳麓まで
歩行距離 24.9km
行動時間 11時間(休憩時間を含む。)
ねぐら 階上岳麓の寺下観音付近の作業道脇
04:15 起床 くもり
朝起床するまで、雨は降ったり止んだりしてしつこく降り続いた。
4時を過ぎてようやく雨が上がったので、寝袋から抜け出して活動を開始した。
雨のため、テント内は湿気が非常に多い。
05:50 出発
雨のためテントが濡れてしまったので、フライシート、本体、アンダーグランドシートはビニール袋に入れてザックの底にねじ込む。
濡れて多少重たくなってしまった。
泊川神社(磯潟大明神)の由来
由来
由来の伝説として、二つの説がある。
その一つは、枕神伝説である。昔、この一帯は松山で、山林の中に平らな窪地があり相当大きな沼があった。牛や馬が放牧され、それを見回りにきた子どもたちや、通行人が、沼に住んでいる「大だこ」に引っぱられて、溺死するという出来事があった。
そこで、地域の人達は、この「大だこ」のいたずらを鎮めようと神に祀ることにして、岩の上に泊川神社を建立し、「たこ神社」「たこ神様」「たこ薬師」と呼んだ。「たこ」は、目が鋭く丈夫なことから、特に、眼病に御利益があるといわれ、万病平癒の功徳をもつ薬師如来と融合して、庶民信仰をうけ今日に至っている。遠くは秋田県や北浜(三沢地方・六ヶ所村の泊)の人々からも信仰をうけ、参拝者も多くあった。もう一つの説は、この地域にある庄屋の娘さんが、この沼に落ちて死ぬという事故があった。そこで、その娘さんの霊を弔うためにこの神社を建立したということである。
また、この神社は、波打ち際の外海から断ち切られてできた干潟が境内にあることから、かつては「磯潟神社」とも呼ばれていた。
氏子は榊・駅前を中心とした周辺の人々である。
近年は、眼病治癒の神様の信仰と共に、「初日の出」参拝の名所として知られている。
建立
建立時期は不詳。
八戸廻濱山根猪鹿狩場絵図(安永八巳亥正月十八日)(一七七九年)に、泊川神社の存在位置が示されていることから、一七七九年以前から、この神社が建立されていたことが判明できる。
現存する最も古い「のぼり」には、嘉永元年(一八四八年)「磯潟大明神」と明記されてある。例大祭
旧暦 五月二十五日平成十三年七月十五日
泊川神社 社守 濱谷豊美
神社からの眺め。
海岸線沿いにたくさんの磯がある。
神社のすぐ下にある水溜りのような場所。
ここが干潟なのだろうか。
06:15 JR八戸線 階上(はしかみ)駅
早朝の駅前にやって来た。
駅舎とトイレは開放されていて休憩することができる。
隣に郵便局があり、ATMで現金の引き出しが可能。
駅前広場に昔の信号機があったので見学した。
腕木式信号機
この腕木式信号機は、大正13年11月10日の八戸線階上駅の開業当時から平成17年6月まで使用されていたもので、この鉄道の歴史的設備を町がJR東日本から譲り受けたものです。
列車運行システムの近代化に伴い全国で徐々に姿を消すなかJR八戸線で最も遅くまで利用され、JR東日本のなかでは最後まで活躍した信号機です。
腕木式信号機は、線路脇の柱上に取り付けられた羽子板状の腕木を動かすことにより、列車の運行や停止を運転士に合図する機械式の装置です。
腕木が水平なときは「停止」、45度に下がったときは「進行」を示すもので、駅長がホームにあるリバー(機械てこ)で操作していました。平成19年8月設置 階上町
アナログ式で非常に懐かしい感じがする信号機だ。
階上駅からのルートで再び迷う。
道路脇の反射ポールにテープが巻かれていた。
今回のトレイルは目印が少なくて地図読みが必須の技術となっている。
07:00 館神社
赤松民部助義信の草創と伝えられる館跡で、現在は館神社がある。
境内は広々としているが、鬱蒼とした杉林で薄暗い。
汲み取り式のトイレは使用可能、水道があったが水は出なかった。
周囲に民家はなく静かな野宿ポイントとなっている。
道仏館跡
この館は、階上町道仏字館地内にあって、別に蝦夷館ともいわれますが、通称館と呼ばれています。館は西からのびる段丘の先端部を人工的に堀、土塁で切り、また道仏川が南側を西から北東に向かって流れていますが、これを堀代わりとするなど、自然の地形を巧みに利用し構築されています。館の形態は隅丸方形の単郭式で、規模は東西約97メートル、南北120メートルで館の西側が高く、東西幅50メートルほどは平坦で、現在館神社があり、その東側は徐々に傾斜し低くなっています。
館の構造は、守りの要である虎口(こぐち)(出入り口)が現在鳥居のある東北端の堀底道にあり、堀を通路として内部に入るようになっています。
堀は全て空堀、北側から西側にかけて3~4本、土塁も同数みられ、東側と南側では、堀、土塁とも2本ずつ認められ、堀幅は平均しておよそ13メートルです。館がいつ築かれたのかは不明ですが、伝承によると、館主である赤松民部吉時が天正19年(1591年)九戸方の久慈備前、櫛引清長らに攻められ落城したといわれています。館の形態、構造などこの地方にみられる中世城館の特色をよく遺しており、保存状態もよく文化財として貴重です。はしかみ101記念事業
平成2年11月階上町教育委員会
コンクリートブロックで造られたトイレ。
南側の窓は壊れているため、透明のアクリル板が取り付けられている。
汲み取り式で使用可能。
境内でザックを下ろして大を済ませる。
中は薄暗かったので、ヘッドライトを点灯して用を足した。
駅を過ぎた辺りから催してきていてトイレを探していたところだった。
07:50 階上町市街地のスーパー(ユニバース)
途中でルートから外れて階上市街地にやって来た。
スーパーは9時からの営業なので、まずは隣のミニストップで休憩することにする。
ミニストップのイートインスペースで休憩中。
当てが外れてコンセントがない。
ここでスマホを充電しようと思っていたので、かなりガックリした。
さらに冷たい500mlのパックジュースを飲んだため、体がかなり冷えてしまった。
コンビニには常温の飲み物は置いていないので、天気があまり良くない時困ってしまう。
1時間以上待ってようやくスーパーで買い出しすることができた。
白米2kgとレトルトカレー2袋がザックを重くする。
これらのため、階上岳の上りでかなりの体力を消耗してしまった。
階上岳の方に向かって歩く。
この後、間もなくルートに復帰する。
茨島(ばらじま)休憩所(ボラティア施設)
このみちのく潮風トレイルで最初で最後のボランティア施設だった。
ちょうど市街地から歩いてきて県道42号線、ルートに復帰した付近にあった。
広大な畑の中に仮設トイレが設置されていた。
畑の中にあるため、水はなし。
水さえあれば、ここでテント泊することも可能。
09:55 茨島(ばらじま)とちの木
青森県指定天然記念物
とちの木
茨島の稲荷大明神脇に生い茂る推定樹齢約850年のとちの木は、樹勢良く、地元では「茨島のとちの木」として親しまれ、昭和30年1月7日に青森県天然記念物の指定を受けている。(青森県指定のとちの木は茨島のとちの木が唯一である。)
伝承によると、茨島家の祖先がこの地に初めて移住した時、宅地の西北の隅にあった大木(銀杏であったと伝えられている)が枯死してから当家に病人が絶えなかった。この事について祈祷師(占い師)に尋ねたところ、「この大木の代わりに実のなる木を植えなさい」と勧められ、上方(京都かと伝えられている)から一粒のとちの実を手に入れて宅地内にまいたところ、芽が出てすくすくと育ち、以来病気になる家族もなくなったと語り継がれてきたという。
800年以上の年月を経た古木であることから、いろいろな話が残されているが、昔は狐や狸が木登りをして遊んでいたこともあったという。
夏には白い花を咲かせ、秋には枝もたわわに実をつけるこのとちの木は、五穀豊穣を司る稲荷大明神の御神木として地域の人々から信仰され、愛されてきた。
所在地 階上町大字赤保内字茨島
幹囲 6.98メートル
樹高 28.50メートル
推定樹齢 約850年
被覆面積 約1400平方メートル文責 正部家 奨
平成21年3月 階上町 階上町教育委員会
木の枝が横方向に張り出している。
ところどころに支え棒が設置されている。
見事なとちの木。
圧倒的生命力のパワーに圧倒される。
極太の幹。
再び県道に戻って歩道を歩く。
天気が回復し日差しが差すようになった。
10:35 熊野堂
雰囲気のあるこじんまりとした神社に立ち寄る。
境内はテントを張れるフラットなスペースあり。
10:40 フォレストピア階上
階上岳の登山口近くにある施設。
土産物を購入したり、食事できるらしいが、用がないのでそのままスルー。
広大な駐車場には、かなりの数の車が停まっていた。
となりにグランドゴルフ場があって、プレーしているお年寄りの姿が見えた。
駐車場のトイレ
外に水飲み場もあって野宿者には嬉しい。
ここで休憩する。スーパーで購入したメンチカツを食べた。
11:00 階上岳鳥谷部(とやべ)登山口
フォレストピア階上から歩いて5分ほどのところにある。
大きな標識が設置されていて見落とすことはなし。
杉林の中をゆく。
ところどころ分岐があって分かりにくい。
山頂への標識はあるので、ルートに拘らずに適当に登山道を歩いた。
11:30 つくし森東側の休憩所
車道を横切るところに、駐車場、東屋、トイレがあった。
階上岳に向かう車が上ってゆく。
道路を渡ったとこにあるトイレ。
つくし森を抜けて山頂に向かって歩いているところ。
相変わらず分岐が多い。
階上岳山頂直下の神社
赤い鳥居を抜けて神社に参拝する。
さらに奥へと進む。
12:35 階上(はしかみ)岳 740m
重たいザックで体力をかなり消耗したが、なんとか山頂までやって来ることができた。
大きなザックを背負っているのは私だけで、すれ違うほかの人は日帰りの登山者ばかりであった。
三角点
山頂からの眺めは素晴らしく八戸市から階上町までの海岸線を眺めることができる。
スタート地点の蕪島(かぶしま)もよく見えた。
風が強くてかなり寒いので、のんびりと休憩する気にはならなかった。
階上岳避難小屋(正式名称は不明)
水場あり、トイレなし。宿泊可能。
12:50 階上岳避難小屋
大開平(おおびらきだいら)駐車場から階上岳方向に5分ほどの平なところにある避難小屋。
3つ建物があるが、中に入れる小屋は手前左の一つだけ。
あとは簡易浄水施設やポンプ施設。
行きも通りがかったが、中だけチェックして通過した。
小屋の中は広々。
風に当たらないだけでかなり暖かく感じる。
小屋の外にある水道。
簡易浄水施設があるので、おそらく飲用可能だと思われる。
裏手に設置されている避雷針。
小屋は広くて綺麗、外は広々としたフラットスペースがあってテント泊も可能。
樹木に囲まれた空間で視界はなし。
もう少し行った大開平に快適な休憩所があるので、わざわざここで泊まることもないだろう。
13:10 大開平(おおびらきだいら)
広大な芝生の広場が広がっている。
駐車場から直ぐなため、車で来た人たちがウロウロしている。
見晴らしが良く、近くに水場とトイレがあって最高のテントサイト。
近くにつつじの森キャンプ場があるが、わざわざそんなところで泊まる必要はないだろう。
この広場には立派な休憩所があるので、そちらもお勧めだ。
階上岳大開平休憩所
トイレ、水あり。
宿泊可能。
本格的な造りで断熱もしっかりしていて快適な一夜を過ごせそう。
休憩所の入口
遠目で見るとただのトイレに見える建物。
冬期に備えて出入り口の前に防風壁があり、両脇から階段を上って出入りするようになっている。
入って直ぐの1Fのようす
コンクリート打ちっぱなしの土間と3畳ほどの板の間あり。
さらに上にロフトもあり。
明かりはセンサーライトで中に入ると自動で点灯し、しばらくするとタイマーで自動で切れるようになっている。
ライトのスイッチは見当たらない。
窓ガラスは断熱性の高いペアガラス。
ロフトから1Fを見下ろす。
開口部が狭いので、大きいザックだと引っかかってしまう。
ロフトのようす
3畳ほどの板の間で、窓はなし。
ライトはセンサー式だが、ロフトだけはON-OFFできるスイッチがあった。
入って右奥にトイレがある。
正面は道具入れで閉鎖されている。
トイレ前の流し。
簡易浄水施設があるので、飲用は可能と思われる。(未確認)
壁には、「凍結防止のため、11月24日より水道を閉鎖する」と表示されていた。
トイレ内
小便器と大便器は別々でバイオトイレになっている。
冬期も使用可能。
バイオトイレの使い方
使用済みのトイレットペーパーは便器に投入する。
(ただし、トイレットペーパー以外は分解しないので、投げ入れない。)
使用後は、必ず運転スイッチを押す。
(排泄物やトイレットペーパーがおが屑と混ざり分解される。)
名称は休憩所となっているが、冬期の宿泊にも使用できる立派な避難小屋となっている。
一階のライトがセンサーで点灯し、タイマーで消灯するようになっているので、宿泊する場合はライトを切ることができるロフトがいいだろう。
壁にコンセントがあったが、作業用と表示されていて、通電はしていなかった。
まだ真新しい建物で木の匂いが漂っていた。
到着した時は、まだ1時を過ぎたばかりだったので、先に進むことにした。
この休憩所は私イチオシの宿泊ポイントだ。
トレイル全体でこんなに設備の整った小屋はここだけだった。
13:40 階上岳放牧場
階上岳の山頂付近にある牧場の方に向かう。
この時になって雨がパラパラと降り始めた。
風が強く寒いので、早々とポンチョを着た。
柵の際を歩いていると、好奇心旺盛な牛が寄ってくる。
なんとものんびりとした風景だ。
近くで見ると凄い迫力がある。
みんなおとなしい牛だったが、大きいので少し怖かった。
牧場内の未舗装の道を歩いて下山する。
凄く開放的な道だ。
高度を下げると樹木に遮られて地味な林道歩きとなる。
燈明堂跡入口の鳥居
雰囲気のある階段を登ると、江戸時代に船の安全のため灯明を灯したとされる燈明堂跡があります。しばし、目を閉じて海が見えた時代の風景を思い描いてみましょう。
トレイル公式マップより
この時、既にバテていたので、寄り道をせずに先に進んだ。
鳥居の奥へと続く階段を見て恐れをなしてしまった。
五重塔跡
津要玄梁(しんようげんりょう)和尚が五重の塔の建立を思い立ったのは元文5年(1740)のことで、それから4年後の延享元年(1744)に完成、明けて延享2年8月4日に五重の塔の落成供養を執行している。
その後、数次にわたって修復されたが、大正2年(1913)の8月22日、暴風雨のため倒壊した。相輪の高さ7尺(約2.12m)塔身32尺(9.7m)、総高39尺(約11.82m)で我が国建築史上極めて異色の五重の塔であったと言われている。桑原家に保存の「五重宝塔修復勧化帳」には、津要玄梁和尚が仏法に無縁の衆生を済度せんと思いども妙案浮かばず、この上は仏意に任する外なしと観音に詣で、飲食を断ち、祈誓すること七夜、満散の暁、観自在菩薩が夢中に現れ、善哉汝無縁の衆生を度せんと思わば、五重宝塔を営み、五智如来を本尊となし、五大力菩薩、五大尊を安置し、又、宝筺印陀羅尼佛、母陀羅尼佛、光明王陀羅尼佛を塔内に納むべし、と託宣、元文5年より思い立ち、延享元年まで鉄石土木の功績りて宝塔成就となる。ー中略ー寛政5年(1,793)10月吉辰 勧行主 八戸大工 甚六 別当 野沢村 彦六とある。
現在地 階上町大字赤保内字寺下6-2
平成4年3月
階上町教育委員会
16:00 寺下観音
体力の消耗が激しさを増す。
五重の塔跡から遊歩道を下っていると野宿できそうなフラットスペースをいくつか見つけたが、手持ちの水が少なかったため通過した。
トレイルマップによれば、寺下観音の先に湧き水がある。
麓まで下りるとお堂の裏手に出た。
綺麗に掃き清められている境内。
苔むした庭の雰囲気が良い。
石段を登ると山門があった。
今度はお寺さん。
寺下観音は、神仏混交との霊地として古くから近隣の人々に信仰されてきたころ。
境内の中に神社とお寺がある不思議な観音さんだった。
正面入口の赤い鳥居
ここを抜けてすぐのところにトイレ付きの駐車場があった。
湧き水が見当たらないので、地図を見ながらウロウロしていると、フェンスに囲まれた場所に湧き水が湧いているのを発見した。
縁結びや子宝のパワースポットらしいが、水は汲めない。
仕方ないので、駐車場まで戻りトイレで水を汲んだ。
16:50 作業道入口
水は汲んだが、周囲に泊まれそうな場所はないので、海岸の方に向かって下りてゆく。
次第に日没が迫ってきて焦りの気持ちが出てきた。
どこかに良さそうな場所はないものか、とキョロキョロしながら歩いていると怪しげな小道を発見した。
中に入ってゆくと送電線の鉄塔のある広場があったが、電磁波の影響を受けそうだし雰囲気が悪いので、少し戻って入口近くの作業道脇にテントを張った。
日没が迫っていたので、選り好みしている場合ではなかった。
階上岳の登り降りで予想以上に体力を消耗してしまった。
市街地で買った食料が重すぎた。
食事
朝 白麦ごはん、みそ汁
おやつ パン×2袋、ポテトチップス、リンゴジュース(500ml)
昼 メンチカツ
夕 白麦ごはん、マルシンハンバーグ×2枚、みそ汁
お腹が空いてフラフラだったので、夕ご飯はハンバーグ2枚とおかずを奮発してしまった。
ご飯もたっぷりと多めに炊いた。
少しでもザックが軽くなるようにと買ったばかりの食料を無闇に食べていた。
こんなことなら始めからザックの重量を大幅に減らした方が良かったと思った。
しかし、途中で装備の変更はできないので、重たいザックのまま歩き続けるしかなかった。
つづく