みちのく潮風トレイル踏破記録 【その3】~久慈市から弁天崎まで~

2016日10月13日(7日目)

行程

久慈市から野田村まで   

歩行距離 19.4km 
行動時間 8時間15分(休憩時間を含む)
ねぐら  玉川キャンプ場

 

0415 起床 くもり テント内10℃

昨夜は夜釣りの人が数名やって来て、数時間釣って帰って行った。
前面道路は、夜間でも意外に交通量があって、休日前は危険な感じがした。
風は弱くて特に問題はなかった。

06:15 出発

朝食は、昨日購入したうどんを早速食べてみる。
水がたっぷりとあるので、多めに湯を沸かして麺を茹でた。
その後、茹で汁を捨てて新たに水を入れ、具を投入して沸かしてから火を止めてスープを入れた。
それほど美味くはなく普通のうどんだった。安物だったので仕方がない。
長時間強火で煮炊きしたため、かなりのガスを消費してしまった。

まずは小袖(こそで)海女センターに向かって海岸線の道路を歩く。
片側1.5車線の細い道路が続いている。

兜岩(かぶといわ)

海岸線には荒波によって削られた奇岩があちこちに見られる。
写真は兜岩と呼ばれる大きな岩場。

トンネル内は暗く道幅が狭いので、歩行する際は要注意。
久慈市街方面に向かう車が多かった。

つりがね洞

大きな岩にポッカリと穴が空いている。
撮影時の角度が悪くて、写真からはよく分からない。

道幅の狭い道はまだまだ続く。

ようやく小袖集落が見えてきた。
巨大な防潮堤に囲まれていて集落のようすが分からない。
城壁に囲まれた町に見える。

小袖定置網組合の建物。
早朝から建物内に明かりが灯っている。
何やら作業をしている物音が聞こえてくる。

小袖漁港の公衆トイレ

建てられたばかりの綺麗な水洗トイレ。
夜間閉鎖と貼り紙がしてあったが、ドアが開いていて使用可能だった。
トイレの手洗い場は水が出るので、水を汲むことができる。(おそらく水道水)

漁港の水揚げ場

荷物などは何も置かれておらず、殺風景な雰囲気だった。
この建物の端にもトイレがあったが、鍵がかかっていて使用不能だった。
水が欲しい場合は、そこら辺にいる漁師さんに頼めば快く汲ませて貰えるだろう。(たぶん)

漁港の奥の方に歩いてゆくと2つ飛び出した大きな岩と白い建物が見えてきた。
夫婦岩と小袖海女センターだ。

平成25年流行語大賞受賞記念碑
「じぇじぇじぇ」語源の由来

 

岩手県久慈市宇部町小袖は太平洋沿岸北三陸に位置しており、日本最北に暮らす「北限の海女」で名高い小袖海岸、輝く方言をもつ「海女の国」です。
「じぇ」の語源は、小袖の愛郷方言で、驚きをはじめ感情を表現する言葉であり「海女の国」特有の方言と言えます。

由来は、万葉集(西暦759年)に海人(あま)が働く様が詠まれており、海女のことを表す「かつぎ」の言葉と共に語り継がれてきた「じぇ」は、古の生活風習、伝統の海女、漁師が語る方言として海に暮らす集落形態、生業から生まれた会話の愛鎚(あいずち)言葉が由来とされます。
平成25年に放送されたNHK朝の連続テレビ小説「あまちゃん」のドラマでは、驚きが増すほど、「じぇ」の数がふえるとされ、「じぇ」の発言回数は816回にもなるといわれています。
以来、「じぇじぇじぇ」は、一気に全国発信となり、平成25年の流行語大賞に選ばれる快挙となりました。
この受賞を記念し、ここに「じぇじぇじぇ発祥の地」記念碑を建立。小袖海岸は三陸復興国立公園内にあり、夫婦岩などは三陸ジオパークのジオポイントに選定され、海岸景勝美を誇る「北限海女の里」として、皆様に愛される久慈市の名所です。

*「海女」「海人」「海士」はいずれも「あま」と読み、「かつぎ」は「あま」の古語です。
*東日本大震災に対する皆様の御支援に感謝と御礼を申し上げます。

岩手県久慈市小袖海岸
宇部町「海女のふるさと」会

「あまちゃん」のロケ地
「北限海女の道」起点地 記念碑

 

平成25年、「北限の海女」をモデルとしたNHK朝の連続テレビ小説「あまちゃん」は、国民から愛されるドラマとなり、海外でも放送され好評を博し、放送のロケ地となった小袖海岸は、三陸復興国立公園内にあり、豊かな自然景観を誇る北三陸久慈市を代表する観光地です。
小袖集落は約15箇所の共同井戸・湧き水を中心として人家が形成されてきましたが、海女が素潜り漁を行う、人家と海をつなぐ道があります。深夜の作業時に松明や六角提灯の明かりで高台と海を往来する道や、久慈市の日等へ向かう道があり、ここは「北限の海女の道」起点地といえます。
小袖地区の高台にある「ステバタケ」や「タバタケ」の遺跡からは約4000年前の壺や矢じりが出土しています。
縄文人が竪穴住居から海にかよった「縄文人の道」と、海女が漁村集落から海にかよった「北限海女の道」は一部で重なっており、縄文時代4000年まで遡る悠久の古道と考えられます。
大正8年頃には、珍重品である干鮑(干しアワビ)が俵詰めで1日に55俵も出荷され、商人を介して神戸や長崎を経て支那(現中国)へ輸出されたと古老の海女が語ります。

小袖地区の漁村文化を育んだ先人の歴史と、海女の伝統を称えるため、ここに「あまちゃん」のロケ地及び「北限海女の道」起点地の記念碑を建立しました。

岩手県久慈市小袖海岸
宇部町「海女のふるさと」会

道路脇でカニが茹でられていた。
美味しそうな匂いが漂っていて、ついよだれが垂れそうになった。

07:20 小袖海女センター

六角形の建物。早朝のため、人気はなし。

建物のとなりのWi-Fiスポット付きの自販機。
スマホの電池が勿体なかったので、接続テストは行わず。

トレイル公式マップ「野田村~普代村北部」には、海岸線の道が記されている。
奥の方に遊歩道の入口があるのではないかと、ウロウロして探してみたが見当たらず。
ちょうど外で作業をしていた地元の人に聞いてみたが、情報は得られず。

夫婦岩には係船ロープのお古で作られたしめ縄が取り付けられている。
前回の取替からもう10年以上は経っているそうな。

岩の踏み跡を辿って上まで登って見ると、小さな社があった。

上から下を見下ろす。
ロープを見た感じ、まだまだ大丈夫そう。

海岸線の遊歩道が見つからないので、少し戻ったところにあった「海女の道」をゆくことにした。
コンクリートで舗装されているが、道幅は狭くてバイクや歩行者しか通れない道だった。

傾斜が急でかなり堪えた。
休み休み登って行った。

高台にある漁場監視場

中にはこたつや漁業無線が設置されていた。
ちょうど通りがかった人に聞くと、ここは密漁の監視場で、シーズン中になると交代で詰めて漁場を見張っているのだそうだ。

小袖漁港を見下ろす。
遠くには久慈の町が見える。

監視場から集落の中に入り、車道を歩いて野田湾の方まで行くことにした。
集落の中の狭い道を歩いているところ。

海女さんマンホールの蓋

坂を登り切ると、フラットな道を延々と歩いた。
道路脇には、点々と民家が散らばっている。

08:50 久慈市立三崎中学校前のバス停

海上コンテナを改造して造られたバス停。
屋根にはソーラーパネルが設置されている。
中のベンチでしばらく休んだ。

民家の庭に咲いていたコスモス。
色とりどりの花が咲いていて見ごたえがあった。

09:15 駒形神社

通りがかった神社で一休み。
昨日、久慈市街で買った食料が重たくて、早い時間からすでにバテてしまっている。

集落の中の小道をゆく。
地図に載っていた道を通ってショーカットする。
眼下に野田湾が見える。

海岸手前を下ってゆく。
ここも防潮堤の工事が行われていて、重機やダンプの唸り声が聞こえてくる。

次第に晴れてきて気持ちの良い天気になった。
ダンプの往来が激しいため、路面が白っぽくなっている。
疲れたので道路脇で休むことにした。

道路脇で休憩中。
ダンプが通ってゆく度に砂まみれとなる。
天気が良いので、ソーラーパネルを出して充電する。
歩行中の充電は、効率が良くないと分かったので、休憩中に充電するようになった。
ザックにくくり付けた衣類もそこら辺に広げて乾きやすくした。

イワシの天日干しが行われていた。
太陽の日を浴びて小さく縮んでいる。
美味しそうな煮干しだった。

 

道の駅「のだ」

所在地 岩手県九戸郡野田村大字野田第31地割31-1

陸中野田駅と隣接する道の駅。
直売所売店で食料品を購入することができる。

トイレ、外水道あり。
駅へと続く屋根付きの通路と昼間限定のソーラー電源が目玉となっている。
ここでスマホやモバイルバッテリーに充電することができる。
営業終了後は、建物周辺は良好な野宿スポットに変貌する。
国道45号線を久慈市街地方面に500mほど歩いた場所にコンビニあり。

リンク 道の駅のだHP

 

11:10 道の駅「のだ」

海岸線のまっすぐな道路を歩いて国道45号線沿いにある道の駅までやって来た。
ここで施設のチェックと食料品の買い足し、休憩を行う。

建物の前には休憩できるようにベンチと椅子が設置されている。
車がひっきりなしに出入りし賑わっている。
建物の中には土産ものを売っている売店、別棟に直売所がある。

出入り口の横に外水道があった。
野宿者には嬉しい施設だ。
ここで洗濯や飲水の補給が行える。

直売所で購入した食料品。
煮干し、昆布、しいたけ、大麦、そば、太巻き。
一番下にある「ふのり蕎麦」はここで購入したにも関わらず、最後まで食べずに持っていた食料だった。

太巻きを食べているところ。
非常にボリュームがあって、空きっ腹が満たされた。
パンを食べてもすぐにお腹が空くので、こういうご飯系の食べ物がいい。

道の駅裏手の駅へと続く通路。
屋根付きで有り難い。

駅構内へと続く通路。

線路下のトンネルを通ってホームに上る。
この地下通路は広くて快適だ。
荒天時の避難場所となる。

ホームまで上がると待合室があった。
無人の駅で自由に出入りすることができた。

ソーラーパネルの電源施設を無料で使用することができる。
これは非常に有難かった。

太陽光パネル(290W)により発電した電力を蓄電(8.6KWh)して充電用に提供しています。

設備内容

・シニアカー等屋外コンセント(2箇所)
・電動アシスト自転車用バッテリー(4台)
・電動バイク用バッテリー(2台)
・USBコンセント(2口)
・ACコンセント(2口)

注意事項

・コンセント接続は小容量のものに限ります。
(例)スマートホン・携帯電話・タブレット・ノートパソコンなど
・盗難などの責任は一切負いません。

利用時間 09:00~17:00

 

道の駅のだ 管理者

中のようす

ガラス窓が大きくて中はポカポカと暖かい。
椅子が置いてあるので、休憩にもピッタリ。

スマートホンとモバイルバッテリーを充電中。
使用する際は、備え付けのノートに必要事項を記入する。
天井付近に監視カメラが設置されていてセキュリティーは万全か。

壁のACコンセント(1口2A以下)とUSBポート(出力2A)

USB出力電流が大きく急速充電が可能。

道の駅で十分休んだあとは野田市街地には寄らず、国道45号線を歩く。
海岸沿いでは防潮堤の建設工事が進められている。

十府ヶ浦(とふがうら)に建設されている防潮堤。

巨大な人工物が見える異様な光景だ。

13:30 くんのこほっぱ跡地

ただの空き地のような駐車場に看板が立っていたのみ。
見るものはなかったので、しばらく休憩して立ち去る。

久慈層群と琥珀採掘跡

「くんのこほっぱ」とは、琥珀採掘場を意味する久慈地方の方言です。
(くんのこ=琥珀、ほっぱ=堀場)
久慈地方は国内最大の琥珀産地です。玉川・土内地区では昭和初期から昭和33年頃まで琥珀が採掘され、軍需物資(塗料など)や医療品の原料として出荷されていました。
これらの琥珀は約8500年前に堆積した地層「久慈層群」より採掘され、この地層からはアンモナイト、恐竜、海生は虫類などの化石が発見されており、日本の地質100選に選定されています。
玉川海岸から米田海岸にかけての地層には、海生動物の化石や牡蠣化石の密集層も見られ、これらは平成25年9月に認定された「三陸ジオパーク」のジオサイト(貴重な地質・地形を見られる場所)に選定されました。

平成25年10月吉日           
くんのこほっぱ愛好会・岩手県久慈広域圏
北三陸大地の恵み・ジオパーク推進連絡会

国道45号線の旧道を歩いて野田玉川鉱山跡地へ向かう。
ただの山道で面白みの全く無い道だった。

14:00 野田玉川鉱山跡地

写真は隣のワイン売り場の建物。
周囲に観光客の姿は全くなし。
嫌な予感を感じつつ鉱山跡地の切符売場に行くと、入場料はなんと大人700円だった。
こんなことなら、ルートに拘らずにまっすぐ国道を歩いておけば良かったと思った。
すでに遅い時間でもあるので、見学せずに麓へ下りることにした。

ルートは国道を越えて海岸に出て、再び登り返して玉川キャンプ場へと続いている。
どう考えても遠回りする意味を見出せなかったので、ルートを外れて近道を行った。
写真は三陸鉄道北リアス線の陸橋の下の仮設住宅の前を通り過ぎているところ。

集落の小道を歩いていると、大きなキャンプ場の標識が設置されていた。
標識に従って坂を登ってゆく。

さらに線路の下を潜ってゆく。
高さ2.5mの制限あり。

 

野田玉川キャンプ場

所在地  岩手県九戸郡野田村玉川第3地割7付近
料金   無料(ただし、清掃協力金として150円)
開設期間 5月から10月
トイレ、炊事場、東屋あり

広くて快適な芝生のキャンプ場。
夏場はサーファーや家族連れの利用客が多いらしい。

リンク 野田村観光協会(玉川野営場)

14:30 玉川キャンプ場

集落から細い道を通って、海岸近くの高台にあるキャンプ場に到着した。
周囲は人気はなくて静かだった。
早速、施設をチェックしテントを設営することにした。
入口看板の奥が駐車場、サイト内へは車の乗り入れは不可となっている。

入って直ぐのところにあるトイレ(水洗)。
虫が入るので、出入りする度にシャッターを開け閉めするルールとなっている。
一見閉鎖されているように見えるが、キチンと使用できる。

東屋

周囲にベンチがあって周囲が低い壁で囲まれている。
下はコンクリートで湿気はなし。
今回は東屋の中でテントを張った。

炊事場

夜になると外の街灯一つが点くのみ。
夜間は明かりが必要。

広々とした流しがあって使いやすい。

管理棟

入口が閉鎖されていて管理人の姿は見当たらない。

管理棟の軒が深いので、テントを張るには良い場所。
東屋に先客がいる場合は、こちらの方へ。

キャンプ場は高台にあるが、周囲を松林に囲まれていて思ったほど風は吹かない。
広々とした芝生のサイトでどこでもテントを張り放題。

15:00 テント設営

施設を全てチェックして一番居心地が良さそうな東屋の中でテントを張った。
壁が目隠しと防風壁になって良い。
下がコンクリートなので夜は冷えたが、フラットで湿気はないので、よく眠ることが出来た。

キャンプ場はこの日、私一人の貸し切り状態だった。
電車の音と国道45号線を通るトラックの音が聞こえてきたが、それほど気にならなかった。
キャンプ場内の街灯は、炊事場前の1つのみ。

10月13日食事

朝 うどん(2束、野菜入り)
昼 惣菜パン×1、レーズンパン×4本、太巻き×1
夕 うどん(2束、野菜入り)

みちのく潮風トレイル【7日目】~ようやく歩き旅のリズムに慣れてきた~
こんにちは。からあげです。 私は今、東北の太平洋岸沿いの道「みちのく潮風トレイル」を歩いているところだ。 ひょっとしたら最近このブログを読み始めた人もいるかもしれない。 ここでもう一度だけ説明しておこう。 このトレイルは東日本大震災復興のた

 

2016日10月14日(8日目)

行程

野田村から黒崎まで   

歩行距離 23.5km 
行動時間 8時間40分(休憩時間を含む)
ねぐら  黒崎オートキャンプ場

04:05 起床 晴れ テント内12℃

昨日の夕方に二人組のお年寄りがやって来ただけ、それ以降は誰も来なくて静かな夜を過ごすことが出来た。
清掃協力金を集めに来ることはなかった。どこかに料金箱があればお金を払いたいと思ったがどこにもなかった。

05:50 出発

キャンプ場の入口まで戻って、海岸へ下りる小道を進む。
入口の杭にトレイルのテープが取り付けてあった。
海岸まで下りて来ると、ちょうど朝日が昇ったところだった。
誰もいない静かな海岸を独り占めする。

海岸に下りてみてビックリ。
たくさんの流木が打ち上がって山のようになっている。
これは先日の大きな水害をもたらした台風によるものなのか。

玉川海岸を振り返る。
一番奥の小高いところが、キャンプ場の場所だ。
流木の山を乗り越えて海岸から上がったところ。
これより斜面に付いている小道を辿って国道45号線に上がる。

歩道のない国道45号線を歩く。

正規のルートでは、交通量の少ない道や林道を繋いで歩くようになっているが、地図を見た感じでは特に見どころがありそうな場所は見当たらない。
昨日の鉱山跡地の遠回りで懲りたので、まっすぐ国道45号線を歩くことにした。
国道に出てから堀内集落まで歩道はなし。
路肩が狭いので、車に注意しながら歩いた。

06:45 国民宿舎えぼし荘前

怖い思いをして国道を歩いてここまでやって来た。
ここでようやく休憩できる。
入口の看板は、サーフボードを抱えた「のんちゃん」。
のんちゃんとは、野田村のご当地キャラクターだ。
現在、サイトがメンテナンス中で、一体何ものなのかよく分からない。

国民宿舎前を過ぎると、眼下に安家(あっけ)川河口にある小さな漁港が見えてきた。
相変わらず国道に歩道はない。
次第に交通量が増えてきた。

ようやく国道45号線から離れて海岸へと向かう道を進む。
前方に三陸鉄道北リアス線の大きな橋が見える。

 

まついそ公園

場所 三陸鉄道北リアス線堀内駅東約400m
施設 トイレ、水場、東屋あり。

交通量の多い国道から離れている静かな公園。
設備が整っている非常に良好な野宿スポット。
震災後に整備された新しい公園で、夏休み期間中は家族連れや釣り客で賑わうことが予想されるので注意。

07:30 まついそ公園

海岸まで下りてゆくと、真新しい公園があった。
国道には公園の標識がないので、よそ者はまずやって来ることはないだろうと思われる。
周囲に民家はなくて非常に静かだった。
ここは間違いなく極上の野宿スポットだ。

公園内は広い。大部分はコンクリートで固められていて草地は極わずか。
駐車場は公園の両脇にあってかなりの台数が停められる。

トイレは一箇所。水洗で清潔。
軒下は広くて雨天時外にザックを置いても濡れないので、これには大助かり。

外水道あり。
汚れ物を洗いやすいグレーチングタイプ。

東屋は2つ。
広くて余裕で中にテントを張ることができる。
東屋は吹きさらしなので、風が強い時は段差や防潮堤の陰が過ごしやすそう。

 

公園からトンネルを通って海岸線を歩く。
ルートマップでは、まついそから一旦国道まで出て再び下りてくるルートとなっている。
意味不明なコース設定だったので、自分の好きな道をゆくことにした。

トンネル2つ抜けると知らぬ間に夫婦岩を通り過ぎてしまった。
引き返して見ることも出来たが、それほど見ごたえがある岩だとは思えなかったので、そのまま進むことにした。

国道と鉄道の橋を見上げる。
手前の白っぽい方が鉄道の橋だ。
地図が指し示す方の空き地の奥の方(画像では手前)に向かって歩いている。

小さな沢の渡渉。
飛び石で靴を濡らさずに渡ることができる。
地図にはルート表示があるが、実際に見ると草が生えていてよく分からない。
トレイルの標識があってようやく渡渉ポイントが分かった。

ルートマップのコメント「ササ丈が高く入口見えづらい 道迷い注意」の通り、草が生い茂っていてルートがハッキリしない。
地図を見ながら谷筋を歩いていった。

草をかき分けて進んで森の中に入ると、ようやく荒れた林道に出た。
一体いつまで藪漕ぎをしなければならないのか、と思っていたところだった。
歩きやすくなってホッとした。

08:20 運動公園

ルートを少し外れて北緯40度運動公園までやって来た。
大きな野球場や陸上競技場、それに仮設住宅があった。

陸上競技場の建物の外に水道があった。
蛇口をひねると水が出た。
トイレは運動公園入口の駐車場の方にあったが、遠かったので行かなかった。
これだけ大きな公園だと、管理人がいると思われる。
この公園で野宿する際は注意。

09:10 三陸鉄道北リアス線 白井海岸駅

運動公園をしばらく行ったところで、道を間違えて国道45号線に出てしまう。
再び海岸方向に下ってコースに復帰した。
調査を兼ねてルート上の駅にやって来た。
小さな駅だが、トイレと水場の最低限の設備がある。
トイレは仮設で、大と小用がある。

水場は元栓が閉まっていたが、元栓を開けると綺麗な水が出た。
水道水だとは定かではないので、飲用する際は注意する。

ホームの待合室は東屋風で壁はなし。
駅を過ぎるとすぐにトンネルに入る。

海岸沿いの道には、小型漁船が縦列駐車のように置かれている。
津波の被害を避けるために陸に上げているようだ。

白井海岸をゆく。
岩の上に生えている松がいい雰囲気を醸し出している。

10:15 三陸北道路分岐

白井海岸から少し登って遊歩道に入るはずが、行き過ぎてしまった。
しつこく犬に吠えられて入口を探しにくかったため。
三陸鉄道の橋の下をくぐった時に気が付いたが、面倒だったので国道に出ることにした。

国道45号線に出てしばらくゆくと、北三陸道路の分岐があったが、これより先は自動車専用道路となっていたので、右に曲がって旧道を通って行った。

10:45 譜代(ふだい)市街地内 スーパーマルサ

旧道途中からショートカットして市街地に下りてきた。
ちょうど小さなスーパーがあったので、食料品を買い足すことにした。

店を覗くと、魚介類がたくさん並んでいた。
どれもこれも新鮮で非常に美味しそうだった。
しかし、歩き旅だと生物は長時間持ち歩けないので、日持ちするパンを購入した。
アップルパイと黒糖入りのパン。

買い物中は、日向にモバイルソーラーパネルを置いて少しでも充電しておいた。
こういう短時間の充電でも合わさると馬鹿にならない。

11:10 普代水門

2016.10現在、トレイルコースの開通区間は譜代市街地まで。
市街地を抜けると橋を渡って普代川の右岸を歩く。
すると前方に巨大な水門が見えてきた。

 

普代水門

「二度あったことは三度あってはならない」

 

和村幸得(わむらこうとく)元村長は、戦後の民選で村長に初当選し、10期40年という長きにわたり普代村のトップとして村の発展に尽力を尽くしました。昭和8年の津波を経験した元村長は、明治29年の津波で記録された15.2メートルの高さにこだわりました。財源や土地の活用に国からも村民からも反対の声が上がりましたが、「二度あったことは三度あってはならない」と反対の声を説得し、高さ15.5メートルの普代水門と大田名部(おおたなぶ)防波堤を実現させました。
2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震では、津波による浸水を最小限に食い止め、村内の人的被害を死者0、行方不明者1に抑え、「奇跡の水門」と呼ばれ注目を集めました。ただし、実際には到達した津波の高さは約20mで水門を越えており、県道にかかる水門の陸甲(扉)が余震で緊急停止し、間一髪手動で閉めた経緯もあり、より素早く高台に避難することこそが重要であることを忘れてはなりません。

ジオサイト立て看板より

普代川左岸にある譜代浜園地(ふだいはまえんち)

普代川河口付近に建設中の公園があった。
震災前はキャンプ場があったらしい。今現在はそのような施設は見当たらない。
遠目で完成間近のように見えた。
広い駐車場に広大な芝生の広場、小さな東屋2つ、そして東屋と一体化したトイレがある。
間違いなく野宿適地だが、市街地から1km離れていて、ルート上からも少し外れているのが不便に感じる。
河口付近は、砂が堆積して砂浜のようになっていて、川の水量はなんとか渡渉できそうなくらいだった。
晴天続きで水量が少なければ、渡渉することが可能と思われた。

11:30 大田名部(おおたなぶ)漁港

黒崎手前の最後の集落、大田名部にある漁港。
防波堤の内側にたくさんの漁船が係留されている。

漁港前の仮設店舗

飲食店などが入っていた。
昼前だというのに、暇そうな店主が出入りしていた。

漁港の公衆トイレ

駐車場の片隅にあった。
水洗、よく掃除されていて清潔。
手洗い場で水を汲める。
漁港なので人の出入りが激しそう。
広い空きスペースがあるので、邪魔にならないところにテントを張って野宿は可能。
現在工事中だった、津波避難施設の周囲が良さそうだった。

黒崎に向かって海岸道路を歩く。
歩道があって歩きやすい。
すでにバテ気味、景色を眺めながらマイペースで歩く。

トレイルマップを見ると、黒崎手前の小さな漁港から海岸沿いに遊歩道の記載あり。
橋の上から行けるかどうか眺めているところ。

漁港まで下りてゆくと、遊歩道工事中の看板あり。
この時、嫌な予感がした。
車道を奥へ奥へと進んでゆくと、道路の終点から遊歩道が延びていた。
工事中だったが、通らせてもらえるかもしれないと、どんどん歩いていった。
みちのく潮風トレイルのルートとなる遊歩道のようで、真新しいトレイルの案内看板が設置されていた。
昼休みで休憩していた作業員がいたので、通れるかどうか聞いてみた。
すると、工事中で危険なので通行禁止だと言われた。
確かにごもっとも。引き返して県道を歩いてゆくことにした。

黒崎への県道は歩道がなく、傾斜がキツイ山道だった。
ザックを置いて休む場所がないので、ペースを落として歩き続けた。
ダブルストックのお陰で随分と楽をできた。

北緯40度観光休憩ハウス

場所 黒崎入口
施設 休憩所、トイレ、水場あり。

県道脇にあって休日前や休日には人通りが多そうな場所。
近くに安価なオートキャンプ場(300円)があるので、あえてここで野宿することはないだろう。

13:10 北緯40度観光休憩ハウス

長い坂道を登ってようやく辿り着いた休憩所。
黒崎入口の分岐にある。
大きな駐車場の前に大きな休憩所の建物が建っている。

休憩所の外観

トイレは建物内にあり。
ログハウス風のおしゃれな造り。

建物内の休憩コーナー。
照明はセンサーで自動点灯した。
窓が大きくて非常に明るい室内。
休憩にピッタリな施設だ。

駐車場の片隅に水場あり。
たぶん飲用可能。
この時点ではまだオートキャンプ場に泊まるか迷っていたので、念のため水筒を満タンにした。

13:30 黒崎展望所

休憩所の分岐で左に曲がって黒崎灯台へ向かう。
黒崎周辺は台地上になっていて、海岸近くの周辺部は断崖絶壁となっている。
展望所からの眺めは素晴らしい。
三崎から南の海岸線がよく見えた。

備え付けの無料の望遠鏡(ニコン 20×120)

これは非常に太っ腹な設備だ。子供が大喜びで覗きそう。

海岸を見下ろす。
地図で見ると小さな入江のある海釣り公園か。
画像を拡大すると素掘りのトンネルらしきものが見えた。

宮沢賢治詩碑「発動機船一」

宮沢賢治先生が三回の旅行をされ、親しみ愛した三陸海岸沿いには九基の石碑が建立されております。
「雑木の崖のふもとから、わずかな砂のなぎさをふんで石灰岩の岩礁へ」の一節は、きっと、この地での思いを綴ったものと想像されます。
普代村の堀内地区には、「敗れし少年の歌へる」や田野畑村、宮古市、陸前高田市などにも宮沢賢治先生の石碑が建立されております。
賢治の世界を巡る、歴史ロマン探訪の旅へでかけてみませんか・・・

立て看板より

発動機船一

うつくしい素足に
長い襟裾をひるがへし
この一月のまっ最中
つめたい琅玕(ろうかん)の浪を踏み
冴え冴えとしてわらひながら
こもごも白い割木をしょって
発動機船の甲板につむ
頬のあかるいむすめたち
  ・・・あのおそろしいひでりのために
     みのらなかった高原は
     いま一抹のけむりのやうに
     この人たちのうしろにかかる・・・
赤や黄いろのかつぎして
雑木の崖のふもとから
わづかな砂のなぎさをふんで
石灰岩の岩礁へ
ひとりがそれをはこんでくれば
ひとりは船にわたされた
二枚の板をあやふくふんで
この甲板に負ってくる
モートルの爆音をたてたまま
船はわづかにとめられて
潮にゆらゆらうごいてゐると
すこしすがめの船長は
甲板の椅子に座って
両手をちゃんと膝に置き
どこを見るともわからず
口を尖らしてゐるところは
むしろ床屋の親方などの心持
そばでは飯がぶうぶう噴いて
角刈りにしたひとりのこどもの船員が
立ったまますりばちをもって
何かに酢味噌をまぶしてゐる
日はもう崖のいちばん上で
大きな榧(かや)の梢に沈み
波があやしい紺碧になって
岩礁ではあがるしぶきや
またきららかにむすめのわらひ
沖では冬の積雲が
だんだん白くぼやけだす

13:45 国民宿舎くろさき荘

黒崎展望所からくろさき荘まで戻り、日帰り入浴が可能か、スマホの充電が可能かどうかフロントで聞いてみた。
すると420円でお風呂に入れてスマホも充電可能ということだった。
これを聞いてオートキャンプ場で泊まることを決定した。

時間の余裕が出来たので、黒崎周辺の見物を続けることにした。
ザックを置いて空荷で歩く。

北緯40度シンボル塔

人が近づくとセンターが働いて地球儀がゆっくりと回るようになっている。
動力はソーラー発電による電気だというが、なんとも無駄な仕掛けだと思った。
観光地には、こういうどうでもいいつまらないものが設置されていたりする。

なんか取って付けたような砲身が設置されていた。

黒崎御台場(砲台場)跡

ここ黒崎は正保2年(1645年)のころは小本村に属し黒崎といい、沿岸警備の船遠見番所(ふなとおみばんしょ)が南部藩によって設けられ、そののち元禄12年(1699年)には普代村に属し、普代崎と称するようになった。
のちに南部藩ではこの場所に台場(海岸の砲台場)を築き、黒崎御台場と称した。
幕末の南部家文書「御分国海辺全図」によると、領内の太平洋岸沿いと津軽海峡、そして内陸陸奥湾側に至る広い海岸要所に遠見番所10箇所以上と砲台場33箇所以上を配置したとしている。
この御台場には土塁をめぐらし、砲台場、火薬庫、詰め所を配置して打ち方と手伝い人6名を常置させていた。
明治元年(1868年)の戊辰戦争では、幕軍に属していた南部藩は北航してくる官軍艦船をこの場所から狙い打ちにしていたという。(普代村史より転載)

平成2年3月 村政施行百周年記念事業として建立
普代村村長 岩澤義雄

黒崎灯台

黒崎の突端にあるこじんまりとした灯台。
樹木が茂って景色は見えない。

アンモ浦展望台へと続く道。
国民宿舎くろさき荘の裏側から展望台へと下りる道がある。

アンモ浦展望台からの眺め。
展望台から南側を撮影した。
断崖絶壁が凄く迫力がある。

アンモ浦の滝

断崖から流れ落ちる滝。

黒崎から北山崎への遊歩道の入口

国民宿舎入口の角にあるトイレの裏手にある。
古い標識が設置されている。

 

黒崎オートキャンプ場

所在地  下閉伊郡普代村下村地内
電話番号 0194-35-2114

開設期間 5月1日~10月31日
料金   オート1区画2,000円、フリーサイト1人300円

トイレ(水洗)、炊事場、ファイヤサークルあり、ごみ持ち帰り
近くに日帰り入浴可能な国民宿舎あり(大人420円)

リンク 岩手観光ポータルサイト いわての旅(黒崎オートキャンプ場&黒崎キャンプ場)

14:20 黒崎オートキャンプ場

写真は駐車場の前にある管理棟。
開設期間中だが、閉鎖されていて人気はない。
受付はあとにして先にテントを張ることにした。

駐車場に近いところがオート区画、奥がフリーとなっている。

赤松や広葉樹が茂る林間のサイト。
夏場は日差しが遮られて涼しそう。
地面は土から草地など。若干傾斜があって平らなところは意外に少ない。

ファイヤーサークル近くのまっ平らなところにテントを設営した。
料金はフリーだと300円、夕方になると料金徴収しに管理人さんがやって来た。

炊事場

新たに整備し直された綺麗な炊事場
周囲にはタイルが敷かれていて雨の日でも地面が泥濘むことがない。

水道の数がたくさんあって、調理スペースもある。

トイレ

簡易水洗、管理人さんは料金の徴収が済むと、スイッチを入れて明かりを点けっぱなしにしてくれた。
周辺には熊がいるということで、熊よけのためらしい。

国民宿舎くろさき荘
日帰入浴 420円(13:00~21:00)

リンク 公営国民宿舎(くろさき荘)

 

テントの中の荷物を片付けると、早速国民宿舎にやって来た。
フリーサイトの奥の方に国民宿舎へと続く近道あり。
フロントで料金を払い渡り廊下を通って風呂場にゆく。
浴室の海側はガラス張りになっていて見晴らし良好だった。
景色を見ながらのんびりと湯船に浸かった。
やっぱり疲れをとるにはお風呂に入るに限る。
ポカポカと体が温まって、疲れが吹き飛んだ。

10月14日 食事

朝 白麦ごはん、レトルトカレー、みそ汁
昼 レーズンパン×2本、食パン6枚
夕 うどん(具だくさん)

みちのく潮風トレイル【8日目】~玉川キャンプ場から黒崎まで~
こんにちは。からあげです。 今日は車道歩きが多い一日だった。 歩道のない国道を歩くのはかなり辛かった。 四国遍路で慣れたとはいえ、ヒヤヒヤドキドキの連続。 それでもなんとか乗り切った。 途中、何度もコースを間違えてしまい、無理に戻ろうとした

 

2016日10月15日(9日目)

行程

黒崎から弁天崎まで   

歩行距離 15.6km 
行動時間 8時間30分(休憩時間を含む)
ねぐら  弁天崎灯台

04:20 起床 晴れ 

夜間、キャンプ場横の道路を車が数台通ったほかは交通はなし。
朝方になると漁船のエンジン音が聞こえてきた。

06:20 出発

荷物をまとめると、キャンプ場を後にする。
今朝は夜露が下りずにテントが濡れなかったのが嬉しい。

トイレの裏側から遊歩道に入る。
遊歩道はフラットで歩きやすいのだが、若干海岸から離れているので、景色はあまり見えない。

遊歩道の標識

クマに齧られてボロボロになっている。
道中の標識は矢印部分が酷く傷んでいて、ほとんど距離が分からなかった。

北山崎までの遊歩道は等高線に平行になるように付けられている。
そのため、歩けども歩けども全然距離が進まない。

ところどころ休憩用のベンチが設置されている。
こまめに休んで疲れ過ぎないようにする。

遊歩道の樹木の切れ間から見えた広大な畑。

珍しく谷沿いを下ってゆく。

遊歩道の脇で人工物を発見した!
コンクリート製の貯水槽のような施設だった。

遊歩道の道幅が広がり、よく整備されているところまでくると、北山崎(きたやまざき)は近い。

北山崎第3展望台

ビジターセンター分岐より、150mほど歩いたところにある展望台。
新しい施設だ。

第3展望台からの眺め

見晴らしはいいのだが、海岸線がいまいちよく見えない。

 

北山崎ビジターセンター

所在地  下閉伊郡田野畑村北山129-10
電話番号 0194-33-3248
営業時間 時間 9:00~17:00(冬季は16:00まで)
休館日  年末年始

トイレ、休憩所、広大な芝生あり

リンク 北山崎ビジターセンターHP

09:45 北山崎ビジターセンター

広場の高い場所にあるビジターセンター。
車でアクセスが容易にできるので、観光客が大勢来ていて凄く賑やか。
トレイルマップは北山崎手前で切れていて、12万分の1のツーリングマップルのコピーを持っているだけだった。
それだとだいたいの現在位置しか分からない。
そこで情報収集のため、ビジターセンターを覗くことにした。

ビジターセンターから広場を見下ろす。
広大な芝生の広場。一番奥が第1展望台。

ビジターセンターで北山崎と鵜の巣断崖の25,000分の1の地図を手に入れた。
震災前の情報だが、使用上は大した問題はなかった。
折りたたむとコンパクトになる地図で、ウエストバッグの出し入れがしやすかった。

ビジターセンターの建物に隣接しているのがトイレ。
綺麗な水洗トイレだった。
(夜間使用可能かどうかは不明。)

トイレの横に大きな庇あり。
雨の日は非常に嬉しい。うしし。

駐車場の手前にある売店やレストラン

用事はないので、調査はせず。

第1展望台

ビジターセンター前の1番近い展望台。
広いウッドデッキとなっている。

第1展望台からの眺め

樹木に隠れて岬の先っぽが見えるのみ。若干迫力に欠ける。

下の方には穴の空いた岩が見える。

第2展望台

第1展望台の奥から長い階段を下りてやって来た。
樹木が成長して若干視界の妨げになっている。

第二展望台からの景色。
樹木の間からズームで撮影した。

第2展望台手前の分岐から海岸に下りる。
波打ち際まで510の階段がある。
傾斜が急なので、転ばないように注意して下りていった。

ようやく海岸まで下りたところ。
下から見る景色は凄く迫力がある。
上のビジターセンターからはかなり遠いので、観光客はほとんど来ない。

入り組んだところに海水が出入りするので、潮流れが非常に早い。
落ちたらすぐ沖まで流されてしまいそう。

海岸から谷筋を登り返す。

谷を離れると強烈な登りが待っていた。
どこまでも続く階段に体力を吸い取られた。
途中で何度も休み休みして登っていった。
本日一番キツイところだった。

下りの場合は要注意。ここで転んだら大変なことになる。

再び登り返して上まで登ってきた。
黒崎から北山崎までの区間と打って変わって、北山崎より南はアップダウンが激しい。
このあと弁天崎(べんてんさき)まで続く。

熊出没注意の看板

黒崎から北山崎までの間の遊歩道でツキノワグマと遭遇した。
距離は30m、茂みの中でこちらの様子をじっと見ていたようで、いきなり脱兎のごとく走って逃げた。
この時、熊よけの鈴は付けていない。
首から笛を下げていただけだった。

フラットな区間が続くとホッとする。
しかし、それも束の間、突然急登が現れたりする。
気を引き締めて歩いた。

12:25 北山浜

付近に民家がないので、防潮堤が建設されておらず、雰囲気の良い海岸が残っている。
向こうの方に地盤沈下して海水で洗われている桟橋が見える。

海岸付近は、砂と砂利が混ざったような浜となっている。
せっかくなので、景色が良くて日当たりの良いここで休むことにした。
強烈なアップダウンのため、今日は全然距離が伸びない。
焦っても無駄なので、ゆっくり体を休める。

北山浜からトンネルを通って南に進む。

トンネルを抜けて奥に向かって歩いているところ。
振り返ってトンネルを撮影した。
付近にはハマギクが咲き乱れていた。

岩場にかかるゴム製ハシゴ。
鉄ハシゴに比べて剛性が低く、キチッと岩に留められているわけではないので、独特の動きに注意して滑らないように登り降りする。

ゴム製ハシゴは、このようなゴムのパーツで留められている。
パーツの固定は、1つに付きスレンレス製のボルト2本。

ハシゴを下りた先にある素掘りトンネル。
中は真っ暗なので、ライトが必要。

トンネル内部のようす

ちょっとだけ洞窟探検をしている気分を味わえる。
波の音は遠くなって自分の歩く足音しか聞こえなくなる。

トンネルを抜けると再び前方に第2の素掘りトンネルが現れる。

2つ目のトンネルの入口

2つ目のトンネルを抜けるとポケットビーチが現れた!
天気が良い日に泊まると面白そうだ。
流木がそこらじゅうにあるので、焚き火もできる。

アルミのハシゴが設置されている岩場。
トンネルを抜けたり、ハシゴを登り降りしたりして、非常に楽しい区間。
みちのく潮風トレイルで一番楽しいところだ。

ポケットビーチを見下ろす。
ようやく上まで登ってホッとしたところ。
下に見える海の青さに吸い込まれそうになる。

13:45 机浜番屋群(つくえはまばんやぐん)

変化に富んだ北山浜から机浜の間はあっと言う間だった。
すでにバテてはいたが、この区間だけは疲れを感じなかった。
そして目の前に番屋群が現れると、どっと疲れが吹き出した。

ふれあい番屋

中には資料の展示や特産品コーナーが設けられている。
番屋前に重たいザックを下ろして背伸びする。
なんだか生き返った気がする。

展示コーナーの様子

番屋群の歴史が解説されていた。
ほかには観光ガイドやなすびのサイン色紙などがあった。
100円でカット昆布詰め放題があったので、年甲斐もなく真剣にやった。

外に水道あり。
本日の泊まりの予定は、明戸キャンプ場手前の弁天崎辺りにしようと決めていた。
これより先に水場はないので、水筒を満タンにしておいた。

スレートの壁の番屋

建物の外観より、周りに置いてある薪置き場が気になった。

薪は壁に沿って上手いこと積み上げられている。
雨よけのシートとその固定方法に目が釘付け。
なるほど、こうすれば簡単で安く巻き置き場が作れるのか。

跳ねつるべ式井戸

復元されたもの。
これだと簡単に水を汲むことができる。

すのこの下に深い穴があったが、実際に水を汲めるかは不明。

番屋群全景

平屋造りの番屋が軒を連ねている。
海岸はまだ工事中で、テトラポットの設置作業が行われていた。

電柱は昔懐かしい木製。
北海道には未だ現役の木製電柱がある。

弁天崎へは、トンネル手前の遊歩道を登ってゆく。

これまた急な登りでキツかった。
最後の力を振り絞る。

弁天崎手前から矢越岬方面を写す。
なかなかナイスな景色。

弁天崎(べんてんさき)灯台

トイレ、水場、東屋なし。
灯台周辺に芝生の広場あり。

断崖の上にあって景色は抜群。
周囲は崖なので、転落しないように注意。

14:45 弁天崎灯台

急な坂を登って見晴らしの素晴らしい弁天崎灯台にやってきた。
見た瞬間ここで泊まることに決めた。
しばらく天気が良いため、風雨の心配は全くなし。

弁天崎から南側を写す。

明日向かう鵜の巣断崖方面を写す。

灯台の裏側の芝生のところでテントを張った。
崖が近いので、不用意に周囲を歩かないように気をつけた。

早い時間で日が照っていたので、久しぶりに寝袋を干す。

夕暮れを迎え周囲は赤く染まった。

夜間は月の光が眩しいくらい輝いていた。
風はほとんどなく過ごしやすい夜だった。
テント設営から撤収まで、灯台にやって来る人はいなくて、伸び伸び過ごすことができた。

10月15日食事

朝 ???
昼 ???
夕 生ラーメン

みちのく潮風トレイル【9日目】~黒崎から弁天崎~
こんにちは。からあげです。 先ほどスマホがSIMカードを認識しなくなり、悪戦苦闘してなんとか復活したところ。 ちょっとカットが悪くて端子の当たり具合が悪いと思う。 当たりを変えるために角をカットしたら読み込んでくれた。 ホット一息。 ブログ

 

ようやく歩き旅に体が慣れてリズムが出てきたところ。
北山崎周辺は、変化に富むコースで景色がよく一番楽しい区間だった。
未開通区間だったが、トレイルマップなしでだいたい歩けたので、この先も大丈夫だろうと調子にのってしまった。
しかし、そんなには甘くはなかったこのトレイル。
この先どんな試練が待ち受けているのか、まだこの時おっさんは知らない。

 

つづく

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