こんにちは。からあげです。
PCTを歩くためアメリカに旅立ってから1年が経過した。去年は緊張感と希望で満ち溢れていたのに、今年は何をすることもなく、ただ惰性でダラダラと過ごしている。時間が勿体ないと思いつつも、今の私には休養が必要な気がする。特にリアルタイム更新のブログから離れて、自分のペースで過ごす時間が。
今シーズンは、これまでのゆっくりした歩き旅からスピードのある自転車旅に移行しようとしているところ。ぶっつけ本番、成り行き任せでやるのもいいが、それなりに考えて計画的に物事を進めるのも重要だと感じる。海外に出ると、身の危険の他に、たくさんのお金が必要となる。そう活動費の捻出が国内以上に大変となる。しかし、それを乗り越えてこその探検家だ。自分の頭で考えて地道に活動を続けてゆこう。
休養日と移動日 PCT97日目 7月31日(月)~PCT99日目 8月2日(水)
Mammoth Lakes~Reno~Sacrament~Medford バスで移動
町へ下りてきた夜は図書館の軒下で眠った。危険防止のため耳栓なしで眠ったためほとんど眠れず。
朝方、人が近くを通り過ぎたが、何事も問題は起きなかった。人目に付かない場所だったためもう少しゆっくりしていたかったが、この日もできれば同じ場所で泊まりたかったため、6時には起床して後片付けをして隣の公園のピクニックテーブルに移動した。
ここMammoth Lakesの町で、長かったSierraも終ったが、バウンスボックスや食料品の発送、不要になったベアキャニスターを日本に送り返す重要な仕事がある。ゆっくりはしていられない。
営業開始の8時ちょうどにPost Officeにやってきて作業を開始する。
さあ、ちゃっちゃと片付けてしまおうか。
ベアキャニスター、薄手長袖シャツ、折りたたみ傘、予備SIMカード、JMTMap、2mmロープ、記入したメモ帳4冊、レシート、浄水器(Sawyer Mini)、ガスストーブ(MSR Micro Rocket Stove)、SOTO ウインドマスター4本ゴトク、Snowpeakクッカー、アルコールストーブ一式、Micro-A USBケーブル、ミニナイフ、予備メガネ
荷物の重量はベアキャニスター(1.1kg)込みで約2.5kg
ベアキャニスターの中に全ての不要品を入れてフタをロックし、フタの周りに透明テープを貼って発送した。重量を増やさず余計な手間も省いた。ベアキャニスターは丈夫なため、そのまま送っても破損するおそれはなし。
7月31日午前中に発送すると、8月6日に愛知の実家に到着した。およそ1週間。
空港の税関で封を切られて中身がチェックされていたのみ、荷物の傷みは全くなかった。
Priority Mail Flat Rate Small($7.15)でCascade LocksのMail Drops(Ale House)へ発送した。
ワセリンが入らなかったので処分することにした。町でも使用しない不要品は日本に送り、大幅な軽量化を図った。これによりバウンスボックスの輸送コストを$6.45削減することに成功した。最後はバウンスボックスの中身も全て持って歩く必要があるため、できるだけ荷物を減らしたかった。国境を越えてCanadaに荷物を送るのは、たくさんの時間と送料がかかるため、予定がハッキリしないハイカーにはメリットが少ない。
主食は袋ラーメンのマルチャンで袋入りのツナとオートミールが付く。行動食はミックスナッツとパワーバーとチョコレート。お菓子のCombosは嵩張るので送らずに食べてしまうことにした。
Oregonでの食料の発送は、Crater Lake Mazama Village1箇所のみ。他はトレイル沿いのリゾートや町で補給してゆく。
スマホを弄りながら、夜が更けるのを待っていた。そう、本日も図書館の軒下で野宿するためだ。
Mammoth LakesからMedfordまで移動
Mammoth Lakes~Reno Eastern Sierra Transit $46
Reno~Sacramento~Medford Greyhound $111
参考リンク
Eastern Sierra Transit
Greyhound
Greyhoundの予約はRenoに向かう途中のバス車内で行った。始め専用アプリで予約を行おうとしたが、なぜかカード決済出来なかったため、通常のHPから予約を行った。
野宿者の旅行者は印刷できないため、有人の窓口でチケットを印刷してもらう必要がある。スマホの予約画面を提示して予約番号が伝えるとすぐにプリントアウトしてくれる。
乗っている最中、耳栓をしていたので多少は眠ることができたが、サスペンションが悪くて振動がかなり伝わってきて脳みそがシェイクされて不快だった。後ろよりも前の方に乗った方が多少は快適な気がした。
ここから歩いて途中で補給を済ませてヒッチポイントに向かう。
Ashland(1716.2mile)からCrator Lake Mazama Village(1818.4mile)まで PCT99日目 8月2日(水)~PCT102日目 8月5日(土)
行程 102.2mile
8月2日 1716.2mile~1735mile 18.8mile
8月3日 1735mile~1763mile 28mile
8月4日 1763mile~1791mile 28mile
8月5日 1791mile~1818.4mile 27.4mile
Jack in the boxで旨とは言えないハンバーガーを食べると、南側のInterstate5のインターチェンジに移動してヒッチハイクを開始した。前回はかなりの苦戦を強いられたが、なんと今回は20分ほどであっさりと成功してしまった。しかもダイレクト!
載せてくれたのはイスラム系の30代と思われる男性で、南Californiaに住む妻子のところに行く途中だった。ボロボロの外観の30年以上は経つと思われるステーションワゴンは、内装も外装もボロボロで、ドア内蔵のスピーカーが外れてコードでぶら下がっている状態だった。ダッシュボードには昔の小動物の化石が置いてあったり、ルームミラーにはハワイの花縄が下げてあったりして、格好のネタが随所にあった。是非とも写真を撮らせて欲しかったが、興味本位で撮るのは非常に失礼な気がして思い止まった。日本では見ることができないようなボロボロの車だった。いやあ勿体ないことをした。頼めば快く撮らせてくれたことだろう。
9時前にPCT入口のCallahans Lodge付近で下ろしてもらい、しばらくはInterstate5と平行に延びる旧道を歩いた。
9時30分ころ、Trailに復帰し歩き始めた。すると強烈な日ざしに早くもダウン寸前になった。樹林帯から抜け出て日向に出ると、日差しで肌がピリピリしてくる。一気に800mile以上も北上してきたところなのに、高度が下がったため、かえって暑くなってしまった。幸いスキップ作戦は成功して時間の余裕がかなり出てきたので、休憩しつつのんびりと歩いていった。
Pilot Rocks
ぽっこりと飛び出た岩山は非常に良い目印となっている。そのためか、Pilot Rocksと名付けられている。
夜行バスでの寝不足もあって、あまりの暑さにおっさんダウン。昼食後、木陰で1時間も昼寝をした。久しぶりの昼寝で非常に気持ちよかった。
Oregonから再び北向きに戻り、ようやく体内コンパスの違和感がなくなった。一度反対方向に歩いてタイムロスをしたことがあったが、その後気をつけていたため同じ失敗を繰り返すことはなかった。
19時40分ころ、1735mile付近の水場を過ぎた辺りでカウボーイキャンプ。
まだ日中に暑さが残っていたため、そのまま眠ることにした。
昨晩は夜遅くなって蚊が多くなったため、ツエルトを設営して眠った。そのお陰で朝まで熟睡することができた。
8月3日、Trail復帰2日目、夜行バスの疲れが抜けて体調が回復し始めた。
本日も日中の暑さが予想されるため、涼しいうちに距離を稼いでしまうことにした。
水が豊富だったSierraからOregonに来ると状況が一変し、水の入手が大変になった。California南部の乾燥地帯ほどではないものの、20mile近く水場がない区間があったりして、水場の情報収集の入手が重要になっていた。
South Boundのハイカーが道標に挟んでおいてくれた水場のメモ。
PCTAのWater Reportの他にこうしたメモも重要な情報源となる。特にSouth Bounderの情報は正確で非常に役立つ。
1761mile地点の水場の分岐
ここからちょっと寄り道したところにSouth Brown Mountain Shelterという避難小屋あり。
小屋の近くに貯水槽から手動ポンプで汲み上げる水場があるのだが、あいにくポンプが壊れているところだった。PCTAの情報で事前に分かっていたので、道標のメモの意味がハッキリと分かった。
South Brown Mountain Shelter(避難小屋)
小さなログハウスで入口には扉がなく厚手のビニールが下がっているだけだった。外のピクニックテーブルには3人のハイカーが楽しそうに夕食をとっていた。眼の前にいる彼らとの距離を感じた。私は彼らを横目に淡々と小屋のチェックをする。
壁際には寝袋を敷いて眠れそうな幅広のベンチが設置され、中央の土間には薪ストーブが設置されていた。トタン板の屋根は雨漏りはしていないようで、快適に眠ることができそうだった。
これが例の手動ポンプ
コンクリートの下に雨水を貯める貯水槽があり、手動のポンプで汲み出す仕組み。
なぜかポンプのハンドルがなくなっていた。これでは水を汲み出すことができない。事前に水を汲めないことが分かっていたので、多めに水を持っていたので全く問題なし。
メモに書いてあった道路の水場は水溜り程度だった。水が流れていなくて水質が悪そうだった。
夕食後、涼しくなるとようやく調子が出てきた。日没までの時間いっぱいまで歩いて樹林帯の中でツエルトを張った。昨日の失敗から、暑くて面倒でもツエルトを張って眠った。
Brown Mountainの火山地形とMount McLoughin。
赤茶色のTrailの両脇に軽石のようなグレーの岩が転がっている面白い地形が続いていた。
枯れ木の上の謎の植物
水場の木陰でシートを敷いて休憩しながら、汲みたての冷たい水を腹いっぱい飲む。
重たい水を持ち歩きたくないため、水をがぶ飲みしえ体の細胞の隅々まで水分を行き渡らせる。
森のなかの貴重な水場
水場周辺には蚊が待ち構えていて、水を汲もうとすると一斉に群がってくる。
必要な水だけ汲んでさっさと退散する。
森の中を黙々と歩くおっさん。持っていた杖はMinaret Creekに置いてきたため、Oregonからは手ぶらで歩いていた。Oregonはフラットで距離が稼げるところなのに距離が伸び悩んでいた。
杖がないためだと気がついたのは、もう少し経ってからのことだった。
20時過ぎ、キャンプサイトを通り掛かった時、ちょうど大便を催したので、ついでにここでキャンプすることにした。
既存のキャンプサイトはフラットで枝や石がなく手を加えることなく眠ることができて非常に快適。私はこうしたサイトに泊まるより、自分で開拓した場所に泊まる方が圧倒的に多かった。(快適なキャンプサイトは人気が高く早い時間に埋まることが多いため。)
どこまでも続く樹海
水場に住むカエル
昼過ぎ、食事を終えて山火事跡を歩いていると、前方に山火事の煙が立ち上っているのを発見した。South Boundのハイカーとすれ違うと、この先Trailは閉鎖となっていて迂回することになると教えてくれた。
バスでMedfordまで移動する時、PCTAの山火事情報を確認していたのだが、まだこの時はCrater Lake周辺の山火事情報は掲載されていなかった。
以前、南Californiaで遠くの山火事を見たことがあったが、これほど近いのは初めてだった。
空は煙で曇っていて微かにきな臭い匂いが漂い、パラパラと細かい灰が降ってきていた。ただ臭いだけで、息苦しさは全く感じなかった。
前方だけではなく、PCTの周辺からも山火事の煙が立ち上っていた。
燃え広がっていったのか、それとも同時多発的に発生したのか、詳細は不明。
過去の山火事から回復する前に、再び山火事で燃えようとしている森。
山火事からかなりの年月が経過しているようだったが、背の低い草木が生えているのみだった。
1813mile地点、Pumice Flat trail junctionでPCT閉鎖。これよりPumice Flat trailからHwy62に出て道路を歩きMazama Villageに向かう。
ピンクテープで封鎖され、道標に閉鎖についての貼り紙が貼られていた。今になって思うと、後戻りせずに迂回するだけで済んだのは非常にラッキーだった。
Pumice Flat trailはハッキリとした踏み跡が付いていたため、道に迷うことなくHwy62に出ることができた。
道路に出るとTrailの入口に貼り紙がしてあって、迂回路のPumice Flat trailは閉鎖となっていた。そのため、South Bounderは長い道路歩きを強いられていた。その後、山火事の拡大とともにNorth Bounderも大きく迂回する必要が出たのかもしれない。
Hwy62を歩く。空は山火事の煙で薄暗い。
Crater Lake Mazama Village 1818.4mile地点 0.8mile徒歩
Oregon南部の人気スポットCrater Lake近くにあるリゾート。無料で荷物受け取りができるほか、コンビニで必要最低限の補給をすることができる。
有料Wi-Fiあり、AT&T圏外、ハイカーボックス・AC電源・水場・コインランドリーあり。
Mazama Village Store全景
キャンプ受付は店前の小さな小屋で行っている。(安いハイカーサイトがあるらしい。)
店前の休憩スペース
こ汚いハイカーたちが休憩している。ピクニックテーブルと水場がある。
掲示板に貼られたTrail閉鎖情報
Crater Lake周辺には湖畔の崖ぷちを通るRim Trailと湖から離れた場所を通るPCTがあるのだが、両方とも閉鎖となっていた。さらにCrater Lake西側の道路が閉鎖されていた。通行可能なのは湖東側の道路のみとなっていた。
Crater Lakeは風光明媚な場所でハイカーの多くは正規のPCTではなくRim Trailを歩く。Crater Lakeを間近で見ながら歩くこともできるし、PCTよりも距離が短く絶好のショートカットポイントとなっているからだ。
当時はTrailは山火事で閉鎖となっているため、唯一の迂回路の湖東側の道路を歩くことになった。
私が歩いた迂回ルート。Mazama VillageからPCT復帰まで湖東側の道路を歩いた。
これがPCTのルート。およそ20mile。Rim Trailは湖東側の道路よりさらに内側を通る。
店前の水場では美味しい湧き水を汲める。浄水器に通さなくて良いため非常に人気がある。車でやって来た人もポリタンクに汲んでいた。
店内のようす
品揃えはYogiのHandbookが言うほど悪くはなく価格も良心的だった。マルチャンやパワーバーなど最低限の食料は手に入る。ただ、在庫は少なくハイカーが集中するとすぐに売れ切れになるおそれがあるため、事前にMailで送っておいた方が無難だ。荷物受け取り料は無料。
荷物受け取りの際、パスポートを提示し自分の名前を言ってアルファベット順の名簿の中から探してもらうことになるのだが、なぜか私の名前がなくて焦った。
Mammoth LakesのPost OfficeからMazama Village宛にPriority Mailで送る時、登録先になくて手続に時間がかかったが、郵便局員さんが力技で解決してくれたのだった。その件で届いていないのではないかとドキッとさせられた。
単にLast Nameで登録されていただけだった。
お店でお菓子やジュース、アイスクリーム、出来合いのバーガーなどを購入して約20$支払った。店の中に電子レンジが置いてあって冷たいバーガーを温めることができた。荷物をタダで受け取ってくれたため、会計は現金で済ましてお釣りをレジのお姉さんにあげた。
店前で寛ぐハイカー
カメラを向けると必ずポーズをとるのがアメリカ人。私が物珍しそうにあちことを写真に撮っていると、「おいおい俺も撮ってくれよ!」と言ってきた。彼とは翌日PCTで再会することになる。
コインランドリーの部屋にはハイカーボックスとAC電源あり
次のCrescent Lakeまで87mile、3.5日分の食料を持つことにした。余分な食料、Trailで拾ったチタンスプーンと虫よけのヘッドネットを投入した。代わりにパワーバー数本もらう。
このあと、しつこい蚊に悩まされることになり、ヘッドネットを処分したことをかなり後悔した。
Crator Lake Mazama Village(1818.4mile)からCrescent Lake(1905.4mile)まで PCT102日目 8月5日(土)~PCT106日目 8月9日(水)
8月6日 山火事迂回 ???~1838mile ???
8月7日 1838mile~1867mile 29mile
8月8日 1867mile~1892mile 25mile
8月9日 1892mile~1905mile 13mile
Mazama Villageでは安くキャンプできて、しかも翌日車で送ってくれる人がいるということだったが、全区間を自分の足で歩きたかった私は親切な申し出を辞退して出発した。別のTrail Angelが道路を歩いている時に水を持って来てくれるというので、これだけはありがたく受けることにした。Trailを離れると水場の情報がないため、どれくらいの水を持って歩けばいいのか分からない。Crater Lakeで汲めそうな気もしたが、実は崖を下りた窪地に湖があり歩いて下りてゆくのは危険な場所だった。
この日は、Mazama Villageから1mileほど歩いた道路脇のピクニックテーブルのところでキャンプした。ちょうどそばにCreekがあって水を汲めたからだ。ここに来る少し前に、車で通りがかった金髪の女性に「送ってゆくよ!」と言われた時は、正直気持ちが揺らいだ。しかし、自力踏破にこだわる私は丁重に断った。安易な方をとるとあとで必ず後悔すると思ったからだ。
Mazama Villageで食べてきたので、軽いもので食事を済ませて眠りに就いた。
水の消費を抑えるため、出発前に朝食を済ませて、Creekで水を汲んで出発した。
夜間は交通量はほとんどなく静かに眠ることができた。
歩き始めてすぐに道路歩きに飽きる。
面白い標識。言いたいことは分かる。
どこまでも真っ直ぐな道
Trailが閉鎖されているためか、週末に関わらず通行する車両は少ない気がした。昨日、水を持って行ってあげると言ってくれたTrail Angelが通りがかったが、水に余裕があったため断った。
道路歩きはアスファルトが硬く脚にダメージが蓄積し、路肩が狭いため車がやって来ると道路脇に避ける必要があるため、それほど楽ではなかった。殺風景で歩いていて何にも楽しくはなく、早く歩いてTrailに戻りたいと、そんなことばかり思っていた。
Crater Lake周辺は山火事の影響で曇ったようになっていた。かと言ってTrail周辺から煙が上がっているわけではなく、正直Trail閉鎖の理由が分からなかった。
道路脇にはあちこち水が出ているところがあり、水に困ることはなかった。ただ、次どこで汲めるか分からないため、多めに水を持つ必要があった。こうした水を汲めるところで食事を済ませて腹いっぱい水を飲んで、少しでも水を減らそうとしていた。
Crater Lakeのようす
山火事の影響で白く霞んでいるCrater Lake。本来はエメラルドグリーンに見える綺麗な湖なので非常に残念だった。道路は崖っぷちから少し離れているため、こうした景色が見える場所は展望台のあるところだけに限られる。
せっかく楽しみにしていたCrater Lakeだったが、道路を歩くはめになって辛かった。後から続々とハイカーが追いついてくるかと思いきや、誰一人私を追ってくるハイカーはいなかった。途中でハイカーを満載したピックアップトラックが走り去ってゆく時、ハイカーたちの歓声が聞こえてきた。
湖の崖っぷちに沿って延びる道路は、歩いても歩いてもなかなか距離が進まない。午後から雲行きが怪しくなってきて、とうとう3時ころから雷が鳴り始めた。雨雲がちょうど風上側にあって逃げられないと悟った私はどこでやり過ごそうかと、そればかり考えていたのだった。湖の周囲は高くなっていて雷が落ちやすい地形となっていた。少しでも早く通過しようと時々走った。
17時半過ぎ、雷雨の中ようやくTrailに復帰し、一時森の中に避難した。下に長袖シャツを着てからポンチョを被った状態でうずくまっていた。以前、Tシャツの上からポンチョを着て凍る経験をして学習した。1時間ほどじっとしていると雲が遠ざかっていったので再び歩き始めた。
19時30分ころ 1938mile地点、山陰の樹林帯の中でツエルトを張った。長い道路歩きで脚が痛くなり、雨に濡れて体が冷えていた。しつこく雨に降られて消耗した私は早めのキャンプを決断をした。ツエルト内で食事を作って温かいマルチャンで体を温めた。
朝起きると雨は止んでいた。濡れたままのツエルトを畳んで出発すると、一張りのテントを発見した。道路歩きをスキップしたハイカーはとっくに遥か前方に行っている筈で、テントの主は私同様に道路を歩いたようだった。まだ寝ているようだったので、静かに通り過ぎた。
Hwyを横切る。路面はまだ濡れたままだ。
Hwyを過ぎたところにウォーターキャッシュがあった。Trailが閉鎖になって長い道路歩きを強いられているハイカーのために、最近になって整備されたようだった。ほとんどのボトルに水が入っていた。
ここで昨日Mazama Villageで会ったハイカーと再会する。ウォーターキャッシュの写真を撮ろうとすると割り込んできた。彼とはコレっきりだった。
Diamond LakeのルートをゆくとTrail Angel宅があるらしいのだが、なんと20mileもの先にある。昨日、さんざん遠回りして歩いたため、寄り道する気は全く起きなかった。
尖った岩山Mount Thieisenが見えてきた。上部は岩だらのむき出しの山だった。
Mount Thieisenを見上げる。非常に興味を惹かれる山だった。
雄大な景色を満喫しつつも、山の向こうから湧き出てくる雲が気になって仕方なかった。
Mount Thieisenの貴重な水場、次は16mile先となる。到着は明日になるため、多めに水を汲んでおく。
Mount Thieisenのおいしい水をお腹いっぱいに飲んでいるところ。もう当分水はいらないと思うほどにお腹に流し込む。
Oregon・WashingtonのPCT最高点7569ft(約2,300m)
この時、雷が鳴り始め雨が降り始めたため気が気ではなかった。私の願いが通じたのか、しばらくすると天気は急激に回復して雷雨の心配はなくなった。
この頃、South Boundで歩くハイカー、SOBOの姿を度々見かけるようになった。身なりは汚く装備が極端に軽量化されているためすぐにスルーハイカーだと分かる。パッと見たところ、どのハイカーもバックパックの容量が30L以下、嵩張るのは夏用シュラフと薄手の防寒着のみで、荷物のほとんどが水と食料という感じだった。SOBOはNoth Boundに較べて難易度が高く熟練したハイカーが多い。身なりを見るだけでも勉強になる。
この日、19時30分ころ、1867mile付近の鞍部でツエルトを設営した。蚊が多くてすぐに中に逃げ込んだ。
Mazama Villageを出て4日目、出発早々に貴重な水場、1870mile地点のSix Horse Springsにやって来た。尾根から10分ほど下ったところに水が湧き出ている。
バックパックを置いて水筒だけ持って歩いて行った。いくつかの水筒をビニール袋に入れて運んだのだが、両手を使えるように軽量なサブザックが欲しいと思った。急斜面だと両手を使って歩きたい場面がある。
Six Horse Springsのようす
湧き出る水は少なく上部の水溜りは淀んで蚊の死骸がたくさん浮かんでいた。標識のメモ書きにはさらに下ると書いてあった。
さらに下った場所に水量は少ないが綺麗な水が湧き出ていた。葉っぱを石で留めて汲みやすいようにしていた。こうしておくとペットボトルに直接汲める。アメリカで得た使えるテクニックの一つだった。
未舗装道路と交差するWindigo PassでTrail Majicと遭遇する。もてなしてくれたのは若い女性二人組みで過去にPCTをスルーハイクしたことがあるそうな。町で冷たいジュースや新鮮なフルーツを買って駆けつけてくれた。好意に甘えてスイカを貪り食べる。
リンゴも頂く。
Trail脇の箱の中から偏光グラスをもらう。近々皆既日食が見られるようで、優しいTrail Angelが置いてくれたものだった。のちにCascade Locksでこのグラスを使って皆既日食を見ることになった。
この日も山火事の煙で霞がかっていた。立ち上る煙は見えず山火事の場所は分からず。
見通しの良い場所でメールチェックすると、GoogleAdSenseからポリシー違反があるからすぐに是正するようにとのメッセージが届いていた。違反の指摘が漠然としていてハッキリと特定はできなかったが、だいたいの場所は分かったため訂正して報告しておいた。いつ広告を停止されてもおかしくない深刻な状況で、山深い森のなかで冷や汗を流しながら作業したのだった。この作業でせっかくのハイキングが台無しになった。修正に時間がかかり過ぎて距離を歩けず。
Summit Lake
周辺には道路が繋がっていてキャンパーが数多く入り込んでいた。私は蚊に追われるように歩いていてストレスが溜まっていた。
Summit Lakeの湖畔で休憩する。湖に下りると、なぜか蚊が全くいなくなる。非常に不思議だった。この後、湖から離れると再び蚊に付きまとわれて鬱陶しい思いをした。
19時30分ころ、1892mile付近の窪地でツエルトを設営する。雷雨を警戒してのことだった。
雷は18時過ぎから散発的にゴロゴロなっていて20時30分ころには収まった。
ツエルトの中に逃げ込むと、中でサコッシュやバックパックの修理を行う。糸の消費量が多くどんどんと残りの糸が減っていった。
5時30分起床、6時出発。本日5日目、食料補給のため、Crescent Lakeの町に下りる。
朝から蚊が多く気が狂いそうになる。お腹が空いたので、蚊の大群に囲まれたなか朝食にする。追い払っても追い払っても食いつかれ全然落ち着かない。急いでマルチャンをお腹にかき込んで歩き始めた。
補給場所はCrescent Lakeのほか、Odell Lake湖畔にShelter Cove Resortがあるのだが、YogiのPCTHandbookによると、Idahoan(マッシュポテト)1袋が$4もするという。通常$1.5も出せば買える代物だ。アメリカ人のハイカーは、食料品をメールで送るらしい。受け取り料無料だが、UPSまたはFedExオンリーだった。Mammoth LakesにはUPSの取扱所があるため送れたのだが、わざわざ重たい食料を歩いて持っていって送るのが面倒だった。それよりも7mileヒッチハイクしてCrescent Lakeで補給した方が楽だと思った。
11時30分ころ、Hwy58に到着!早速ヒッチハイクを開始する。
ところが、通行車両はあるものの、反応が非常に悪い。たいてい無視するか、険しい顔をして走り去って行った。途中ですれ違ったハイカーはShelter Cove Resortで補給を済ませたようで、そのまま素通りして行った。
反対車線では放浪中のハイカーがヒッチハイクをやっていたが、15分も経たないうちに車に拾われてどこかに走り去った。私だけ取り残されてヒッチハイクを続けた。
Oregonではヒッチハイクが必要なトレイルタウンが少なくて気が楽だったのだが、数少ないヒッチハイクはどれも厳しかった。北に上るほどヒッチハイクが難しくなっていったように思える。Californiaとは違って簡単には止まってくれなかった。MedfordからPCTに戻る時に運を使い果たしてしまったのかもしれない。
Crescent Lake 1905.4mile地点 7mileヒッチハイク
Odell LakeとCrescent Lakeの中間付近にある小さな町。Grosceryではあるが品揃えは悪く価格が高い。わざわざヒッチハイクしてまで寄るような町ではない。事前にShelter Cove Resortに食料を送っておいた方がいい。
Odell Sportman Center
スポーツ用品店のような名前だが、実は釣具やキャンプ用品から食料品までおいてある。キャンパー向けの品物が並ぶ。
ここでは全くハイカーの姿は見かけず。
私を載せてくれたのは、たまたま通りがかったSteven。Shelter Cove Resort方面から出て来て私を見かけると、路肩をバックして止まってくれた。始めCrescent Lakeまでと言うと、遠いからダメみたいなことを言われたが、PCTHandbookを見せると、頷いてOKと言ってくれた。木彫りのクマと並んで撮影した。
店内のようす
ハイカーフードは少なく袋入りツナやスパムはなかったが、ある物を買えばなんとか最低限の補給はすることができる。驚きのマルチャン¢75、IDAHOAN$3だが、IDAHOANが$4のShelter Cove Resortよりはマシ。
Stevenは私の買い物に付き合ってくれて、自分の昼ごはん用に持っていたベーグルとチキンサンドを分け与えてくれた。彼は昔、2週間ほど日本に旅行にやって来たことがあるようで、箱根や富士山に行ったことがあると昔を懐かしんで言っていた。他にもいくつか地名を知っていた。私を載せてくれたのは、彼は日本が好きであることの他に、困っている人を見過ごせない人間であるからに違いなかった。
隣にはPost Officeあり。
彼といろいろ話していたため、結局レストランには行かず。Stevenは私をPCTに送り届けてくれる前にOdell Lodgeに寄っていろいろ案内してくれた。
牧場の片隅にあった馬の蹄鉄の輪投げ。
Odell Lodgeの外のテーブルで勝手に寛いでいると、空模様が悪くなって来てゴロゴロ雷が鳴り始めた。空模様はドス黒くかなりヤバイ気がした。
送り届けてくれたStevenと最後に記念撮影する。近くに人がいなかったため、交代交代で撮影する。彼は英語をほとんど話せない私にも非常に親切にしてくれた。
PCTの思い出でよく記憶に残っているのは、素晴らしい景色の他に出会って親切にしてくれた人のことだった。人間嫌いの私であるが、心底人間のことが嫌いではない。ただコミュニケーションをとれないために、好きになれないだけ、いやむしろ人との出会いを欲しているのかもしれない。
彼は高齢のため、それほど長くは生きられないだろうが、私の記憶の中で生き続けることだろう。彼の親切は忘れない。
こうして余裕ぶっこいて写真を撮ったりしているが、雷雲が猛烈な勢いで接近中で彼と別れたあとはすぐにどこかに避難しなければならなかった。どこかいいところはないかと探す。もう時間はそれほどない。ツエルトを張るかどこかで雨宿りするか決めなければならなかった。
やって来たのは、近くにあった砂利を入れておく建物。ついに大粒の雨が降り始めたので走って逃げ込んできた。しばらくすると土砂降りの雨となった。
この時すでに17時前で、関係者がやって来るようには思えなかったため、中でシートを敷いてカウボーイキャンプすることにした。少し埃っぽかったが贅沢は言ってられなかった。道路を少し上った先の峠に閉鎖中のスキーリゾートの建物があったが、ずぶ濡れになってまで歩いて行く気にはなれなかった。
Stevenから貰った絵葉書を眺めながらお菓子を食べて寛ぐ。
入口から入った雨水が徐々にこちらに向かってやって来る。このままだと休んでいる場所も浸水してゆっくり休めなくなる。
そこら辺に落ちていた標識で土木作業を開始した。雨水が入って来ないように堤防を築いた。
かなりの水を防いだものの、砂利の間の中を通りなおも下がってくる。
そこで入口に第2の堤防を築く。コレを築いてからはかなりマシになった。
この間も雨は土砂降りで雷が激しく鳴っていた。
雨水は寸前のところでようやくストップしてくれた。
この日、すぐにTrailに復帰して歩き始めたら、山中で激しい雷雨にヤラれていたところだった。すぐに戻ってきて歩く気マンマンだったのに、なかなかヒッチが成功しなかった。そしてStevenとゆっくり過ごしていなかったら、大変なことになるところだった。
彼との出会いは私にとって非常にラッキーだったと今でも思う。
つづく